なんだかさっぱりしないのでシャワーを浴びた。洗濯もした。麦茶はどうしようかなあ。作ろうかなあ。やっぱりもう身体が冷たいものを求めてないんだな。一応作った。飲んでいるのは暖かい紅茶。美味しい。京都の小さなお餅もほんの少しいただいている。信玄餅そっくり。仙台の「萩の月」と山梨の「信玄餅」はいろんな場所でそっくりさんがいる。どれもそこそこ美味しいけど本家が一番美味しい。黒蜜が好きなんだけどこれはお餅も不思議な味。抹茶が練り込んであるのね。長後の直売所の梨となんとかという紫の葡萄とシャインマスカットもあるのだ。あとでいただきましょう。なんとかという紫の葡萄の名前も確認しましょう。藤沢で働いていたときに知った駅、長後。降りたことあったかな。藤沢はお気に入りのお店が何軒かできて夜の鎌倉に寄って帰ったりしたこともあった。まだそんな時間があったんだな。私は地域に根付いた医療機関で働いてきているからその土地その土地の特徴があって興味深いのだけど藤沢は患者さんのサンダル率が高くて海が近い地域ならではのお話も多くて新鮮だった。その土地ならではの文化というのがあっていろんな仕事のことも教えてもらったなあ。今は都会で仕事してるから農業とか海の話は子供の頃の話として聞くようになった。色々な土地で育って東京に出てきて親や親戚は自分が育った町に暮らしていたり出たり戻ったり色々色々色々な人生がいろんな土地で紡がれる。
青森で突然気候変動や環境問題を強く意識したのは地元の人との話や水族館の資料のおかげだけどその土地の暮らしを構成していたものが穏やかな口調ながら「いつもと違う」といわれるときそれは危機の前兆なんだと思う。直売所の果物や野菜にも変化は出ているのだろう。その土地の人の声には力がある。私は動かされた。こういうことを書きながらずっと頭に浮かんでいるのは福島のこと。安東量子さんのSNSやnoteで福島の人の声を感じているが今発する声が言いたいことを話せているとは限らない。長い時間をかけていろんな状況や感情となんとか折り合いをつけて紡いできた言葉はすでにとても複雑でまとまりのないものだろう。見た目は単純化したりパターン化したりしてしまっているとしても。そこで育ちそこに暮らす人たちの歴史に生じた断絶を想像する力をつけていきたいと思う。