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精神分析

江ノ島へ

横になったまま足にあたる窓からの風を確かめていた。いつもより冷たい風が足に触れながら通り過ぎていく。秋だ。

リビングの窓を開ける。昨晩突然焚いたお香の香りが残っている。これは昔誰かにもらった外国のお香。大きな象が描かれた派手でかわいいパッケージ。いや大きな象かどうかはわからないか。今朝も適当に出しっぱなしにしていた日本の短いお香に火をつけてみた。実家からもらってきたのがたくさんある。ヨガを教えてくれた友達の家に遊びにいったときお香が当たり前のように焚かれていた。引っ越したあとのおうちでも。今は京都にいるその人と京都の自宅そばで会ったときもその人が選んでくれたお店はお香が焚かれていた。二人目の子がまだ赤ちゃんだったか、まだおなかの中だったか忘れてしまったが上の子が誰が何を言っても「チンチン!」とゲラゲラ笑いながら答えるばかりの時期だった。まあそれでもコミュニケーションは何の問題もなく成立していたのだからそれでもいいのかもしれない。いや、よくないか。

週末は精神分析のことしか考えていなかったが江の島にいる人から突然「あみさんもくる?」とメッセージが届いた。なんとなく「いく」と返事してからほんとにいくのかよと思ったが夏の終わりに何か特別なことがあってもいいなと思った。突然の誘いに乗ってそれなりに時間のかかる場所へ行くというのは特別だ。藤沢まで通勤していたのだからすっごく遠いわけではないが当時は仕事があればどこにでもいっていた時期だ。Psychoanalytisches Institut BaselのGerald Personnier先生のセミナーに出たあとフランス語と日本語の区別もつかない(つまりどちらも聞き取れていない)ぼんやりした頭で電車に乗った。乗り換えはしたがずっと座れたので楽ちんだった。Personnier先生は日本にも詳しくて日本語も少しお話になる先生でとても親しみやすくかなり自由にいろんな話ができた。時折先生方がフランス語で盛り上がってしまって完全に置いていかれていたが色々話しているうちにフランス語も聞き取れるような感触になっていた。単に頭が疲れていて知っている単語を拾っていただけなのだが。Personnier先生が谷崎潤一郎の名前を出した。『陰翳礼讃』という言葉を拾ったので(日本語だけど)車内で読んだ。江の島では江の島灯篭というイベントが開催されていた。『陰翳礼讃』じゃん、と思ったのはあとからだ。例によって車内から海が見えただけでひとり密かに身を乗り出しているうちに江ノ島駅に着いた。諏訪神社のお祭りだったそうで半纏姿の人がたくさんいた。コンビニで鎌倉ビールを買って飲みながら江の島へ向かう。島への通路はこちらに戻ってくる人たちもたくさんいたが向かう人もたくさんいた。日は沈んでいたが空はまだ明るかった。いろんな人がいろんなものを食べたり飲んだり並んだり笑ったり喋ったりしている中を歩きながら神社への階段へ向かった。少しずつ暗くなってきた。入り口の瑞心門に影絵のような大きな龍が現れたり深い緑の木がピンクに染められてまるで花が咲いているようだったり照明での演出がとてもきれいだった。道の両脇には影絵灯籠が並べられ幻想的だった。島の上の方にあるサムエル・コッキング苑に着く頃にはもうだいぶ暗くなってきて南国の木々の間をゆっくり歩いた。音楽が聞こえる方へ行くと小さなステージがありひとりでいくつもの楽器を使う人が奏でる音楽の中、たくさんの人がくつろいでいて子どもたちはトランポリンで跳ね続けていた。展望台シーキャンドルに数回エレベーターの順番待ちをして上った。どんどん空は暗くなっていき月がとてもきれいだった。雲に隠れてもこんなに海を照らすものなのか、と感動した。いい夜だった。子どもたちの夏休みももうすぐ終わる。いつまでもトランポリンで跳ね続ける感覚を心に蘇らせながら私は彼らを眺めていた。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生