南側の窓をドーンっとならないようにスーッと開け、リビングの大きな窓も同じように慎重にスーッと開け、パタパタ家事をしてから思い出したように東側の窓を開けた。ここの窓はそんなに慎重にならなくても大丈夫。西側はブラインドの向こう。見える空の色が全部違う。きっと土色の空とか月色の空とかもあるのだろう。星色の空は難しそう。どうしても太陽の影響を受けそうだから。海の色だってほんとうに色々で驚く。八月初旬に行った青森県下北半島を囲む海も様々だった。青にもいろんな青があり時間や波の様子でも全く変わる。
本州最北東端の尻屋崎はその先端に尻屋埼灯台がたち、津軽海峡と太平洋の境界地点となっている。灯台は真っ白で美しく、レンガ作りの灯台としては日本一の高さだそうで上ることもできるそうだが今回はちょうど閉館時間を過ぎたところだった。この上からみたらどこまでも続く海とそこにもある境界とそれが見えないことをますます実感しただろう。上らずとも右側に振り向けば草原の寒立馬たちがゆったりと草をはみ、海岸には家族たちが岩場に遊び、西側にはもう少しで沈みそうな夕日とお墓。え、お墓?とバスの出発の時間が近づいていたが少し早足で近づいてみた。遠くから見たよりも近く間に合いそうだったのでもっと近くへ早足で行ってみた。岩場の先には第二進徳丸殉難者の碑が立っており、そのそばにお地蔵さんもいた。この津軽海峡は海難事故が多発する難所だったという。手を合わせてもう一度海をぐるっと見渡しバスへ急いだ。
寒立馬は以前は囲いもなく放牧されていたそうだがペットを連れた観光客となんらかのトラブルがあり柵が設置されたそうだ。宮崎県の都井岬みたいだったのかな、と少し残念だったが激減しているという寒立馬の保護は大切だ。もうそれほど小さくはないが子馬らしき馬が母親らしき馬の首元にひたすら鼻を擦りつけるようにしてやがて乳を吸うようにおなかの方に首をもぐりこませていた。その横でのんびりと佇んでいた馬が突然ドボドボとホースのような尿を放出した。コロナでなくなってしまった日曜日の句会で「尿をにょうと言った人がいたけどしとと読みます」と先生に言われた。「にょう」と読んでしまったのは私で少し恥ずかしかったけどすっかり覚えた。芭蕉が宮城で読んだ句、
蚤虱馬の尿する枕もと 芭蕉
も馬の尿の音のインパクトをよんでいる。
それにしてもこの夏はものすごく日焼けした。炎天下をあれだけ歩けばそりゃそうかという感じだが左腕だけはっきりとTシャツ焼けをしている。最初なんの線かと思ってしまった。身体にも色で境界ができる。境界なんて曖昧なものを無理やり消すことも自ら作り出すこともしたくない。いろんなものはグラデーション。スペクトラムという言葉はなんだか使われすぎな気がする。いろんなものいろんな人、今日も色々色々だ。