日の出が少しずつ遅くなる。西の方はまだまだ明けない。夏の旅は日の出の早い方へ。冬の旅は日の出の遅い方へ。昔からの友人に旅の話をした。「うちは転勤族だったから」ときいてそういえばそうだった、と思った。海沿いの街に住むその人に案内されながら時々車が身体すれすれに通るのを避けながらその人の前を歩いた。便利か便利じゃないか、というのも誰にとって?何を目的にする場合?そういう便利さからはあえて離れたい、とか色々ある。日本全国旅をしていると地域によって観光客に対する態度は異なる。もちろん個人の性質もあるだろうけど「見かけない顔だね」と囁き合うシーンをテレビなどで見たことがあるだろう。異質なものに対する態度はその土地が歩んできた歴史や文化と関係があるように思う。旅するなかでいろんな体験をしてきたが毎回興味深いのは地元の人との関わり。あったりなかったりする関わり。
菅島に泊まったときの話をした。菅島は三重県鳥羽市、伊勢志摩と呼ばれるあたりの離島の一つだ。その人は三重にも住んでいた時期があるが離島のことはあまり知らなかった。菅島には鳥羽マリンターミナルから市営定期船でいく。船がくると多分島の人たちが続々と荷物を積み始めた。鳥羽湾最大の島、答志島に最初に寄り散策をした。島の生活、島の祭事に関わるであろうもの、狭い道路、突然開ける海、猫、歴史を感じさせる佇まいだった。そこから宿泊先の菅島に移動した。旅館の人が迎えにきてくれた。行きはほとんど何も話さなかった。魚が干されているのをたくさん見かけた。答志島の活気とは打って変わってとても静かだった。誰にも会わない道は海沿いなのにいつの間にか海が見えないくらいの木々に囲まれ夕日が沈むまでに灯台にたどり着けるかわからなかった。その後の記憶はあまりない。別に何が起きたわけでもない。魚が干されている四角い網、木々の間からチラチラ見える海、私たちしかいない大広間と御膳、そんな断片的な場面と独特の静けさだけが私に残った。翌日、宿を出て船の出る場所まで送ってもらった。昨日と同じ人が島のことを話してくれた。最初彼が口を開いたことに少し驚いてしまったがなんだか少し嬉しかった。
友人の案内で海を離れてまっすぐ歩いていたら駅に出た。お店はどこも混んでいるようだった。最初の店は予約で満席、二つ目の店も満席と言われてドアを出てエレベーター前の狭いスペースを挟んだ数歩先のガラス窓はイタリアンだった。入ってみた。入れた。とても美味しかった。たくさんの話をした。お互い生活が変わってもなんでも話し合える関係は全然変わらない。楽しかった、と駅へ向かうと時間を調べてあった電車が電光掲示板に出ていなかった。人身事故でダイヤが乱れてるとアナウンスがあった。乗り換えが増えるだけで電車の本数はある駅だ。私より心配そうに見送ってくれる友人の変わらなさにもほっこりした。
今日も一日仕事だ。いろんな土地での出会いや思い出を自分の背景に海みたいに広げながらそこで遊ぶようにでも真面目な顔して仕事したい。いい気持ちで二度寝したらこんな時間になってしまったけど。どうぞ良い日曜日を。