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散歩 精神分析

月、祭、音楽

昨晩、月がきれいだときいたが私が見たときにはもうどこかへ行っていた。その前の日はきれいに輝く月を見た、神奈川県秦野市で。ということで今朝の音楽はB’z「今夜月の見える丘に」と思いきやスターダスト☆レビュー「月の輝く夜に」。彼らももう長い。B’zより前からだろう。B’zは今年35周年。最初から大好き。吉田栄作も来年歌手デビュー35周年だそう。なぜ突然吉田栄作かというと「秦野たばこ祭」でライブを観たからです。栄作(ライブで野太い声で「栄作ー!!」と叫んでいた人を思い出している)は「はだのふるさと大使/秦野たばこ祭エグゼクティブアドバイザー」とのこと。LUNA SEAの真矢もはだのふるさと大使ということで和太鼓を披露していた。私は川沿いにズラーっと並んだみんなが掲げたスマホの画面にそれらしき姿を眺めながら遠くからの太鼓とスピーカーからの音を聞いただけだけど。とてもいい祭だった。祭については時間ある時にnoteにでも書いておこう。ちょっと確認しながら書かないとだろうから。LUNA SEAはB’zより少し遅い登場だった。なんでもB’zが基準になっとる。

今朝も何も進まないまま寝不足。大変なことだぞ。羊羹とお茶の組み合わせは早々にいただいたが。日差しが優しくなったのにもホッとする。バタバタと移動しながらの日々だから辛かったんだ、夏は。電話もしなければいけないんだ。まずい。気づいたそばからその前に思い出した予定が抜けていく。大丈夫じゃないな。が、こういうことは珍しくないので単にしっかりしなさいという話か。なんでも寝不足のせいにしてないで。昨日は早速買ったばかりの高性能イヤホンが行方不明になり泣きそうになった。なくさないように派手な色のポーチに入れねば、と思ったところまでしか記憶がなかった。帰り道まで気づかずにいられたのはよかった。仕事詰まってるのに気になっちゃって、というのでは困る。患者さんたちもいろんな音楽聞いてるよなあ。この仕事してるといろんな学校や仕事や音楽やゲームや習慣の話を聞くので世界は広いなと感じる。自分のことを話すというのは他人のことを話すということでもあるのでお会いしたことのない人が聞いたり読んだりしているものまで知っていたりする。私は最近再びジャズを聴き始めたおかげでずっと音楽活動をしてきた先生といろいろ話すことができた。黒人音楽のような手応えのある「相手」の登場は日本にはありうるだろうか。小さな差異に非対称を見出すことでは話を聞く気などない相手に抵抗することはできないだろう。いつの間にかのっぺりと「きみたちも似たようなもんですよ」と呑み込まれなんだかんだそこに安住している自分を見つけたりしないだろうか。それも見ないふりでいくのだろうか。傷つきはすべて「個人的なトラウマ」として処理される可能性はないだろうか。行けるところまで見て見ぬふりで?実際、そうなっていると感じないだろうか。日本の精神分析は日本の文化に向けられたものである必要がある。患者が生きる場所自体の分析を同時に行うために大切な対話ができたのはよかった。

今日も冷たい冷たい世界ちゃん、おはよう。秦野たばこ祭の「火」は幻想的に燃えていた。どこで熱くなるかは人それぞれ。それなりの緊張感と切迫感を維持したいと思うがどうだろう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生