寝てるときに右足首を左足首にかける癖があるようで自分の足の重さのせいで痺れたり痛んだりしている。力の抜けた人間の身体は重いとはいえ両方とも自分なのに。どの雪崩れからここへきたのか舌津智之『どうにもとまらない歌謡曲 七〇年代のジェンダー』(ちくま文庫)を手に取った。パラパラしつつ最近私は歌のない曲か歌詞が聞き取れない曲ばかり聴いているなと思った。もしかしたらとんでもない歌詞の曲を口ずさんだりしていたりして、と思うことはハードロックに没頭していた高校時代にもあったがそんな感じ。色とサイズがかわいくて気に入っていたTシャツの文字がスラングだと英会話の先生に笑われたときは赤面した。好きだった人が半ば押しつけるように買ってくれたTシャツには差別用語として受け取られてもおかしくない言葉が書いてあった。自分で選びたかったな(ツライ)。音楽はどうなのだろう。差別的で暴力的な言葉を使う人でも誰の胸にも響くような音楽なら奏でられたりするのだろうか。するのだろう。差別用語をモノに包んで贈り物にだってできるのだし。言葉は相手がいればその影響を受けざるを得ない。自分が何かを言って相手から返ってくる言葉は自分が発した言葉の影響を受けていることは忘れられがちだが、という話を初回面接のグループでした。力動的な心理療法家としてアセスメントする場合、防衛のあり方などはそのコミュニケーションにおいても反復されるので自分のあり方抜きでアセスメントはできないだろう。治療者は目の前の人が何に困っているのかを把握するためにいつもその人が取りがちなコミュニケーションに対して開かれている必要がある。たとえ相当苛立ったりしたとしてもどうして今この人とそうなっているのかということを自分が発しているものを含めて考える。だから自分の特徴を知っておく必要がある。そのために訓練はある、という話をした。
別の本のことを書こうと思っていたのだが眠くなってしまった。二度寝はできぬ。準備せねば。新しい1週間もがんばりましょう。