カテゴリー
俳句

秋、石、露

昨日の光の強さは異世界に行ったみたいだった。地下鉄を降り、地上に出ると世界が白く輝いていて「光ってこんなに白かったっけ」と少し混乱した。空の色が見えない。火のそばに寄ったときみたいな熱さ、だったか、とにかく暑かった。

此秋は何で年よる雲に鳥 芭蕉

芭蕉が亡くなる半月ほど前に作った句だそうだ。51歳だった(はず)。ほぼ私の年齢だ。体調を崩すことはそれまでもあっただろうがこの年のはなにかが違ったのだろう。加賀乙彦が『わたしの芭蕉』でこの句について何か書いていた。と思って本を探したが見つからなかった。いつものことだ。

此石に秋の光陰矢のごとし 川端茅舎

茅舎は「石」と「露」をたくさん読んだ俳人だった。病気を患っていた茅舎にとっても日々はあっという間に過ぎゆくものだったのだろう。しかしこの句は芭蕉の読む秋よりはっきりとした存在感がある。茅舎は43歳で亡くなった。

岸田劉生に師事した画家でもあった茅舎の目は儚さを力強く読む。

金剛の露ひとつぶや石の上 茅舎

露は秋の季語。「きごさい歳時記」で子季語を見ると「白露、朝露、夕露、夜露、初露、上露、下露、露の玉、露葎、露の秋、露の宿、露の袖、袖の露、芋の露、露の世、露の身、露けし」など。

石の上で破れることもなく水を湛える露の姿は自然に視覚化され絵画となる。「茅舎浄土」と虚子が讃えた世界を示す。

先日、茅舎の腹違いの兄である川端龍子の絵を見た。茅舎も龍子も高浜虚子の「ホトトギス」に属し、龍子はその表紙も提供している。

硯かと拾ふやくぼき石の露 芭蕉

石と露といえば西行に大きな影響を受けた芭蕉が伊勢神宮参拝の折、二見ヶ浦で読んだ一句。

茅舎の露の句とはだいぶ異なるが過ぎゆく年月に儚くもたしかに存在しつづけた人たちの言葉が大切にされる社会でありますように、と思う。と書いていても自分の俳句は一向に作れない。〆切間近。無理やもしれぬ。がんばろう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生