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精神分析

同窓会

地震で起きた。被害はなくともこれまでの体験や感覚の違いが地震のあった今日を形作るのだろう。疲れが残りませんように。

昨日は大学の同窓会だった。昨年から再び繋がりはじめた同期と「変わらない」と言ってしまうことに笑う。老眼や更年期の話をしてしまうことに笑う。「こっちはもうそのターン終わった」など。長年生きていると色々あるね、と笑う。コロナが私たちに繋がらねばという切迫感を生んだのはある。無事でよかった。色々あっても無事でよかったと思う。最近、肉親を見送ることについて別の人とも話した。私よりずっと年上のその人の死を私は意識しているけれどその人は亡くした肉親の話をしていた。長生きしてくれたおかげで楽しく見送れたというような。時間があるというのは辛いこともあるけど時間のおかげで変えられる認識もある。私は精神分析において精神分析家が長生きするという誰にもどうにもできないことがもっとも重要だと思っている。常に死を考える。その中でなんとなく生かされている。大切な人たちをどう大切にできるかというのは瞬間瞬間の行為であとから相手が判断するもの。それが失敗だろうとなんだろうと相手に委ねることが大事なんだと思う。時間をかけて紡いでいかれるものを大切に。みんなといろんな話ができて本当によかった。小さな女子大がいつまで生き残れるかは深刻な問題だがあれだけ恵まれた環境が失われるとしたらそれこそ学問の敗北だと思う。児童文学、児童文化、発達心理学と錚々たる先生方から自由に、多様に学べた体験が今の私を生かしているという実感があるだけに静かに制限なく好きなことを学べる環境が守られることを願う。

ああ、昨日はいっぱいお菓子も持ち帰ってきた。その中からクッキーとラスクを紅茶と。美味しい。ホッとする。あとでお礼のLINEをしよう。今日もいいことありますように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生