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打越正行の本、『没後30年 木下佳通代』展をぜひ。

まだ真っ暗。昨日はネット句会の締切日だった。深夜締切とはいえ私は夜が忙しいので夕方までになんとか出した。今回はとても特別で大切にしたい回だったのにいつも通り駄句しかできなかった。思い入れでは俳句は作れない。それでも押し付けがましくならないように気をつけながら伝わりますようにと思って作った。お題のひとつは兎。冬の季語だ。この季語は私たちにとって特別なものになる。兎という季語を思い浮かべるたびに思い出すだろう、次々押された兎スタンプを。

社会学者の打越正行さんが亡くなった。驚いた。『ヤンキーと地元――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』(筑摩書房、2019年)はものすごく面白い本で、社会学は今本当に豊かな人材が揃っていてこれからが本当に楽しみな学問だな、と羨ましく思っていた。鶴川のクリニックで働いていたから和光大学は身近で授業にもぐりたいな、といつも思っていた。イベントもいつもチェックしていた。全然行けなかったけど。人は誰でもいつか死ぬが今年も多くの死をあまりに突然だと感じた。同時にこの歳になればいつまでもつのだろうという命も身近だ。誰にもわからないことだから予測などしたくない。それでも突然は嫌だ。

平均寿命まで生きられるとしてもたいして長い時間が残されているわけではない。なのにどうして、と思うことは多い。不信感に覆われている人は相手を決めつけるか相手が何を言っても信用しないか、相手がいてもいなくても自分が見たいものしか見ない状態になっていることに気づかない。よく見れば、というか普通に見えるところだけ見れば実はこんなに支えてくれていた相手だってもうそんなに長くないだろうに、死ぬかもしれないのに、実は支えてもらっているなんていう選択肢はないので、ないの?本当に?ないとしたらどう思うのだろう。いなくなってよかった、とかまさか思わないよね、と思うけど思う分には自由でもある。せめて私はそこだけはまともでいたい。誰かは私のために生きているわけではないし、私を貶める誰かがいたとしてもそうではない誰かもいる。そしてどんなに自分が危機に陥ったとしても自分の責任をまず第一に考える。それは自分のせいだ、と嘆いたり、根拠のない罪悪感に苛まれることではない。現実をシンプルに、ミニマムに使用して正確な手続きを踏む。それが責任だと私は思う。人は見たいものしか見ないからこそミニマムに、共有できる事実だけを使って物事を描写し、主観を排除する努力は自分自身でしていく必要がある。これは主観である、という認識がまずは必要だが。いつのまにか「みんなもそう思ってるよね」みたいな感じで物事が進むのはいただけない。

平日の昼間に北浦和へ出かけた。新宿からならそう遠くない。北浦和駅ロータリーから緑豊かな方へ進めばすぐに着く埼玉県立近代美術館館でやっている『没後30年 木下佳通代』展 をどうしても見に行きたかった。ウィニコットに依拠して存在beingについて考え続けているのでそれを共有できる思考を求めていた。すごくよかった。若くして亡くなった木下佳通代(1939-1994)生前最後の作品は描き始めに見えた。彼女の中ではすでに形になっていたのであろう。美しい青だった。展覧会は絵の変遷に合わせて3章に分けられていた。大阪中之島美術館からの巡回展だが、以前、同志社大学の図書館に飾られて、その後修復がなされたという大きな作品は東京には来ていなかった。大阪中之島美術館で開催されたときのものを読むと、他にもいくつかの作品は東京には来ていないかもしれない。おそらく紹介文は同じものが使われいて、文章にはあるのに作品がない、というのもあった。私が見つけられなかったのかもしれないが、誰もいない場所でキョロキョロ探したけどなかったのだから多分ない。でも自信ない。学芸員さんに聞けばよかった。同志社大学の図書館の作品は映像で紹介はされていた。横長の大変大きな作品で、二人目の夫の奥田善巳と開いたアトリエへの発注だったらしく、奥田の作品も反対側の壁に飾られた。この作品、図書館の改修工事に伴い、一時行方不明になっているようなのだが、あんな大きな作品、誰がどこに置いていたのだろう。日本の精神分析の創始者である古澤平作の遺品管理の話と近いものを感じるが、とにかく見つかって、残って、また見ることができる形になってよかった。しかし、こんないい展覧会なのに今回も独り占めだったぞ。私にはいいが、作品は見られて語られてこそ残る。

打越正行『ヤンキーと地元――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』

埼玉県立近代美術館『没後30年 木下佳通代』展

を皆様ぜひ。