今朝も三日月。私は何かをみると本の一場面を思い出すことが多い。最近は月を見ると韓国の小説を思い出すようになった。実際、韓国で月を見たかどうかは覚えていない。
読まねばならない本を半分くらい読んだ。少しノってきたかもしれない。どうして最初あんなに読みにくかったのだろう、と思うくらい普通に読めた。それでもほんの少しの隙間時間には別の本を手に取るか音楽を聞く。短いエッセイが最適。한정원(ハン・ジョンウォン)のエッセイ集『詩と散策』橋本智保訳/書肆侃侃房とか。オクタビオ・パスの「ぼくに見えるものと言うことの間に」の引用で幕を開けるこの本の最初のエッセイは「宇宙よりもっと大きな」。
「私が冬を愛する理由は百個ほどあるのだが、」
という始まりがすでに愛おしい。冬を愛せない私には到底持つことのできない感性で綴られる言葉はぬくぬくと守られた場所でなら私だって同一化できる。ここで引用される詩人はフェルナンド・ペソアだ。異名者たちと共に生きたペソアの宇宙は今私たちが思い描く宇宙より少し大きい。
私にはすでに寒すぎる冬でも「以前はもっと寒かったよね」と思うのも本当。実際、どうなっているのだろう、と検索したらNHKのネットニュースで「全国の平均気温は11月末時点で平年と比べて1.64度高く、年間では統計を開始した1898年以降、過去126年で最も高くなる見込みです。」と書いてあった。やっぱりそうなのか。青森で実感した温暖化が及ぼす変化への恐れが蘇ってくる。何ができるだろうか。
昨晩、そんなことを考えていてツイートもした。様々な本の断片を思い出すのはこんなときでもある。青木玉の『小石川の家』のことは先月も書いた。
それでもとりあえず今日も一日。がんばろう。