三日月が細く鋭く遠くなった。早朝の地震、小刻みの揺れが大きくなっていくのかじっとしながら待った。大きな揺れにはならなかった。東京の私のところは。震源地は福島県沖で石巻は震度4。震度に関わらず地震はまだずっと怖いだろうか。不安だろうか。それぞれに異なる感覚が大切にされますように。
1996年、『東北学へ1 もうひとつの東北から』(作品社)が出版された。その後、文庫化され一番新しいのは2023年に出た『東北学へ/忘れられた東北』だろうか。見ている目が変われば景色は変わる。柳田以降を生きるわたしたちとして赤坂憲雄は丹念な野辺歩きをして書物にしたためた。まだあの大きな地震が起きていなかった。
今年元旦の能登半島地震の後、能登の高校生が能登の里山里海とともに生きる人たちに「聞き書き」をした記録は能登半島復興支援冊子『ノトアリテ』にまとめられた。増刷予定と聞くがクラファンも中止されまだ目処がたっていないらしい。伝承事業の記憶はこのサイトで読むことができる。
東日本大震災以降、岩手県陸前高田市に拠点を移し、対話の場づくりなどをおこなってきた瀬尾夏美は震災後の7年の言葉の断片を『あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる』(晶文社)に集めた。
「生活をするということは
思い出したり考えたりすることと、
共存しにくいものかもしれません。
生活をする手を止めて、そこから抜け出して
書き留める時間を持たないと、
それらは成立しづらい。」
そう思う。私のオフィスにくる人たちは皆そういう時間を求めていたことにきてから気づく。生活をする手を少し止める。自分のための時間をもつことが誰かの時間を思うことにつながる。そういう実感を多くの人がもてますように。