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精神分析

スケジュール、ニュートラル

カーテンをちろっと開けたらまだ暗かった。二度寝しようかと思ったけど起きた。きっとあとでうとうとするだろうから。この1週間締切のあるものは全てしあげた。いつも締切当日になるのに一日前とか二日前にできた。おしゃべりしたりちょっとどこかへ出かけたりする時間がほしくて集中した。本当はもっとスケジュールをきちんと立てて取り組むべきとわかってる。私の場合「隙間時間にやる、以上」で、隙間時間の半分はすぐに誘惑に負けて関係ない本読んだりしてしまう。「隙間時間の前半半分はやる」とか「隙間時間は作業(課題読書含む)と読書交互にやる」とか実情に合わせたスケジューリングでは意味がないしねえ。うーん。こんなこと書いている間にスケジュール帳作ればいいのよね。裏紙で作ったかわいいメモ帳を時々もらうのだけどそれに書いてみよう。次にやるべきことはなにか、というところから確認せねば。若い頃は「ダメだなあ、私は」と続いたと思うがそんなこと思ったところで、といい加減学んだので「自分に必要なら普通にやれば」と冷静な私が怠ける私に言い放つ自己内システムができている。がんばれー、と呑気な私が応援もしてくれる。がんばろう。

久しぶりに「ニュートラル」という言葉を自分で使ってみて「おお、久しぶり」と思った。中立性については岡野憲一郎先生が一冊(もっとかもしれないが)本を書いている。『中立性と現実』という本。フロイト自身は使っていない言葉だったと思うが「平等にただよう注意」や「禁欲原則」と関連している。岡野先生の本は2002年に出て序文は小此木啓吾先生が書いている。私が中立性という言葉にお久しぶり感を覚えるのは小此木先生がフロイトとフェレンツィを比較しながらよくお話しされていたフロイト的態度の一部がそれだったからだろう。『精神分析療法の道』参照。1919年かな。 フロイト技法論集に入っている1915年の『転移性恋愛についての観察(精神分析技法に関するさらなる勧めⅢ)』も参照。中立性というのは揺らぎをどうにかしないといけない局面があるから求められるわけだが、私は自分がなぜその言葉を使ったのかを考えながらこれがないと患者に自分の言葉以前に情緒を押し付けることになるからなあと普通のことを改めて思った。治療者自身の感覚は逆転移として大事とは思うが、逆転移というのはもっと細やかに語られるものであって、と思うわけだ。アンドレ・グリーン(A.green)の言葉にstructuring emptiness=構造化する空虚という言葉があるが中身によって容器が容器たりうるというのは本当にそうで、精神分析を精神分析たらしめるのは精神分析家の態度であって、だから訓練が必要、とフロイトはじめ精神分析家たちはしつこく書いているわけだな。こうやって自分で何か言っては何かを確認する日々。今日も確認と発見をしたい。