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精神分析

母ー子ども研究や乳幼児観察。

ぼんやりした朝の空。今日はどんなお天気になるのだろう。花粉のせいか目が痒いしくしゃみが出る。まだ薬を飲むほどではないけど、今はいい薬が色々あると聞いている。

今朝はいつもより時間があるが色々とやることがある。メールの返信も溜めてしまった、というか、Gmailの調子がおかしくて受け取れていないメールが何通かあり困った。何かしらおかしなことは起きる方が普通なので別にいいんだけど、と思うことはできるけれど相手あることは片方だけがそう思っていても、というのもある。難しい。

先日、国際精神分析学会(IPA)の Health CommitteeがやっているOff the Couchを聞いていた。Ilene Lefcourtは1982年に0歳から3歳の子供と親のためのセンターを作り、長期に渡りグループを指導したりしてきた人らしい。NYで開業しているとのこと。精神分析家とは書いていないけど精神分析的なアプローチを用いて研究をしているのだと思う。

今回のテーマはChildhood Memories: their impact on mothers and their 0–3-year-old children

母親の記憶が早期の子供にどのような影響を与えるか、という割とベーシックな話に思えたが、母親にここまで焦点を当てる研究というのはそんなに多くないかもしれないと思い直したりした。数多くの母子の関わりを抱えていける組織を作ること自体がすごいことだ。日本でもタヴィストック・クリニックで訓練を積んできた先生方がその訓練の重要な一部である乳幼児観察という方法を取り入れ、小グループがいくつかある。私も脇谷順子先生のグループの最初のメンバーだった。私にとって乳幼児観察はとても貴重な体験だった。生まれたばかりの赤ちゃんを毎週一回、ご自宅で観察させてもらう、ということは両親、兄弟姉妹、祖父母との関わりも含まれているわけで、環境の重要性はもちろん、環境というものの複雑さを学んだ。私もそこにいて視線を送っているだけで環境の一部なわけで、人の視線や小さな動きの大きさも知った。それらは安易に子供にとってどうこう、とか言える類のものではない、ということを強く思えたのが一番いいことだったと思う。外側の人間と母というのはまるで異なるものなので、そこに対する敬意は当たり前に大事。乳幼児観察は観察者の内面の動きが重視されるがIlene Lefcourtの研究が対象にしている母親の語りはまずは非常に個別的なものとして聞き取られる必要がある。母親を「〜親」と名付けるだけでない仕方を臨床家は展開していく必要があるので勉強になった。

鳥たちは今日も元気そう。がんばろう。

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精神分析

わからなさを維持。

朝焼け。大船渡の火事を思い起こす。震災を乗り越えてきた地域ではないだろうか。早く鎮火しますように。

昨日は二・二六事件の日だった。89年が経った。少し前に高橋是清邸のその部屋に立った。その時の印象が強く資料をいくらか読んだが、一体何が起きたのか、という戸惑いが随所に見られた。何かの信念に突き動かされて動いてもあれはなんだったのだろうと愕然とする場面がある。人の人生は短いはずなのに、と思う。

高橋ユキさんのnewsletterに書かれる事件の記録にも人間ってと思わざるを得ない。人間の暴力性を根源的なものとして、それをどうにかしようという機能が人間には備わっているのではなかったか。その場の快楽が目の前の相手をモノ化する場面は大なり小なり経験しているが、その極端な例がいつも書かれていて辛い。が、人はわからない、ということを維持しつづける助けになる。すぐにわかったような気になる、というのも暴力と近いだろうから。

今朝は、鶴巻温泉で買ってきてくれたというデコポンと「桜の小径」というお菓子を緑茶と一緒にいただいた。穏やかで暖かい毎日を望みながら動ける人になりたい。

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精神分析

動作法

日の出がだいぶ早くなった。今朝は月が見えない。

丸山千秋先生、昨年六月に亡くなられていたのか。知らなかった。まだ東日本大震災よりもずっと前、成瀬悟策先生の動作法の研修会にでているときに丸山先生に直接動作法を実施していただいたことがある。震災前だと思うのは、丸山先生と同じくその研修会の講師をされていた冨永良喜先生のお名前をその後よく聞くようになったのが震災後だったから。冨永先生の『動作とイメージによるストレスマネジメント教育 基礎編: 子どもの生きる力と教師の自信回復のために』はSCの講演にも友達との勉強会にもよく使わせていただいた。あの研修会では変わらず「エライ」先生のセクハラ発言に辟易する場面もあったが丸山先生や冨永先生のお話や実践に感銘を受けた。丸山先生の身体に触れる際の自然な気遣いが心に残っていたので気持ちが冷え込むこともなかった。成瀬先生に厳しく何か言われても穏やかに微笑んでいらしたのも印象的。穏やか、というか苦笑かも。74歳でご逝去とのこと。当時の先生は今の私くらいの年齢だったのだろう。当時の私は精神分析的心理療法と動作法の両方を熱心に勉強しはじめた頃で、同じく成瀬先生の指導を受けた最上貴子先生に個人的に指導を受けようと思っていたが日程が精神分析的心理療法のスーパーヴィジョンと重なってしまい受けられなかったのだ、たしか。何者になるか、というのはこうしたちょっとした偶然によって方向づけられる、という体験を何度もしてきたが、この出来事は心に残っている。私はクリニックで自律訓練法を実施するのが好きで、身体に関わる心理療法はしっかり学びたいと思っていた。その後も色々と驚かされる体験を現場でしてきてその興味を失うことはなかったが精神分析の訓練が始まればそれに没頭する以外なかった。訓練とはそういうものだ。とかいってそんなふうに思えたのは訓練中盤からだけど。私にとっては誰かを理想化して入った世界ではなかったし、いろんなことに興味があったからどうなっていくのかなあ、自分、と思っていたけど結果的に「委ねる」ということを覚えたのは精神分析のおかげであり、その結果として精神分析家になったのだからとりあえずこういう道だったのだろう。それも「いまのところ」かもしれないけど、ここに至るまで本当にたくさんの先生にお世話になったのは間違いない。そのプロセスでいろんな横のつながりもできた。私たちの世代は頭で考えるより実際のフットワークが軽かったのかもしれないな、と指導者として若い人たちの愚痴を聞いていると思う。でも今には今のがんばりかたがあるし、ネットワークづくりのツールは当時よりずっと多い。私は私が与えられてきたもの、培ってきたもので学び続けられたらと思うが、みんなも自分で作ればいいんじゃないの、とあまり彼らが求めてなさそうな言葉を返したりしている。誰かのお膳立てに乗っかっているだけだと不満も溜まりやすいと思う。自分でやると自分が責任を取らなければならないのでやるべきことは適度に誰かを頼り、協力していくことになる。身体のメンテナンスも必要になる。私が休んでばかりでは困るから。動作法は身体のメンテナンスにとてもいいと思ったなあ。今はどんな広がりを見せているのだろう。またお話を聞きたいし、実践をしたい。筋トレにも活かせると思うし。

今日もがんばろう。

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精神分析

それぞれ。

東の空にほそーい月がきれい。昨日は梅をたくさん見た。場所に限らず白い梅の方がずっと多いように思う。ピンクの梅はとても印象が強いからちょうどいいけど。この週末はこの冬一番寒かったように思う。「ように思う」ことばかりでどれもこれも変わりゆく印象の、しかも私の短い長期記憶の濃いところでいうと、というお話。この寒さを乗り切れば暖かくなる、と思うと我慢できるけど、これから長い冬が始まる、とかだったら辛いなあ。雪国の人はどんな気持ちで過ごしているのだろう。きれいな写真を送ってきてくれるから普通に生活の中で身につけた方法で淡々と日常として過ごしているのだろうけど。私はスキーとか旅でしか雪国を体験したことないし、スキーで吹雪とか体験してるけどなんだかんだ無事だったし、雪かきとかしても一年に2、3回で、この冬なんてまだ一回もしていないし、どうしても「大変だろうなあ」と思ってしまう。でも雪国の暮らしが長くなってきた友達は東京で近所で暮らしていたときと同じ感じだし、それぞれの大変さがあるよね、ということなのかもしれない。美しいもの、といったら断然雪国の景色の方が思い浮かぶけど。壮大さあっての小さきモノという対比もある。

生活といえば、先日外でお酒を楽しむイベントがあって、お料理も地元のお店が出していたのだけど、隣のベンチにいたカップルが慣れた感じですごかった。寒い中、みんな身体揺らしながら列に並んでお料理を待っていたのだけど、彼らは、カップの豚汁とパックのごはんを机に出し、さらに煮卵、乾物系つまみなどなど準備万端。水やお湯も完備。豚汁に煮卵を入れて食べていたのも新鮮。梅酒もパックで持っていてペットボトルの水に注いで水割りにしていた。コップ要らず。でも今回のイベントではワイングラスがレンタル式で100円かかった。彼らはそれを知ると、一個ので2回買いにいけばいいよね、とそこにはきちんと時間をかけていた。でも一人の方はほとんど梅酒しか飲んでいなかった気がする。外でのイベントで持ち込み禁止とかではないからこういうのもありなんだな、と学んだ。地元の人たちなんだろうな、と思った。私たちははじめての街だから地元が出しているお店のお料理が食べたいし待つ気にもなるけどお酒だけ目当てだったらこういう楽しみ方もあり。色々なお酒を試飲できる会場もあって、会場によって人の捌き方が全然違って、片方は寒い中震えながら並んで、もう片方は列の作り方が違ってスムーズだった。自分がこういうイベントを開催することはないだろうけど勉強になる。効率を求めるなら色々工夫はあるけど、それがされていなくてもそれにはそれの良さが生まれるけどね。長い列で寒さに震えている間に振る舞われた「社長の酒」とか美味しかったし。イライラしている人ももちろんいたけど、その人をあとから別の場所で見かけたときはごきげんだったし、気分を切り替えられるって大切。まあ、切り替えられてなくてもそれはそれで「あのときさー」という思い出話にもなるか。

今週も頑張りましょう。

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精神分析

里山ハイキングへ行ったり。

よく晴れている。昨日は東武東上線沿いに遊びにいった。風が強くてネックウォーマーを耳まで引き上げてしのいだ。2時間くらいで戻ってこられる低山と城址にハイキング。きれいな池から始まる登山口までも駅から30分くらい歩くのだけど梅はまだ咲きはじめ。地域によって違うねえ。そんなに遠いわけでもないのに。白サギがかっこよく佇んでいたり、烏瓜がまだいい色のまま絡んでいたり、里山の景色は足を止める場所がいっぱい。

以前住んでいた上板橋に準急が止まるようになっていた。というより、当時各駅停車しか止まらなかった、という自分の情報が正確かどうかもわからないし、おそらく「準急」というものはなかった、と思う。みんなで森林公園に遊びに行ったりしたなあ。今回はもっと先へ。山は電車代だけで遊べるとはいえ旅費はかかるね。降りたあとの美味しいものにもね。最近、少しだけ有酸素のトレーニングも取り入れている成果がどのくらい出たかはわからないが寒さが疲れに一番きたかも。電車の広告で久しぶりにキッコロとモリゾーを見た。「愛・地球博」のキャラクター。キッコロとモリゾーのメモ帳とか使い切っていないから今もその辺にある。かわいいからなんとなくそばに置いている。「愛・地球博」は楽しかった。もう20年になるけどあの子たちはまだご活躍なのね。

そうだ、翻訳のチェックしないとだ。その前に机のをきれいにせんと。頑張りましょ。

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精神分析

Reading Freud最終回。

早起き。おはようございます。今朝も月がきれいです、

昨日は、2024年度のReading Freudの最終回でした。今年度は『フロイト症例論集2 ラットマンとウルフマン』(岩崎学術出版社)を精読しました。2019年からはじめたこの回ですが、メンバーを変えての2度目の鼠男と狼男。今はこう呼ばれた二人の患者さんがどこの誰でどのようなその後だったかも大体明らかになっています。フロイト自身もそうですがフロイトの患者ともなると色々大変ですね。来年度は初期に遡って『1895-99年 心理学草案 遮蔽想起』 (岩波書店)から「心理学草案」を精読します。これまでもフロイトを読んできた人たちと丁寧に学んでいきたいと思っています。メンバーがみんな女性なので、主に男性の集団から生まれた精神分析の言説に対する違和感には素直でいられるかと思いますし、それを内容の難しさのせいにしないようにアシストしていけたらと思うので私もがんばって勉強します。

今日もコレット・ソレールの本を読みながら、ラカンの患者でもありずっとラカンのそばにいたソレールがラカンとの同一化の外に出るのは大変な困難だろう、と思いました。何度通り過ぎてもまだその内側にいる、という体験は誰にでもあると思いますが、本来、精神分析はそこではないどこかへいつのまにか出るはずの治療です。でもそれには自分の分析家との本当に密な関わりのほかに、多くの人との関わりが必要です。ソレールはラカン理論からラカンの「真意」とか精神分析の「本質」を取り出したいのかもしれないけれど、私みたいに、本でのラカンしか知らない女の分析家たちが、ソレール自身の言葉を読み繋いでいけば、ラカンとは離れた場所で、ソレール独自の思考を受け取ることができそうに思うので引き続き読んでいこうと思います。私は女性が精神分析家を志すことは、精神分析における同一化に抗うプロセスを作り出す役割を担うことであると思っているので、地道にやっていこうと思います。

どこまで行けるかよりどこへ出られるか、それを楽しみに今日も過ごすつもりです。どうぞ良い一日をお過ごしください。

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精神分析

作業

今日はあまり色がないまま空が水色になりつつある。でも東京の予報は晴れみたい。風がないといいなあ。

あまり行かない図書館で少し作業をした。机が広いと作業が進む。私は本やら何やらをすぐに広げてしまうからスペースがあったほうがいいのだなあ。この前、カフェの小さい机で作業してたらイヤホンを片方落とし、拾おうとしたらケースを落とし、もう片方も落とし、いつもだったら起き上がるときに机の裏に頭をゴツンッてやって机の上のカップも落とすから、ゆっくりゆっくり拾い上げた。次々変な動きを繰り出してしまったがイヤホンさえ無事ならいいのだ、この場合。不器用だったり落ち着きがなかったりすると色々大変。療育を学んでおいて本当によかった。自分に役立てるって素晴らしい。

作業といえば、確定申告で色々チェックしてたら電気代が意外なことに四月が高かった。三月ってそんなに使ったっけ。自分の印象では一番使っているのは一月二月なんだけどな。五月六月はとても安い。エアコンをほとんど使わないものね。東京電力は領収書を紙で送ってこなくなったから(送ってもらう場合は有料)きちんと意識できなくなった。水道代は2ヶ月ごとに紙でくるから比較もしやすくて季節もそういうところから感じ直したりするのだけどね。税金の督促状とかになると季節を感じている余裕はなく小さく積み重ねてきた生活に絶望感を持ち込まれてすごく嫌な気分になるけど。税金の督促だけは差し押さえまでの期間がものすごい早いし、ほぼ脅しだよな、と感じた。こういうところだけ、と思わせないような政治をしてくれてるならともかく。

今日も地道に、みんなにとっていい未来を考えつつ過ごそう。自分のことをまともに考えることが一番近道だと思っているけどまともってどんな感じ、というのはそれぞれ。良い一日になりますように。

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精神分析、本

コレット・ソレールの本など。

毎日、起きるとカーテンの向こうに月を探す。月の位置で大体の時間がわかる。昨晩、少し本読もうかな、と机の前に座ったけど読もうとしている本がラカン派の本だったせいか、ページを開いただけでボケーっと腑抜けていた。このままウトウトするのは目に見えていたので温めておいたお布団に潜りこんであっという間に寝た。遅い夕食が消化されていない感じが気持ち悪かったけど変な格好で寝てしまうより安全だった。

昼間もラカン派分析家のコレット・ソレール(Colette Soler)の 『What Lacan Said About Women: A Psychoanalytic Study 』を読んでいたらぐったりした。フランス語でなく英訳だけど。ある程度ラカン派の言葉に慣れてきたとはいえ、これ賞をとってるんだよね、これラカンに馴染みがないと結構読むの大変だよね、と難儀した。部分的、あるいは表面的には理解できるけど。ソレールはフロイトを独自の仕方で超えていくラカンを女性の側から掘り下げている。pas-toute、La femme n’existe pas.で表現される女性(ファルス享楽ではないJouissance Autreとともに)として女性に例外的な位置を与えたラカンの考えを我々はどこまで押し進めることができているだろうか、というのがソレールの問い。精神分析家の言説を変えるにはフランス精神分析、特にラカン派の勉強が欠かせないことはわかった、という段階の私には困難が多いが勉強しましょう。そうしましょう。

今朝はかわいいイチゴかな。ベリー系の焼き菓子とお茶。ほっこりしました。BGMは挟間美帆のLive LIfe This Day.挟間美帆の仕事も素晴らしい。どうぞ良い一日を。

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精神分析

色々

半月。東の空の薄いオレンジがきれい。昨日はデコポンを半分食べた。

すべきことが色々ある。細かいノルマはようやくto doリストで管理することを覚えた。手帳には色々書きすぎて管理不能になっているが大きな手帳にするのは嫌なのでタスクは即時こなす、という方法で対処したいがそれが難しいから今があるので別の対策をしよう。スマホを使いこなせないのは損かも。ヴィンテージと言われる私のMacも動いてくれてはいるがたまに心配な空白画面のまま止まったりする。Windowsのほうが仕事向きだからオフィスのはWindowsだけどこれももう長くなってきた。パソコン高いしどれがいいかわからないからこのままがんばってほしいなあ。

確定申告が見通したってきたなと思うと漏れがみつかって時間をとられる、というのをくりかえしている。支出も収入もシンプルなはずなのにこういう作業苦手。でも今年はスムーズなほう。やっぱり訓練終えてから余裕ができてる気がする。単に移動移動でバタバタするのが減ったというのもあるし、不思議な体験をたくさんした。ワークスルーは事後的にいろんな形で生じるらしい。長い時間かけたもんなぁ。

今日もいいことありますように。そういえば北海道の友達が送ってくれた雪の中の白鷺の写真がとてもきれいだった。雪国での暮らしが長い人は緊迫感と余裕を上手に乗りこなしておられる。すごい。

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俳句

句友

起きたらカーテンの向こうに月が見えた。久しぶりにきれいな夜明けも。

昨年、句友を二人喪った。プライベートは何も知らない。お一人は少し年上でお一人は結構年下なのでは、と推測している。俳句と選評だけを通じたつながりだった。私はお二人の句が好きだった。そういう人は多かった。DMでのやりとりは亡くなる当日か前日まであった。それぞれが所属する結社誌に彼らへの追悼文が書かれた。私は会ったこともない彼らの俳句を読んでは泣いた。自分でも不思議なくらい悲しくなった。わたしたちが、というより、少なくとも私は、なによりも言葉によって人を愛したり憎んだりしているのかもしれない。あの絵文字を送りあってから3ヶ月が経つのか、と結社誌の巻頭を飾るその人の俳句をまた読んだ。そうそう、こういう俳句を私たちとのオンライン句会でも書く人だった、とまた泣いた。私が一日一句を突然始め、習慣化できているのも彼らのおかげなのだろう。

アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』に言語活動の表象(シンボル)として象形(フィギュラチフ)芸術と書字(エクリチュール)に関する記述があるのだが、と書いていたらピンポンが。こんな早朝に。色々あるもんだ。

とりあえず無事に過ごしましょう。

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精神分析

風、音楽、本


風の音がすごい。昨日は昼間、とっても暖かくて、厚手のだけどパーカーだけで出かけられた。でも今日からまた寒いって聞いていた。ということは夜は冷えるぞ、と朝はいつもの厚手ダウンも着ていた。こんなに風は強くなかった気がするけど予想通り夜は寒かった。ネックウォーマーに顔を引っ込めて歩いた。亀のイメージ。新宿中央公園の亀たちに最近全然会えていない。冬眠させてるのかな、と思いながら通り過ぎてるけど。昔、家庭教師先の亀が干上がって死んでしまったと聞いて、そんな過酷なことがあるのか、と思ったけど冬も過酷だよね、きっと。

朝、Spotifyでおすすめされたものを再生したらエズラ・コレクティブのBody Language feat sashakeable。最高だな。昨晩、ぼんやりしきった頭でアンドレ・ルロワ=グーランの『身ぶりと言葉』を読んでいたのが伝わったのかな。この本、面白いんだよ。読みやすいし。

先日のブレストを経てこれも読んだ。自動翻訳でざっと読んだからすでに忘れてしまったがディディエ・アンジューへのインタビュー集、“A Skin for Thought: Interviews with Gilbert Tarrab on Psychology and Psychoanalysis: By Didier Anzieu. London: Karnac Books. 1990. ”の書評。

読みたかったアンジューの論文が見つからなかったから検索にかかったこちらをなんとなく読んだ。

Kennedy, R. (1991) A Skin for Thought: Interviews with Gilbert Tarrab on Psychology and Psychoanalysis: By Didier Anzieu. London: Karnac Books. 1990. International Journal of Psychoanalysis 72:747-747

興味深そうな本だけど買うほどではないかな、これを読むかぎり、とは思う。が、ロジャー・ケネディーが引用しているアンジューのエピソードのひとつは心に残った。これをもって、だから「皮膚ー自我」という考えを中心に据えたのか、というのは安易からもしれないが関係ないはずもない。

I was not allowed to risk myself in the outside air without being smothered under several layers of clothing: sweater, overcoat, beret and scarf. The envelopes of care, concern, and warmth with which my parents surrounded me, one upon another, did not part from me even when I left home. I carried their load on my back. My vitality was hidden at the heart of an onion, under several outer coverings (p. 3).

Roger Kennedy は英国精神分析協会の訓練分析家でConsultant Child Psychiatrist, Chair of The Child and Family Practice in Bloomsbury, a private multi-disciplinary clinicとのこと。英国精神分析に詳しい先生方にどんな分析家かお聞きしたい。

Kennedy, R. (2007). The many voices of psychoanalysis. Routledge/Taylor & Francis Group.

これは読んでみたい気もするがその前に色々読む必要がある。まずは最優先の仕事から始めましょう。どうぞ良い一日を。

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精神分析

新宿御苑、ブレスト

日の出が早くなった。鳥たちも元気。

先日、オフィスからトコトコ、新宿駅を超えて、新宿御苑へ寄った。入園料が500円になってからはあまり行っていなかった。入園料200円からの驚きの値上げについてブツブツ話しながら入るとあっという間にそんなこと忘れた。見事な木々。私はそれなりに自然に馴染んだ暮らしをしていると思うが、木ってこんな色だったっけ、こんな肌してたっけ、と驚きがいっぱい。ものすごい生命力と一本一本の個性を感じた。もちろん新宿御苑の場合、見映えよく整備されているというのもあるが植物が大切にされている感じはした。日本庭園の方から回ったけど大きな薩摩寒桜が遠くからみても鮮やかなピンクを放っていて大きなカメラを持った人もたくさんいた。かわいいメジロも素早く飛び交っていてかわいい。池にもいろんな鳥がいてびっくり。こんな身近にいつも見ない鳥がいるんだ。色々見事だった。18歳の頃から新宿駅を拠点としているが、その日は新宿駅周りの変遷も懐かしく追えた。人との思い出も多い。なんとか無事に年を重ねてこられてよかった。

昨日は朝早くから少人数でブレストをしたら疲れた。それぞれがそれぞれの患者さんと継続的に育んでいる関係の中で「突然」と感じられることは実はそんなに「突然」ではないのでは、とそのプロセスをおうとやはりそこには着実な積み重ねとその中での様々なズレがあることがわかったのもよかった。普段、ひとりで探求していることを共有できる場があるのはいい。理論的な基盤をもって論理的にそこでの話し合いに厚みを持たせていくことは個別のスーパーヴィジョンではできないし、理論的な基盤を共有していないとこのスピードではできない。私たちの脳はものすごい量の情報を瞬時に処理しているわけだからものすごいスピードをもってものすごいじっくり考えるということを続けていく必要があるのだろう。今回は私が場のマネージをしたけどいれものがあったら入る、というあり方ではなくいれものづくりからできる人と一緒に色々やっていけたらと思う。もうひとつのブログにオグデンの論文のことも載せたし、美味しいものもいただいたし、ある程度満足の日曜日だった。今日もいい一日にしませう。

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精神分析

俳句、保育園、マップ

昨日の朝、もうあの朝焼けは見られない、とか嘆いていたが、ネット上にはきれいな朝焼けの写真がたくさん流れていた。私が見逃していただけらしい。

毎日一句以上俳句を作る習慣、作ったら縦書きアプリに移している。それが2月8日で止まっていた。1週間、なんて早いんだ。そして今日の締切に間に合うように出そうと思っていた任意の選評はできあがらず。取り上げる句は決まっていたのに結社誌が手元にないので確認ができない。すっかり忘れていた。

20代の頃からNPOで一緒に活動してきた人が保育園を立ち上げてからもう何年になるのだろう。無認可の小さな小さなおうちのような保育園がすっかり大きくなって職員も知らない人が増えた。私は当時から顧問臨床心理士みたいな形で関わってきたがコロナ禍ではオンライン、それ以降は年間の回数を減らしてもらいながら関わりを続けている。幸運なのは私の後任に私よりずっと保育現場のことをよく知っている人が入ってくれたこと。やっぱり毎日のように0歳から5歳の子供たちに関わっている人の方がいいと思う。これからもそういう人で繋げてこの領域の心理士の成果が広く知られたらいいな。保育士の仕事の大変さを保育を利用しない人たちにも知ってほしいから。本人たちがいくら声をあげても届かないなら客観的にそれを記述したり報告したり権利を主張する手伝いをする必要がある。私は二回りくらい外側からそれをお手伝いする感じならできるだろう。

今日もなんやかやで休みがないがみんなでやる作業を楽しもう。お散歩は行ける。昨日もらった手書きのトコトコマップは島崎藤村ゆかりの場所をめぐるもの。市川市の文学者関連マップも充実しているんだよね、と思いながら見ていた。こういうの作るのって楽しいよね。

良い1日になりますように。

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精神分析

言葉、求人

今日もぼんやりなオレンジ。冬の朝はもう終わったんだ。

久しぶりにドミニク・チェン『未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために』をめくった。娘の誕生の場面から始まる言葉の旅。多言語話者の父親をもつドミニク・チェン自身だが、彼がここで紡ぐ言葉は単なる話し言葉ではない。ロマンチックな本だなと思った印象があるがいい本だった。また少しずつ読むか。

隙間時間にする作業が遅々として進まず。しかし求人の手伝いは一気に進んだ。これまで関わってきた領域が幅広いのでこの時期はいろんな求人のお願いがくる。雇われる側には納得できる額の報酬が出るいい職場と出会ってほしいし、雇う側には普通に仕事ができる人と出会ってほしい。

さてさて。今日は年数回のお仕事の日。忘れないように行かねば。どうぞ良い一日を。

(ここは日々のよしなしごとを書き連ねる場なので精神分析にご興味ある方は私のオフィスのウェブサイトをごらんください。)

(精神分析理論のことなどに触れた記事は別のブログ「精神分析という遊び」に少しずつコピペしたりしています。)

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精神分析

俳句二句。日本精神分析協会学術大会プログラム発表。

東の空がオレンジ色にならない。東京の天気予報は晴れみたいだけど。昨日、俳句を作り忘れたことに気づいてさっき慌てて作った。昨日はとても風が強かったことを思い出して「春嵐」で一句。そして身内とスキー教室の話をしたけどスキーは冬の季語なので「牡丹雪」で一句。これで少し昨日を取り戻した気分。TVerでプレバトの俳句のコーナーだけ見て色々勉強になったのに実作を伴っていなかった。いけない。実作が一番大事。

帰宅したら高校時代の友人からまた引っ越しのハガキが届いていた。転勤がある仕事は大変だ。また岡山か。慣れた土地なのはきっと安心だろう。そうだといいなと思う。

今年6月の最初の週末に行われる日本精神分析協会の学術大会のプログラムが発表になった。広報の仕方について思うところがあるけど何回か言っていることなのでまあいいか、とも思う。でもそれではよくないと思うのでまた言おう。手続き上のことは情緒を乗っける前に事務的にやらないと。今回は私は仲間内でパネルを立てた。私が候補生になったのはコロナ以前だったので福岡支部(関西や広島の方も大体福岡支部)のみんなとも実際に会って色々話し合うことができていた。コロナ禍、コロナ以降もオンラインの勉強会などで繋がり続けた。そういうなかでサクッと集まったメンバーで興味を共有できた話題で企画した。そういう相手がいることを本当に幸運に思う。

もう週末。てんやわんやだががんばろう。

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お菓子 精神分析

月、ポッドキャスト、お菓子

昨晩も月がきれいだった。一昨日も満月みたいだったけど昨日が満月だったらしい。2月の満月をアメリカでの先住民はSnow Moonと呼んだとのこと。日本では春の月は朧月とか言ったりするけどまだ冬の月に近い輝き方かも。昨日は強い風をマスクで避けながら少し春を感じた。

いろんな発表の準備をしなくてはならないけど隙間時間に読みものをしているだけでは「これで行こう」という糸口が全然掴めない。いつもそうこうしているうちに〆切間際になって追い詰められてようやく思いつくという感じだけどそのパターンを変えていきたい。マイケル・パーソンズ、G.コーホンなど独立学派の分析家のpodcastを聴いたりしたがいまいち発想が広がらない。パーソンズが取り上げていたミケランジェロ・アントニオーニ監督の『Lo Sguardo di Michelangelo( The Gaze of Michelangelo)』は見てみたい。

パーソンズの取り上げ方はこんな感じ。

 The title of the film is: Lo Sguardo di Michelangelo — ‘The Gaze of Michelangelo’. This is splendidly ambiguous. Which Michelangelo? Buonarrotti or Antonioni? Who is gazing at whom? Patient and analyst, in their different ways, ask themselves the same question. Both, of course. The two Michelangelos are gazing at each other.

 

今週末はタイプロ。メンバーが決まる。そもそも元々のメンバーのことをあまりよく知らないのできちんとみていたわけではないがみると泣いてしまう。SNS上は盛り上がるのだろう。

煎餅工房さがえ屋さんと老舗ショコラティエ「サロンドロワイヤル」さんのコラボ商品「おこめショコラ【ホワイト】」をもらった。サクサク甘く美味しかった。

今日も東京は晴れみたい。どうぞ良い一日をお過ごしください。

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精神分析

「普通に」、犬

朝焼け。少し薄いオレンジ。

紙のようなプラスチックのような袋に入ったチョコレート。黒と白の二つ。黒が普通のチョコで白がホワイトチョコレートだと思いこんでいた。少し前に黒い袋を切って開けて食べた。普通においしかった。今朝は白い袋を切った。白いチョコが見えるはずがまた黒。どうやら黒の中でもブラックとミルクとかで味が違ったらしい。こっちも普通においしかった。「普通に」と書いてしまうのは意外だったから。普通だったらあえていう必要なさそうなものなのに言葉の使用ってそういうもの。サクサクのクッキーにチョコをかけたお菓子は一番好きな組み合わせのひとつ。美味しかった。

祝日は大掛かりな片付けの手伝いに一日使った。よく働いてぐったりしたが合間でおいしいものも食べたしいい時間だった。筋トレ成果はこういうところに出る。寒いなかでの作業も少し動けば暖かくなる。重たいものの移動で頼りになる。疲れても犬と遊ぶ元気がある。

その柴犬はその家の子がまだ小さかった頃にきた子だからもう15歳くらいか。嘘みたいに落ち着きがなくずっと赤ちゃんみたいな犬だったけど今や耳も遠くなってボールを投げればすぐに咥えに走るものの追いついて口をちょっとつけたらもうOKという感じで何も咥えずトコトコトコと戻ってくる。たまにしか会ってこなかったのに作業中もずっとトコトコついてきて時折ちょっと首を傾けてじっと見つめてくる。飼い主には「邪魔しかしないんだから」と小言を言われていた。確かに足にまとわりつくように歩くから作業しづらいのはあったけどそれもかわいい。今はもうむやみに飛びかかってくることもないのはちょっと寂しいけどよく無事に年月を過ごしてくれた。まだその家の子が中学生のときだったか高校生のときだったか、犬の散歩がてらいろんな話をした。みんな少しずつ変わっていくけどきみがこの場所にいつづけてくれることでみんなの時間が重なるんだよ、ありがとね。私も我が家にいた犬を思い出す。その子はとてもクールでこんなトコトコついてこなかったけどお散歩の紐をみると狂喜乱舞していた。きみと入り込んだとうもろこし畑はもう大きな家が立ったよ。それだってもう何年も何年も前の話。あそこもあそこもあそこも今はこんな風になってるよ。ずっとそうやって変化を共にしていきたい相手がいることに感謝。

今日は少しだけ空が暗い気がする。良い1日になりますように。

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精神分析

梅園、日常言語哲学の本

青梅市の吉野梅郷、紅梅苑さんの「紅梅饅頭」をもらった。吉野梅郷の梅はまだあまり咲いていないそう。同じ東京でもそんなに違うものか。私はすでに少しの寄り道でたくさんの梅を楽しんでいるけど。吉野梅郷の梅まつりは今月15日からとのこと。行ってみたい。私は熱海梅園の梅祭りがとても好き。河津桜も一緒に楽しめるし、はじめていったとき、お天気もすごくよくてお花はもちろんきれいだった。でも一番記憶に残っているのはお好み焼き。食べやすくラップロールみたいになっていたのも新鮮だった。水戸の偕楽園の梅はどうだろう。バレンタインデーの時期に連続して偕楽園に行っていた数年があるがいつも3分咲きくらいだった。芝生に寝転がれるくらい気持ちいいお天気の日もあった気がする。バレンタインデーと偕楽園はなんの関係もないのだがなぜその頃に行っていたのだろう。水戸の高級納豆を買ってきたこともある気がする。いや、高くて買わなかったかもしれない。さてさて紅梅饅頭をいただこう。梅のかたちの柔らかなお饅頭。ちっちゃな梅がこんな立派なお菓子になりました。美味しい。お裾分けしてもらった中国のお土産のかわいい缶に入った金木犀の烏龍茶と。冬でも水分をきちんととりましょう、という話をトレーナーさんとした。烏龍茶はカフェインが入っているからあまりよくないのだろうけど食べ物と一緒のときは好きな飲み物をいただこう。

アヴナー・バズ『言葉が呼び求められるとき――日常言語哲学の復権』(飯野勝己訳、勁草書房、2022年)を読んでいた。『謝罪論』を出した古田徹也さんの選書リストで見つけた。オースティン、ウィトゲンシュタインらが展開した「日常言語哲学」ってこういう立場にあったのか。副題が「日常言語哲学の復権」なのはそういうことか、と全然知らなかったことがたくさん書かれている。古田徹也の本から入った私は普通にメジャーなものとしてそれを認識していたけど学問の歴史を知ると見えてくる景色が変わる。勉強は大事。

今日もすっきりとした空。テレビで見る雪国の様子に毎日驚いている。東京の暮らしとは全く異なる。雪崩のニュースもその後どうなっただろう。被害が大きくなりませんように。どうぞお気をつけてお過ごしください。

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俳句 料理 精神分析

サバカレー、フランス語、忘れ物

朝です。ご近所のおうちたちがオレンジ色に照らされています。朝から印度カリー子さんの「3ステップで作る!ちょうどいいサバカレー」を作って少しいただきました。味見程度と思ったのにおいしくて食べてしまった。さばの水煮缶はカリー子さんが使っているのと同じものにしたけど塩加減は私は相当少なくていいかも。あ!今気づいたけどレモン汁を入れるのを忘れた。ガーン。まあ、すごく簡単だからまたすぐ作りましょう。ココナッツミルクも余っているしね。

最近フランス語の勉強をサボっていたことがバレてしまった。隠し立てしていたわけでもないけど指摘された。Duolingoを毎日やることでヨシとしてしまっていた。もちろんそれでは読めるようにも話せるようにもならないとわかっている。やらないよりは当然マシだと思う。うーん。YouTubeを使って勉強している人が多いことは知っているが私は本当に動画が苦手。映画とかは別。注意力散漫だから画面上の情報が多いYouTubeが苦手なんだと思う。なので帰りの電車で情報を集めポッドキャストで教材をチョイス。そんなことをしていたら一日一句作るという習慣が早くも崩れそうになった。気づいたら夜。というか昨日は結社誌のための10句を選んだことでやった気になっていた。

冴え返るとは取り落とすものの音 石田勝彦

いい句だ、と書くなり少し不安になる。写しまちがえていないだろうか。せっかくの句を私の書き間違えのせいで変なリズムの句にしてしまっていないだろうかなど。いつもそうだ。書いたあと、何度も確認してしまう。自分自身の句にもそのくらい気配りができるとよいのかもしれぬ、がとりあえず2句作っただけでよしとした。今日も実景から作ろう。

先日、一緒にエレベーターを降りた人が突然カバンをゴソゴソしはじめた。忘れ物を探す仕草はみな同じ。私は忘れたことに気づかずいろんな人にお世話になってきたが気づくときはそうなる。こうなるよねー、と思いながら待っていたら見つかった。よかった。

よく勉強した週末だった。それでも普段より余裕があるのは助かる。習慣作りも地道にがんばっていこう。今週も良いことありますように。

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精神分析、本

掃除、筋トレ、読書会

暗い。まだ朝とはいえない。昨晩の夕暮れも、月も、とてもきれいだった。梅がたくさん咲く公園に寄って写真を撮ったけれど私が実際にみた夕焼けの色よりずっと明るい写真になってしまった。写真よりきれいよ、と付け加えればいいだけ、といえば、だけ。だって大抵の人は思い出そうとすれば思い出せると思う、あのきれいな色、というかあのきれいさを。

早朝からTHERMOSのマグをきれいにした。THERMOSは何回かいただいたことがありキッチンの棚を掃除していたら放置していたマグがでてきた。大きめで気に入ってたやつ。新しいのがやってくるとこうやって放置されてしまうのだからかわいそう、というか私のマネージメントが悪い。ちょっと台となる椅子が必要だけど振り向けばすぐ開けられる棚なんだから活用すれば忘れないはず。工夫してみましょう。

さて、毎日のタスクは精神分析、俳句、料理。細々とでも真面目に探求する習慣ができた。筋トレは週1は必ずという習慣。週1でも筋力ってきちんとつくのね。まだひとりで懸垂できないけどキレイな姿勢を維持したまま近いことはできるようになった。懸垂ができることが大事なんじゃなくて肩甲骨を上手に鍛えると可動域が増して肩こりもなくなるから辛くないわけ。元々はぎっくり腰にビビってヨガをはじめ、それはとても効果的で、うまく転べるようになったから怪我も減ったのだけど歳とってくるともうちょっと具体的にしっかり各部位の筋肉を鍛えた方がメンテナンスになるな、と思って筋トレをはじめた。プロのトレーナーさんについてもらっているので無駄がない。最初の頃は私の身体どうなっちゃってんの、という感じでできない動きも多く、行くの面倒くさいなと思ったこともあったけど汗をかかない私が汗をかく人に変わってきた気がしたり、身体がヘロヘロになると余計なことを考えなくなったり、重いものを持つときも「あのトレーニングよりはマシ」と思えたり、基本となる部分が色々変化するのでそれはすごくモチベーションになる。ジムに通っていた時期もあるけどヨガ以外はぼんやりストレッチマットで本とかを読んでいてもったいなかった。筋トレの効果は精神分析効果と似ている。自分の可動域を広げる。そのためにはどこを使うのか、何をとりあえず棚上げするのか、など。私はやるからには真面目なので(以前の自分との比較においては)誉めてもらえるのも嬉しい。誉めてもらえる、というか自分で自分に「がんばれ」と言いながらダンベルこなすこともあるし、「さっきよりできた気がする」とちっこい感覚を自分で評価していることも多い。「自己肯定感」が高いというやつか。日常ではこの言葉を使いたくないのだけど筋トレ中の自分のことだけはこの言葉で描写したい。できなくてもめげない。ベイビーステップ上等。この歳になればできなさの方を多く体験してるのだからスマートにできる自分なんて期待していない。思いがけずできちゃったぜ、というときの嬉しさの方が楽しい。

楽しいといえば昨晩の読書会は楽しかった。そのうちもうひとつのブログの方に書くけど、予習しておいたはずなのにその場になったら一体何が書いてあったんだっけ、と全く思い出せずみんなとあれこれ言っていいながら読み直すような感じになってようやく「ああ、そうか、この著者はこういうことが言いたくてこの形式で書いているんだ」となった。みんな精神分析実践をしているから単に知的な理解に留まらないのはとてもいい。今日はまた別の勉強会が午前午後とあるけどがんばりましょ。どうぞ良い一日を。雪の地域のみなさんはどうぞお気をつけて。

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写真 精神分析、本

サバカレー準備、逃避読書

朝。ここ数日は本当に寒くてすぐにベッドに戻ってしまう。

昨日はサバカレーの準備をがんばった。印度カリー子さんが使っているサバ缶は成城石井にあった。ココナッツミルクを探すのに手間取ったがカレールーとかと同じ場所にあった。ココナッツオイルはいろんなオイルの棚にあるけどミルクはいろんなミルクの棚にはない。冷やさなくていいしね。お店の人に聞こうかな、と思ったけど今後も自分で探せるように自力で探した。ということでがんばったような気がしている。

読むべきものが英語だとつい日本語の本を読んでしまう癖がなおらない。逃避癖のひとつ。でも細々と学ぶ中で千葉雅也と國分功一郎の『言葉が消滅する前に』(幻冬舎新書)はクロード・アジェージュの『絶滅していく言語を救うために ことばの死とその再生』(白水社)へのオマージュか?とか思ったり、とっても敬愛する俳人岸本尚毅の『文豪と俳句』(集英社新書)で岸本尚毅の俳句を通じた文豪たちへの眼差しの優しさにじーんときたり、手元にある本たちの読みがアップデート(?)しているのはいいことだ。

図書館でも俳句か哲学の棚にいくことが多い。昔は精神分析の本もそのそばにたくさんあったのにね、と精神分析の書物の少なさを少し嘆きつつもその時間は至福。最近は持っておきたいけど高くて変えないなと思っていたリオタール『言説、形象(ディスクール、フィギュール)』(法政大学出版局、三浦直希訳、合田正人監修、2011)を読んでいた。ここでも取り上げられるフロイトの夢作業、だけではないのだけど哲学者が精神分析を利用する仕方には学ぶことが多い。臨床とはかけ離れるけど内容と形式、欲望と言葉の関係には注意を払い続けることが必要だと思うし。

それにしても今日は花粉をとても感じる。困った。雪国で暮らす友が写真を送ってくれたが大変なことだ・・・。きれい!と素直に思えない年齢になってきた。大変さをたくさん聞くし、冬にも北に旅してた頃に何度も泣きそうになった経験も重ねてきた。そこで生活をしている人たちがよく休める時間とか場所とか協力とか色々あればいいと思う。どうぞ良い一日を。

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お菓子 精神分析、本 趣味

パイ、カレー、読書

朝焼けはまだ。今日は「市ヶ尾パイ」。パイだけどしっかり。硬い。美味しい。

あ、色々していたら空が白くなってきた。日々、時間の使い方を模索しているができたら空に合わせて動きたい。日曜は雨だったが帰り道はやんでもやっとした空に月が浮かんでいた。ここ数日はその月が少しずつ大きくなっていくのを見た。習慣を変えるというよりも作るという感じ。一番はきちんと自炊する時間をとりたい。大体20分くらいで作れるものばかり作ってるけど目指すは印度カリー子さん。カリー子さんはすごい人ですごく運動もするからあれだけ食べられるというのもあるし多分胃腸も丈夫なんだと思う。私は毎日カレーが食べたいというわけではないがあのパワフルで優雅な食事スタイルは見習いたい。三浦哲哉さんの影響もあるが自炊は楽しい。美味しい。昔はあれだけ面倒だったのにね。不思議。まあ、スパイスは増やしたから1週間に1回は印度カリー子レシピから作りたい。サバカレーと無水チキンカレーのレシピは保存してある。

昨晩は週末に読むアンドレ・グリーンの論文に出ていた言語学に関する本を調べようとしていろんな本を引っ張り出したが私が探しているものは全然見当たらず。この領域はすごく幅広いのだなあ。面白い分野というか精神分析理論を細かく検討するために深めたいのだけど理解に時間がかかるから死ぬまでにどのくらい深まるのだろうか。まあ、こういう時間もちょっとずつ読もう。すぐ忘れるのにどうしてこんなに勉強するんだろうねえ、不思議だ。でもどっかで役に立つのだろう。がんばろう。

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お菓子 俳句 読書

フィナンシェ、伊達公子の番組、中村哲の本

神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾のパティスリー グランウールのお菓子をもらった。まずは抹茶のフィナンシェからいただきます。あずきが入っているのね。わりとさっぱりしていていいかも。カフェインレスのコーヒーとね。最近のカフェインレスのコーヒー、紅茶はとてもおいしいのね。ありがたい。パティスリーグランウールのお土産には秋冬限定の「時間ショコラ~トキショコラ~」という素敵な名前のお菓子も入っていた。立春をすぎたとはいえいよいよ冬みたいな寒さだものね。俳句も春の季語で作ろうとするとあたたかみが増してしまいちょっと実感とそぐわないと思ったけど「春の霜」とか「春の」をつければ本当は春なんだけどね、という感じもでるかなと思ってそうした。立春前は「日脚伸ぶ」とか「日向ぼこ」とか冬だけど春が近いですよ、みたいな感じのお天気でしたね。

昨晩、Eテレで伊達公子の「最後の講義」という番組をやっていた。聴講していたのはみんな女性。ある方が今後子どもを持ちたいとかなった場合にキャリアが中断することについての質問をしていた。こういうとき、やっぱり質問する側は緊張してしまうし、不安が溢れてしまうし、涙ぐんでしまうんだよね。その不安が具体的でなくても、今直面していることではなくても、こういうときの情緒って口に出してはじめて感じるものでもあるんだよな、とこれまでお会いしてきたいろんな女性患者さんのことを思った。トップクラスの人の話を聞くってとても大事よね。トップクラスではなくても自分と同じような体験をしている人の話を聞くことはとても大事。それ以前に人の話から学べる姿勢を持っていることが大事だけど子どもでも大人でもまずはその部分が育ってきて、すると「テレビでこういうのやってて」とか「友達が何なにって言ってて」と自分のあり方を考えるときに人を参照することが増える。暖かい文脈で。まずは暖かさをいっぱい知って少しずつ人の話を聞ける自分を育てていくことが大事なんだなあといつも思う。この仕事しているから特にだと思う。

私は中村哲さんの言葉からたくさんのインパクトを受けてたくさんのことを学んでいる。澤地久枝が聞き手となった『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束』も読みたい。澤地久枝もいい。『完本 昭和史のおんな』は上下合本がほしいけど書籍代がかかりすぎているのでセーブ。合本でなければどこかにあると思うし探すべし。洋書が高すぎるんだよねえ。はあ。高いからきちんと読むのでそういう意味ではセミナーとかにお金かけるよりずっとお得だとは思ってるけど。あ、そうだ。週末までにもっと読まねばならないものがあるのを忘れていた。それも英語だったかなあ。そのチェックからせねば。もっとかしこくなりたいけどしかたないね。今日も自分の持ち物で一生懸命やりましょう。ためいきまじりだけど。鳥が鋭く鳴いて去っていった。元気ならいいな。暖かくして過ごしましょう。

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散歩 読書

白州正子の番組とか

まだ早い。洗濯物を干した。

昨晩、白州正子の番組をやっていた。私は鶴川のクリニックに勤めていたから、というわけではないが武相荘にも行ったことがある。鶴川は本当によく歩いた街だった。駅の両側はすぐに山なので散歩していたらいつのまにか人の家の畑に入ってしまって呼び止められたこともあった。クリニックは駅前だったが武相荘は結構上の方だ。小田急線鶴川駅から徒歩でも行けるが行きはバスをお勧めする。入場料がすごく高いな、と思ったがせっかくなので行った。とてもいい家でさすが正子と次郎という感じだった。実家に白洲正子の本があったので文化人であることは知ってはいたが鶴川でご一緒するとは。次郎のことはドラマなどで見ていたがかっこいい人ということ以外いつもあまり残っておらず、私は正子にしか興味をもてなかった。正子は14歳で女性として初めて能の舞台に立ったことでも知られている。昨年、もっともインパクト受けた小説『大使とその妻』の「貴子」は白州正子を思い出させた。昨晩の番組のナビゲーターはなんと細川護煕。エピソードもさすが。最後の方しか見られなかったが面白かった。

昨日は週末の読書会に向けてダナ・バーステッドブリーンの本の一章を読んでいた20ページくらいかな。英語だとものすごく読むスピードが遅くなるので全然進まず。しかもその速度だと内容が入ってこず。困った。著者がこの章で何を言いたいのに辿り着くまでで時間切れ。困った。

乾燥がひどい。唇もかかとも。花粉もねえ。私の大好きな街、帯広の雪のニュースに驚いているし心配でもある。1日で100cmって。53年ぶりの積雪量(積雪深?)ということは以前にも経験した人はいるのだろうけどみなさんどうしているのだろう。被害がでませんように。雪崩とかも起きませんように。

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俳句 言葉

冬帽子、女が書く場

今日は朝焼けが見られる。すごく寒くなるというのは明日から?今日から?今年は筋トレで代謝が上がった、とか言っているけど私の厚着は尋常ではないので単に厚着のせいかもしれない、と昨日少し不安になった。昨日電車でそばに立っていた男性二人(無関係)が電車の揺れによろめいた。二人とも似たようなあまり見かけないよろめきかただったので思わずパチクリみてしまった。一瞬笑いそうになってしまったが失礼なので一句したためた。「ドリフかよコケる男の冬帽子」(季語=冬帽子)。ドリフももう通じないのかもなあ。

ボーヴォワールとか読んでて、というか女が読むこと、書くことについて興味と必要性を感じている私はふと心理学や精神分析の雑誌に有名ではない女の投稿欄がつくられたことはあったのだろうかと思った。新聞の投書欄とかは今もあるよね。昔の雑誌はそういう欄多かったと思う。以前、金剛出版から出ている『臨床心理学』に「女性の発達臨床心理学」という連載があってこれは書籍化もしたと思う。そういうテーマに特化した連載もいいけどもっと気軽に投稿できる場、というか、やっぱり現場を一時的に離れている人が気軽に、「日常という視点から」学問を語る場はあった方がいいのでは。フロイトだって日常生活から学んだわけだし。SNSはもう良くは機能しないと思うし、私は信頼できない媒体を育てるような課金とかもしたくないし、その場を使うこともできるだけ避けたいと思ってる。でも私はこうやってダラダラ書くのがほぼ趣味だし、特に誰に見てもらいたいというのがない人はこういう個人の場でいいと思うけど、多くの人はもっと知ってほしい気持ちを抱えているわけで、特に女性にはそういう場が少ない。育児しながら、障害や病気を抱えながら専門家として感じていること、学んでいることはたくさんあるはずで、それを短いエッセイやコラムやSNSとは異なる「つぶやき」コーナーに投稿してもらえたら心理学と日常生活はもっと多様に繋がれると思う。今は決まった人ばかりが書いているけど人はものすごく異なる体験をそれぞれがしているわけだからそこからの実感を専門的な視点で言葉にしてみるという場を作れたらいいなと思った。ストレスマネジメントとか、ブランクからの復帰の様子とか、女であることの大変さ、とを女だから体験したこととか共有してもらったら研究にも臨床にも別の視点を持つことができるかもしれないしさ、とな。これも虚子が「台所俳句」の雑詠欄をつくって女性たちを俳句の世界に引き入れたことは大きな業績だよなあ、と思ったから。和歌の世界には錚々たる女性メンバーが育ったのに俳句は男ばかりだったからねえ。今や女の方が多いわけだけど。とにかく今はまだまだ場を作ることの方が大切な時代であって女の場所はとにかく制限されているという自覚を援助職である専門家こそ強く持つべきではないかと私は思っているのだな。ウェブ記事よりまずは専門家向けの雑誌のコーナーとしてやった方がいいと思うんだなあ。慣れていないことをやるときはある程度小さい集団を対象としたほうがフィードバックも感じやすいし書いた側の安全感も守りやすいと思うから。私がオフィスでやっている勉強会は男性もいるけど女性の方が多いので彼女たちが主体的に言葉にできる場を作っていかないとなあと思うことも多い。自分で開拓するにはハードすぎると思うよ、現状。声の大きい言葉の達者な人たちでなくてもこの仕事は言葉で伝達されているものなのでその表現を拾う場が増えたらいいなと思う。モデルって大事だから。

今朝は雑炊を食べてぽっかぽか。暖かくして過ごしましょうね。

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イベント

立春、高橋是清

冬の朝の空。立春だけど。この時期が一番寒いのは毎年のこと。梅が咲く頃、桜が咲く頃に暖かい数日間があり、咲き始めると一気に寒くなる。まさに三寒四温。少しずつポカポカしてくるはず。カラスが泣きやんだ。早朝、ずっと鳴いててそのリズムに二度寝してしまった。でもうとうとしながらもカーカーってずっと聞こえていたから二度寝の質はイマイチ。それでも昨日は寝不足のなか出かけたせいかよく眠れた。

熱い紅茶とイチゴ。小さいアルフォートを一つつまんだ。起きるなり高橋是清のことを考えてしまった。昨晩もずっと考えていた。俳句にしようと思って。「江戸東京たてもの園」に高橋是清邸を復元したたてものがある。二・二六事件の現場となった寝室に立ちながら陰鬱な気分になった。彼はあの日、布団の上に座っていたという。話を聞こうじゃないか、と言ったとか言わないとか。しかし即死。青年将校たちに率いられた部隊には貧しい農家から出てきた人たちも多くいたという。高橋是清も幼い頃に養子に出されてからひどく苦労した人だった。私は唐津へ行った時に旧唐津銀行で高橋是清の教え子の辰野金吾のことを色々教えてもらい高橋是清のこともずっと心に残っていた。なので復元とはいえその家のその場所に立ってなんともいえない気持ちになり、それについて考え込んでしまった。今日はもう行かねば。

立春であることを支えに寒さを乗り切ろう。

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言葉

雪予報、専門用語

カーテンを開けたら雪ではなかった。昨晩、友達との帰り道、この気温だと雪にはならなそう、と話しながら友達がiphoneをみたら雪予報だった。これから急激に気温下がるのかもね、と言いながらさらにいろんなおしゃべりをして帰った。今日のお出かけのため私もiphoneをみたら予報は雨マークだった。どっちかな、と思いながら夜更かしをした。あまり気温が下がっている気配は感じなかった。そしてさっき。ベランダの手すりにうっすら雪が積もっていたりして、と思いながらカーテンを開けた。雨。この数時間でたしかに気温は下がっているようには感じた。この冬は筋トレの成果か、寒さで体調を崩すことが少なくとても嬉しかったが、今朝はちょっと本当に寒いかも。暖房をつけて電気ひざかけもかけた。お湯も沸かした。今日は朝焼けは始まらなそう。とても静かなので少し窓を開けたら雨の音が意外と大きくてすぐに閉めた。暖まった部屋がまた少し冷えた。

レッテル貼りを防ぐために専門用語を使わずに話すのが得意な人と苦手な人がいると思う。私は自分の特徴に近い症状については可能。精神分析でかなり細かく自分の特徴がわかったというのもあるし、似たような部分を持つ友達や長い付き合いの友達との間でこれまでの自分の変さを言語化してきているから。人はわからないことほど大雑把な言葉でくくる傾向があると思う。なので専門家ではない人が専門用語を使う気持ちはわからなくもない。専門家ならなおさら日常語で話す必要があるとも思う。具体的なエピソードとともに生じている感覚や動きを共有できる相手がいることは本当に心強い。ひとりひとり全く異なるものを誰かと比べてどう、ということはできないけど、この感じってこういうことでは、と具体的なエピソードから実感を捨てずに抽象度をあげていくと馴染みの理論に辿り着いたりもするがそうやって辿り着く理論と知識として取り入れる理論はまったく異なるだろう。

うう、寒くなってきた。せっかくの冬空だからとカーテンを開けたけどまだ閉めておこう。少し遮るものがあるだけでだいぶ変わると感じることができるのもきちんと寒い日があるからだ。強い刺激はつらいことも多いけど、そこからいずれ生じる気づきもあるからそういうのを待ちたい。とても眠くもなってきた。NHK俳句が始まるまでウトウトしよう。鬼はーそと、福はーうち。

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お菓子 イベント 俳句

豆、習慣

今朝は朝焼けの様子が少し違う。雲が多く空はまだら模様。昨日焚いたお香と朝ごはんの匂いが混ざっている。そんな変でもないけどちょっと変。今朝のデザートは苺。嬉しい。しかも美味しい。果物は当たり外れが少し心配だけどこれは美味しい。もう春なのね。今日は2月1日。立春は3日。ということは明日は節分。もうお豆食べてしまった。お正月が終わってすぐにスーパーには鬼の絵が書かれた豆菓子が並び始めた。私が買ったのは「でん六」の「マメにするのだ!アソート」。赤塚不二夫のキャラクターが書いてあったから。昨日食べたお豆はレレレのおじさん。レレレのレー。お掃除する人を見かけると「レレレのレー」が浮かぶことがあるけどなんか失礼な気がして楽しくなることを一瞬控える。掃除してるのおまえじゃないじゃろ、ってね。でも大好きキャラだわ。

1月16日から1日一句は作ってもう10日以上過ぎた。なんか習慣化してきた。私はこれは精神分析の効果だと思っていて、分析家になってから習慣化したことがいくつかある。いつも締切前日に速達で出すか、オンラインだったら締切時間ぎりぎりに出すかだった俳句が習慣化するとは。句会に出る習慣もつけたいけどこれは時間を確保するところからだから難しいので結社にこだわらず行けるものに行こうと思う。この前出た句会は平日昼間だったせいか年上の方が多く、私が俳句をする前にイメージしていた俳句の世界が広がっていた。全国的にも俳句はまだ高齢の方に馴染みのある文化かもしれないけど私が所属する結社は私より若い人たちもたくさん活躍しているし、というか書いていて思ったのは私もすでに若くないわけで私がいう若いは少なくとも20代ではない。俳句は短いのがとにかく魅力なので好きなんだけど読むには漢字が難しいのと語彙力が必要なので調べる習慣がついていないと大変。辞書をひく習慣がオンラインで辞書使うようになってからいまいちうまくいかないんだよね。というより複数のことを同時にすることができないから辞書引き始めるとずっと辞書読んだりしはじめてしまうわけで、オンラインだとそれもせず別の何かを調べ始めたりしてしまうからなんだな。とまずは自分の今の行動の癖を知るところから別の習慣作りははじまるはず。作る分には自分の持ち物でやればいいという面もあるけど私の場合はインプット足りない。語彙力って使えないと意味がないとまでは言わないけどあまり意味がないわけで言語化とお勉強ができるかどうかがあまり関係ないのと似ているところがあるわけです。私はお勉強も平均的なうえに言語化するときの語彙が乏しいわけで日常生活に支障はないけど俳句生活には支障がある。これは続けていきたい趣味だから多分積み重ねでなんとなく今よりはましにはなっていくとは思うけど作る習慣もまだ1ヶ月経っていないからどうなることやらだわね。忙しいとかいってないで今日も何か見たらパッとつくろ。

2月かあ。早いねえ。なんとかやっていきましょう。