きれいな冬の空。明日は大寒。
大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子
突然始まった戦争から一年以上が過ぎた。本当に終わるのだろうか。何を終わりというのか、とか考え出したらキリがない。とりあえず殺戮は終わりにせねばならない。
昨日、祖母のことを書いた文学は多いが絶品なのは森茉莉だろう、という話をしていた。異母兄の於菟を哀れむ祖母のことを茉莉はこう書いた。
「彼女は私をも愛していたが、愛していながら、愛することが出来ない。」
森茉莉は晩年、下北沢のアパートを追い出され、経堂のアパートに移り、ひとりで死んだ。新聞には「孤独な死」と書かれた。「孤独死」とは響きが違う。なんでも一つの名詞にしたがる感覚が苦手。
鷗外長女茉莉ばうばうと老い耄けし果ての孤獨死羨しくもあるか(高橋睦郎、ふらんす堂)
詩人の高橋睦郎は森茉莉の友人だった。30歳くらい離れていると思う。彼女が死んだ年齢に近づき、超え、知ることもあるのだろうか。
黒柳徹子はVoCEの連載で
「茉莉さんが亡くなったとき、私は外国にいたのですが、日本に帰ってから、「死後2日経って見つかった孤独な死だった」と聞きました。でも、私は「それもなんだか茉莉さんらしいなぁ」と思ったのでした。」
と書いている。群ようこは『贅沢貧乏のマリア』で手本としての森茉莉を書いている。面白い本だ。森茉莉を愛したのは鴎外や祖母だけではなかった。「おまりは上等」というのが口癖だったという鴎外の気持ちがは私にだってわかる。愛し方というのはそれぞれで愛を受ける仕方もそれぞれで森茉莉と祖母の関係もまたそのひとつ。
今日は昨晩読んでいた『鬼城句集』の序文のことを書こうと思っていたのに森茉莉のことをなんとなく書いてしまった。ちなみに鬼城とは群馬県高崎市出身の村上鬼城。昨年、鬼城の記念館に行ったことはnoteに書いた気がする。『鬼城句集』の序文は編者である大須賀乙字と高浜虚子である。また思い出したら書こう。どうぞよい一日を。