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精神分析

アクアライン、俳句と精神分析?

空が白い。遠くの方はまだうっすらオレンジ。起きたら喉がパリパリ。熱いお茶を淹れた。今日も「保田どら」と一緒にいただこう。房総はアクアラインが開通した頃、よく行った。身内が房総の小さな町で社会学のフィールドワークをしていたからその思い出話と共に。神奈川県川崎市と千葉県木更津市を繋ぐなんて当時はすごいと思った。それほど土地勘があったわけではないがそれまではフェリーで行っていた場所だ。アクアラインは最初は料金が高すぎて海ほたるもガラガラだった。フェリーの料金はどうだったか忘れたがもうそのルートは廃止されているだろう。いずれにしてもバブルの頃に構想された計画はその後のまさかの不況を想定できたはずもなく(できたのかもしれないが)運用は大変だっただろう。近所でも道路予定地として放置されている土地がいくつも見られるがこれはいつ計画された道路のためのものなのだろう、といつも思う。この土地は私が通った馴染みの店が立っていた場所でもあるのに。立ち退かせるときだけ素早くその後は見通しなし、というのはどんな場合でもよくあるが人の住処をなんだと思ってんだ、という感じはある。本人たちが納得したとしてもそれまでの生活を変え、お客さんを含め関わりの深かった人たちと離れる体験はそんな簡単じゃないはずだ。もちろん「あのときは大変だったけどで結果的にはよかったんだよ」という声もあるだろうし、ぎりぎりまで実現可能性を検討してから動くのでは遅い、というのもわかる。しかし、一気に動く動力を蓄えるためにはそのよな熟考が必要であることもまた事実だろう。

10日ほど前から一日一句は俳句を作っている。二句、三句作る時もありだいぶたまってきた。しかし、これはただの言葉遊びでは、という駄句ばかりで句友たちの素敵な俳句との差が自分でも明らかにわかる。とはいえ継続は力なり。でもやっぱり私は精神分析くらいしか没頭できないのでは、と思い、俳句と精神分析で検索をしてみた。最初にヒットしたのはなんとラカン理論の俳句への適用。ラカン理論が利用しやすいのはわかるが・・・、と思いつつ読んでみた。著者はイアン・マーシャルさん。ペンシルバニア州立大学アルトゥーナ校の英文学と環境学の教授らしい。ソローの『森の生活ーウォールデン』から俳句を抽出している本も書いているらしい。面白そう。とりあえず最初にヒットした文章Jouissance among the Kire: A Lacanian Approach to HaikuをみたところABSTRACTはこんな感じ。

「本稿では、精神分析理論を俳句に適用し、俳句が言葉以前の世界との一体感への回帰の試みとしてどのように捉えられるかを探究する。これは、ジャック・ラカンが「想像界」と呼んだ状態への回帰の試みとして考察される。それは言語というメカニズムを通じて行われ、ラカンによれば、言語こそが我々を「象徴界」へと導き入れ、そこで我々は自己と世界との分離を認識し始める。さらに我々は「現実界」に生きており、そこでは自己の外にある対象は欠如の象徴として認識される。結局のところ、俳句は私たちを欠如と一体、分離と結合という可能性の狭間に置く。優れた俳句は、並置されたイメージを提示するために断片的な構文を用いながらも享楽の可能性を私たちに提供する。これは想像界への瞬間的な回帰であり、俳句の瞬間に関連付けられる世界との一体感への突破である。しかし同時に、優れた俳句は、俳句に詠まれるイメージのように、自己の外にあるものが欠如の象徴となり得ることも私たちに想起させるのである。」

ふむ。そうかもしれないが、ふむ。ソローと俳句の本が読みたい。

Marshall, Ian, “Walden by Haiku,” The Haiku Foundation Digital Library, accessed January 27, 2025, https://www.thehaikufoundation.org/omeka/items/show/3305.

光が溢れてきた。カーテンを開けて過ごしましょうかね。どうぞ良い一日を。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生