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俳句

ガザ、日向ぼこ、荻外荘

夜明け。とてもきれいなオレンジを見られた。これは多分ヒヨドリの声。カラスの鳴き声だけは確実にわかるのにね。

鵯のこぼし去りぬる実のあかき 蕪村 「蕪村遺稿」

パレスチナ自治区ガザ地区、19日に発効されたイスラム組織ハマスとイスラエルの停戦合意に基づく人質と拘束者の交換が行われているとのこと。人質解放の場にガザの群衆が集まって事故が懸念されるとのことなんだけどみんなどんな気持ちで集まっているのだろう。これは「集まっている」というのだろうか。そもそもの居場所はあるのだろうか。ガザはもうすぐ31日になる時刻か。夜は眠れるのだろうか。

村上鬼城の俳句に

うとうとと 生死の外や 日向ぼこ 鬼城

がある。季語「日向ぼこ」には生死を読んだものが多い、と聞いて私もこの前そう思った、と思った。耳が悪く、貧困に苦しんだ鬼城にとっての「生死の外」は、「日向ぼこ」は、どんな心地のものだったのだろう。その人にしかわからない感覚が言葉に包まれることの大切さを思う。

荻窪の小児発達クリニックに勤めていた頃、お昼は外で過ごしていた。美味しいパン屋さんもお弁当屋さんも近くにあった。図書館の公園で食べてそのまま時間ぎりぎりまで本を読んだり太田黒公園まで足を伸ばして散策したりした。クリニックが途中で駅の反対側に移ったので荻窪は駅の両側ともわりと詳しい。クリニックを辞めたあとも保育園巡回の仕事で荻窪にはそれなりにきていた。しかしどんどん忙しくなりオフィス、保育園、分析、またオフィスという生活でごはんを食べたりお散歩したりする余裕は無くなっていた。荻窪はその間に随分変わった。私がいつも買っていた美味しいパン屋さんは駅そばの人気店になった。先日、久しぶりに荻窪で降りた。気に入っていたカフェやごはんやさんはまだ元気そうに営業していたけど注意の張り紙が増えていた。どこも色々大変なのだろうか。今回は角川庭園が目的地だったがまずは大田黒公園をのんびり散策し、復元待ちだった荻外荘へも寄った。大田黒公園の梅にメジロがいて梅の花びらを落としながら頭をあっちこっち動かして蜜を吸っているのがかわいくてたくさん写真を撮ったが動きまくるから目がつりあがったり歪んだような写真ばかりになった。さて、荻外荘は近衛文麿が昭和12年から昭和20年12月に自死するまで過ごした邸宅である。昨年、近くを歩いたときはまだ工事中で公開が始まったら行こうと決めていた。昭和15年7月、東條英機らと「荻窪会談」を行った部屋の壁紙や調度品、近衛文麿が自決した部屋の「黙」という字、いろんなものが視覚に残りなんともいえない気分になった。近衛文麿は服毒自殺、東條英機は死刑、岸信介は釈放、と辿っていると暗澹たる気持ちになる。「黙」でよかったのか?

色々考える。それぞれの平和が普遍的なものでありますように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生