カーテンを開けたら雪ではなかった。昨晩、友達との帰り道、この気温だと雪にはならなそう、と話しながら友達がiphoneをみたら雪予報だった。これから急激に気温下がるのかもね、と言いながらさらにいろんなおしゃべりをして帰った。今日のお出かけのため私もiphoneをみたら予報は雨マークだった。どっちかな、と思いながら夜更かしをした。あまり気温が下がっている気配は感じなかった。そしてさっき。ベランダの手すりにうっすら雪が積もっていたりして、と思いながらカーテンを開けた。雨。この数時間でたしかに気温は下がっているようには感じた。この冬は筋トレの成果か、寒さで体調を崩すことが少なくとても嬉しかったが、今朝はちょっと本当に寒いかも。暖房をつけて電気ひざかけもかけた。お湯も沸かした。今日は朝焼けは始まらなそう。とても静かなので少し窓を開けたら雨の音が意外と大きくてすぐに閉めた。暖まった部屋がまた少し冷えた。
レッテル貼りを防ぐために専門用語を使わずに話すのが得意な人と苦手な人がいると思う。私は自分の特徴に近い症状については可能。精神分析でかなり細かく自分の特徴がわかったというのもあるし、似たような部分を持つ友達や長い付き合いの友達との間でこれまでの自分の変さを言語化してきているから。人はわからないことほど大雑把な言葉でくくる傾向があると思う。なので専門家ではない人が専門用語を使う気持ちはわからなくもない。専門家ならなおさら日常語で話す必要があるとも思う。具体的なエピソードとともに生じている感覚や動きを共有できる相手がいることは本当に心強い。ひとりひとり全く異なるものを誰かと比べてどう、ということはできないけど、この感じってこういうことでは、と具体的なエピソードから実感を捨てずに抽象度をあげていくと馴染みの理論に辿り着いたりもするがそうやって辿り着く理論と知識として取り入れる理論はまったく異なるだろう。
うう、寒くなってきた。せっかくの冬空だからとカーテンを開けたけどまだ閉めておこう。少し遮るものがあるだけでだいぶ変わると感じることができるのもきちんと寒い日があるからだ。強い刺激はつらいことも多いけど、そこからいずれ生じる気づきもあるからそういうのを待ちたい。とても眠くもなってきた。NHK俳句が始まるまでウトウトしよう。鬼はーそと、福はーうち。