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精神分析

Reading Freud最終回。

早起き。おはようございます。今朝も月がきれいです、

昨日は、2024年度のReading Freudの最終回でした。今年度は『フロイト症例論集2 ラットマンとウルフマン』(岩崎学術出版社)を精読しました。2019年からはじめたこの回ですが、メンバーを変えての2度目の鼠男と狼男。今はこう呼ばれた二人の患者さんがどこの誰でどのようなその後だったかも大体明らかになっています。フロイト自身もそうですがフロイトの患者ともなると色々大変ですね。来年度は初期に遡って『1895-99年 心理学草案 遮蔽想起』 (岩波書店)から「心理学草案」を精読します。これまでもフロイトを読んできた人たちと丁寧に学んでいきたいと思っています。メンバーがみんな女性なので、主に男性の集団から生まれた精神分析の言説に対する違和感には素直でいられるかと思いますし、それを内容の難しさのせいにしないようにアシストしていけたらと思うので私もがんばって勉強します。

今日もコレット・ソレールの本を読みながら、ラカンの患者でもありずっとラカンのそばにいたソレールがラカンとの同一化の外に出るのは大変な困難だろう、と思いました。何度通り過ぎてもまだその内側にいる、という体験は誰にでもあると思いますが、本来、精神分析はそこではないどこかへいつのまにか出るはずの治療です。でもそれには自分の分析家との本当に密な関わりのほかに、多くの人との関わりが必要です。ソレールはラカン理論からラカンの「真意」とか精神分析の「本質」を取り出したいのかもしれないけれど、私みたいに、本でのラカンしか知らない女の分析家たちが、ソレール自身の言葉を読み繋いでいけば、ラカンとは離れた場所で、ソレール独自の思考を受け取ることができそうに思うので引き続き読んでいこうと思います。私は女性が精神分析家を志すことは、精神分析における同一化に抗うプロセスを作り出す役割を担うことであると思っているので、地道にやっていこうと思います。

どこまで行けるかよりどこへ出られるか、それを楽しみに今日も過ごすつもりです。どうぞ良い一日をお過ごしください。