春の空はぼんやり。ソメイヨシノが咲き始めた。早咲きの桜もずいぶん楽しんだけどソメイヨシノは老木も多くて迫力がある。昼間と夜の気温差は服装でどうにかなっている。昼間、外に出たら思ったより暑くてあまり歩きたくなかったが視界に入る桜を追っていたらいつのまにかあちこちの信号を渡っていた。桜の木の下で遊ぶ父娘を見かけた。桜の下に立ちたい私とその子のラジコンがうまくゆずりあえない感じだったが上手にコントロールしてくれた。最近、ラジコンをよく見かける。小さいとき、私も誰かので遊んだ。田舎育ちだから場所には困らなかった。上手な子はいろんな技を持っていた気がする。私は特定のおもちゃにはまったことがあまりないがあれはかっこよかった。
あ、ラジコンしてる子がいる、と桜の下の親子を見つけたときの迷いの一瞬を自分で少し笑った。まだ見つけて歩くほどしか咲いていないからその桜の下に立ちたかった。でも邪魔しちゃうかな、と迷った。邪魔にならないようにちょっと地面の悪いところに入ってかえってよろめいて邪魔になった気がしたが自分の欲望はきちんと叶えた。どうでもいい一瞬かもしれないが、こういうときの気持ちの揺れは自分にとっても大事だ。精神分析を受けているときは一瞬の揺れに強いインパクトを受けていた。そういうのを面白がれるようになったから終わった、という感じがする。
神田橋條治先生の『精神科講義』(林道彦・かしまえりこ編)という神田橋先生の講演を納めた本がある。先生はそこで捨て犬を見つけた場合の一瞬の気持ちの大事さを書いている。こういう講演でこういうエピソードがパッと出てくるのがさすがだなと思う。この本は部分的にうーんと思うところはあれどそういうところはあるが神田橋先生の語り口を知っている人には楽しく読めると思う。
もうすぐ四月。歯医者に行かねば。それは別に新年度と関係ないが。今日もがんばろう。