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精神分析

加藤陽子著、モリナガ・ヨウ絵「となりの史学」など。

空が薄い色になっていく。西側の窓を開けたら強めの冷たい風が一気に吹き込んできたけど一回だけだった。行き場をなくした風が溜まっていたのかもしれない。そしてヒヨドリの高くよく響く声。窓を開けると一気に音が増える。カラスと鳩も鳴いている。人間は朝は静かめ。小さな声で、できるだけ言葉少なめで、ということを保育園巡回の仕事で話すことが多い。言葉は内容ではない、というのを精神分析家の先生のスーパーヴィジョンで教わったことを私は精神分析以外の現場でも実感してきた。今はそれを私がいろんなところで伝えている。大事な教えだった。

昨日の夕方、郵便物をだそうと外へ出たらびっくりするくらい寒かった。部屋の中は蒸し暑い感じで冷房をつけていたのに。昼間は半袖でちょうどよかったはず。帰りは上着を忘れないように、と確認しながら温かい飲み物を買った。何年ぶりかの午後の紅茶ミルクティー。「冬の濃厚」という文字が身体にフィットしてしまった。温かいまま飲みたかったからサーモスのカップに移して飲んだ。

今朝は熱い緑茶。印度カリー子レシピでカリカリ豚こまを作っていたら冷めてしまった。「サラダ油を薄くひいたフライパンに入れ、中火で1〜2分揚げ焼き」とあるけど毎回中火で1〜2分では全然カリカリしなくて結構焼いている。カリカリでなくても美味しいのだけどヨーグルトの水分が多いのか、片栗粉が少ないのか。そもそも「サラダ油を薄くひく」のでは「揚げ」には足りないのではないか。でも豚肉から油が出るから揚げ物っぽい音は立てるのよね。印度カリー子さんにどこが問題かチェックしてもらいたい。クミンパウダーを使い切った。カリー子レシピで使うのは小さじ1/2とかなのに地道に減ってついになくなった。この年になってようやくスパイスを賞味期限内に使い切る人になれた。

冷めた緑茶といただくのは箱根の老舗和菓子屋ちもとの「湯もち」。久しぶり。ふわふわ。あっさり口の中でとけてしまいましたとさ。早かった。

昨日、イレギュラーな予定を確認してメールしないと、と思ってiphoneのカレンダーを見たら「しまった、ダブルブッキングしている!」となった。慌てて申し訳ないどうしましょうのメールを打ち始め、もう一度カレンダーを確認したら昨年の予定をみていた。そういえば昨年もダブルブッキングしそうになったから確実にあけられる時間に変えたのだった。昔はいろんな場所でいくつもの仕事ができていたけどやること定まってからは規則正しいのになれてしまって毎回ドキドキする。先方もわかっててリマインドのメールをくれたりするから助かるけど。

今、加藤陽子著、モリナガ・ヨウ絵の「となりの史学」(毎日新聞出版)を読んでいる。東京大学出版会のPR誌「UP」で2010年11月号〜2018年11月号まで連載されていたものに加筆・補正を加えたものとのこと。「UP」はたまにしか読んでいないから知らなかった。著者が書いているけどこれが連載されていたのがどういう時代かというのも大事。東京大学出版会が出した関連書物を読み込みながら書かれるこの本の第1章は井上陽水の「なぜか上海」で始まる。陽水の父親は衛生兵としてソロモン諸島で戦って俳句も作っていたとのこと。大変読みやすい。そしてモリナガ・ヨウさんのイラストがすごく味がある。この本の「おわりに」が書かれたのが2025年4月という。トランプ政権が二期目となり、世界がいよいよ歴史を放棄しはじめたような気がした頃だ。まだほんの半年前のこと。戦争は終わらず、生まれたばかりの子供も殺され、それに対するグレタさんのような人たちの戦い方もぶれない。戦後80年、私は井上陽水も身近だし、80年の前半30年は知らないけど50年は過ごしてきたわけで、今、昭和の出来事や景色を思い返すとなんだか違う色の世界を見ているような気持ちになる。実は私も世界も何も変わっていないのかもしれないけどいろんなことは相互作用だ。平和という言葉は今も重みがあると思う。戦争とは違って。若いお母さんが眠っている子供の隣でぼんやりしながら「へいわー」と言っていた。束の間でも平和を感じられる心を守るためにできることを考えながら仕事して勉強して生活をする。どれもこれもこういうことができるってまだかろうじて平和なんだ。

良い一日になりますように。