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精神分析

ピアノ、音、冬

第19回ショパン国際ピアノコンクールで桑原志織さんが4位に入賞した。素晴らしい演奏だった。コンクール直後のインタビューも知的で落ち着いていてとても素敵だった。ピアノが弾けるだけでもすごいのにズゴイひとの音は全然違う、と言っていた子がいた。本当にそう思う。小さい頃からいいものに触れられたらいいね。

一方、プロの音楽家を目指している子と一緒にその子がコンクールで賞をとったときの演奏を見返していたとき、途中でその子がにわかに落ち着かなくなり「このあと!うわっ、聞かないで!はずかしい!」とか言いだした。私にはどの音がその子にとっての失敗だったのか全くわからなかった。プロになる子はやっぱりすごいのじゃな、と思った。

桑原さんはコンクールを通過点としつつやれることはすべてやれたとおっしゃっていたがこの子みたいな瞬間もあったのだろう。プロの耳の細やかさを私は一生体験できないけど耳と同じくらい繊細な指との協応から奏でられるその演奏に心振るわすことはできる。魔法だな。音楽って素敵だ。YouTubeで無料で聴けるなんてさらに。良き時代かも、そこは。

今日は雨。雨の音はみんな子供の頃から聞き分けてきたと思う。雨自体の音ではないだろうけど。風、屋根、土、アスファルト、傘、いろんな素材を介して聞こえてくる雨。詩人や俳人も音楽家と同じように良き耳を持つ人たちだと思う。

「氷点下になると、川の流れは白い氷の下に閉じ込められる。凍る瞬間も揺れ動いたため、川面の模様や同心円状に広がった波紋が透けて見えるところもある。表面は厚い氷に覆われていても、川底では変わらず水が流れ、魚が泳いでいるはずだ。どれだけ硬いのか確かめたくて、私は足元の石ころを拾い、氷の上に投げてみる。石は鈍い音をさせて跳ね、そばに落ちる。歩いてもよさそうなのに、なかなか足を踏み出せない。」

ハン・ジョンウォン『詩と散策』 시와 산책(橋本智保訳)の「寒い季節の始まりを信じてみよう」の一節だ。まだ冬ではないが冬を感じると読みたくなるエッセイ。たくさんの詩人の詩が引用されている。

こうやって能動的に音を発生させて拾うことも私たちはよくやっていると思う。最初は自分の動きに呼応して偶然聞こえてきた音を拾う。次は意識して立ててみたのを拾う。そして「ならこれは?」と少し力を弱めたり強めたり位置を変えたり。一つの音との出会いが次を広げていく。自由連想みたい。精神分析の言葉もこうやって聞かれていく。単に内容ではない。

昨日は寒くてすでに平均以上の厚着をしているのに置きっぱなしの上着をさらにかぶっていた。カーディガンにもなる膝掛けみたいなやつ。きれいに四角に畳めるのにきちんと洋服にもなるのすごい。寒くてなにもしたくない病がすでに始まっているが、ひたひたと近づいてくる冬の支度を楽しくできるように工夫できたらいいな。とりあえず今日を温かく過ごしましょう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生