カテゴリー
精神分析

ジェラート、一次過程

空がしっとり。雲もない。今日はどんな雨なのかな。花壇に植えたお花や野菜が発芽しはじめた。かわいい、と呑気に眺めていないで間引きしなくては。毎日なんらかのお花の写真を撮っているけど自分で育てる過程も写真に収めながら育てよう。それにしても植物のことも調べ出すとキリがなくどんどん時間が経ってしまう。

昨日、北海道の中標津町、ジェラートシレトコのジェラートをもらった。遅い夕飯を食べたら動けなくなってしまったのでひとつ食べてしまった。エネルギーが残っていると色々やるべきことをできるけど残っていないと食べる気力しかない。美味しかった!箱に入っていた商品の紹介の紙をなんとなく眺めていたら「食べる前にほんの10分間お部屋の中に置いておいて」と書いてあって危なかったーと思った。私はこういうのはどれどれと食べながら読むことが多いので、硬いままいただくところだった。でも昨日の私に10分は長く、ヒーターのそばに置いて最速で柔らかくしてネリネリして食べた。中標津かあ。知床と根室は行ったことがあるけど中標津はないかも。通ったかもしれないけど覚えていない。酪農が盛んということでジェラート。きれいな景色なんだろうなあ。行ってみたい。美味しかった。ジェラートはアイスより罪悪感少ないけど、そのあと変な格好で寝てしまったのは失敗。疲れてるといつもしないことをしていつもと違うスペース作り出してそこで寝てしまったりする。なにやってるんだろう、と眠い頭で思ったりもしながら。すぐそこのベッドに行けばいいだけなのに。ジェラートをとりにいく気力があったのならそれくらいすればよいのにね。まあ、夢見る状態に近づくと人は変なことしてしまうものだね。一次過程に向かう状態。

Reading Freudで『心理学草案』を精読している。これはわかるとかわからないとかいうものではなく、単にヒステリーの真的過程を解明するためのものでもなく、フロイトの自己分析のプロセスで書かれたものであり、概念になる以前の原初的な言葉が生じるまでのニューロンの運動を体験してみよう、という論文だな、など話しながら読んでいる。つまりフロイトも一次過程の心に浸されつつなんとか言葉と思考でそんな自分を宙吊りにしながら書くみたいなことをしていたのではないかと。『夢解釈』だってそういう位置を取れないと書けないと思う。そしてそれはかなり病的な状態になる、ということでもあると同時に、精神分析過程ではどうしようもなく生じてしまうので、設定がそれを助長すると同時に、設定がそれを抱えていくということをする。フロイトの自己分析には限界はあれど、こういうのを読むとひとりでふたりの役割を十分にやっている気がする。そしてそれはそのまま精神分析家の役割ってただ他者として存在することではないわけで、とか色々照らし返されるものがある。フロイトがヒステリー患者から受けた衝撃をその心的過程をなんとか形にするという使命に変えたのは、自分の一次過程に十分に浸されたからなのだと思う。そこをを生き延びるにはこういう困難な知的作業を同時にする必要があったのではないか。昨晩は、第三部、正常なニューロンの過程について書かれたところをみんなで読んだが、不快、注意、表象、指標、欲望、思考など私たちでも知っている概念を言葉の意味を固定化する以前の動かせる状態で読んでいかないと私たちが知っている範囲(めっちゃ狭い)でしかこれらを捉えられなくなる。それだとフロイトを読むことはできないので、かなり夢見に近い状態で読んでいかないとかもね、など話した。面白かった。その前の事例検討も非常に面白かった。いろんな実践から学びつつ古典も読んでいく。今日もそんな1日になる。疲れ知らずなら余力で書き物もできるだろうけどどうなることやら。昨晩の自分の状態を思い返すに無理そうな気がするがなんとかしましょう。

鳥たちが鳴きながら素早く通り過ぎていった。雨、あまり降りませんように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生