薄い色の空がいつのまにか光でいっぱい。このWordpressのサイトのセキュリティの警告みたいのを対処の仕方がわからなくて放置してしまっていたのだけどchatGPTに聞きながらできた。すごい。やってみれば簡単だったのだけど説明のサイトをみても用語がわからないからそこまで遡って「それってなに」と聞けるのはいいね。私の周りは使いこなしているらしいけど私はいまいちその存在を忘れてしまう。ああ、それにしても朝から時間とられた。明日までにやらねばならないことがある、というときにこういうことを始めてしまうのが人間というもの。はあ。コーン茶で一息。
小さいとき、実家のすぐそばはトウモロコシ畑で自分の背よりずっと高いふさふさのなかを犬と一緒にくぐりぬけて遊んだ。トウモロコシが交易ルートのひろがりとともにその遺伝子を世界中に広げたのはずっと昔。やっぱりコロンブスが絡む。そしてもちろんダーウィンもトウモロコシの適応能力(?)について天才ならではの議論を展開している。近所のトウモロコシ畑がアメリカの広い大地にたくさんあると知ったのは社会の時間。地図帳か資料集みたいのか、後ろのほうにのっている穀物などの国別生産量のグラフをみるのが好きだった。親戚の子がペンで触れるとその国名の音声が国家とともに流れる本が大好きで一緒にいろんな国をポチポチした。コロンブスやダーウィンだったら熊の行動の変化をどう描写するのだろう。トレーナーさんともお互い山好きなので熊の話をよくするが、アラスカの生活を流しているYouTubeを教えてもらった。みてみたら家を建てるところからでびっくり。その土地で暮らすということは、と考えさせられた。とにかく遡ることは大事だ。トウモロコシだってアメリカで暮らすには、とトウモロコシが考えたわけではないけど、人間がトウモロコシの能力に驚かされながら積み上げてきた知見にもとづいて栽培されてきたわけだし。
人間同士の絆みたいな言葉もいいが、なんで人間がつながる必要があったかとかを視覚とか聴覚とか感覚モダリティの発生から考えるとか、精神分析やってるとそういうこと考える。特定の時間、ほぼ聴覚に刺激を集約させてそこでなにが処理されたり積み残されたり言葉になったり記憶を作ったりしているのか、それは目にはみえないけどイメージはできなくはない。知覚や記憶に関する知見の積み重ねだっていまや膨大だろう。バタバタしながらバタバタとしたことを書いているけど。どうぞ良い一日を。

