カテゴリー
精神分析

デイサービス見学、エルリッヒーパーソンズ論文

気持ちいい空気。今日も厚着してるけど寒さは週末ほどではない。新潟は寒かった。

昨日は学生の頃にはじめた障害児との仕事からの広がりで知り合った人たちと会ってきた。最初はとてもこじんまりと始まった地域密着型デイサービスの利用者さんが増えて、私が伺った時間も小さなお部屋の大きな机は満席。様々な介護度の方々が看護師さんに盛り上げられながらかわいいどんぐりの葉っぱを折り紙で作っていらした。よく言われていることではあるが何か作業をしているということ自体が本当に大事と実感するとのこと。そうだろうなあ。自分の老いだって視野に入ってきた今、昔こういうところに伺ったときとは違うものを感じた。それにしてもこの大変な仕事を生活の糧にしていくのは本当に大変で、行政の枠組みでやらねばならないこと、必要だからやってあげたいこと(現場にとってはこちらこそやらねばならないことだが)など優先順位って本当にそれでいいのかということもあるし、何をやるにも人が必要で、そのためにはその人たちの生活を守る人件費が必要だがお金のことが何よりも難しい。そして居場所だけではない(ひいてはすべて居場所のためだが)関わりのためには知識も実践も必要だが若い力が育って盛り上げてくれるような未来がみえている領域ともいいがたい。なくてはならない仕事なのに。昨日は幼稚園教諭で作業療法士の友人も一緒で、みんな若い頃からの知り合いなのでそれぞれの近況報告をしつついろんな話をした。難しいことだらけだが面白い話としてもそれを語ることもできるのはお互いを知っている気楽さゆえ。当時、まだ生まれていなかった子たちの今の年齢にまず驚く、というのを毎回やっている気がするが、その分私たちも老いた、ということも当然セット。昨日伺った場所は土曜日は「こどもの居場所」と「みんなの食堂」という地域の子供たちが気軽にやってこられる事業もやっている。子供から老人まで当たり前のように一緒にいられるようになるにはそういう経験が必要だと思う。私たちはどれも自分が通る道なのになぜか分けてしか考えられないときもある。私たちは重度の障害児と関わってきたのでとても具体的なこととして彼らのことも話すが、そういえばそういう場は少ないような気がする。専門家としてではなく生活に当たり前にいる人たちのことを考える時間と場所。専門家として働いて生活を維持しているわけだから有意義に連動させていきたいな。具体的に話せば話すほど個別の事情が複雑に絡み合っていることがわかるのでなんともいえないとみんなで頭を抱えることのほうが多いがそういうことが必要だと思う。それにしてもみなさんパワフルだった。「もうこれで最後かな」というのをきいて「ここまでこれだけのことをやってこられたのにまだやりたいことがおありなのですね!」と驚くことも会うたびにやっている。ほんとすごい。人生の先輩方をみれば私もまだまだ残りの年数を気にせず色々やれるかもという気もするがフロイトの精読しているうちに人生終わりそう、と思うこともしばしばなので私の時間というものを考えていかねばならない。予測通りにいかないという前提ありきだしどこで終わっても道半ばだろうけど。

昨晩はおすすめの論文ででてきたParsons, M. (2025) Israel–Palestine and the Internal World. International Journal of Psychoanalysis 106:854-855を読んだ。

これはErlich, S. (2025) Is psychoanalysis relevant to the Israeli–Palestinian conflict?. International Journal of Psychoanalysis 106:165-173に異論を唱えるマイケル・パーソンズの論文。

あー、エルリッヒ先生のこの論文、私も読んだよー、なんともいえない、本当に難しい気持ちになったよね、と思いながら読んだが、これはこれでどうなんだ、その精神分析的理解はエルリッヒ先生と十分共有できているところなのでは、と思い、うーんとなっていたら、エルリッヒがパーソンズに応答したものも同じ巻に載っていた。

Erlich, S. (2025) Response to Parsons: Correspondence Concerning the Psychoanalytic Controversies Section on the Israel–Palestine Conflict (Issue 1, 2025). International Journal of Psychoanalysis 106:856-857

うむ。パーソンズの受け取り方の失敗であることもわかるが、こういう対話って本当に難しく、論点が拡散してしまいがちだからエルリッヒの最初の論文に立ち戻りつつ考えることが誠実であると思う。イスラエル出身の精神分析家として、イスラエルの歴史を生きてきた当事者として語ることの痛みを抱えつつ、依頼に応えて書いてくれたものだし。これを最初に読んだとき、言葉を失うような感覚と精神分析のなせること、なしてきたことへの複雑な思いが押し寄せてきた。エルリッヒ先生についてはシガニー賞のウェブサイトを載せておこう。前のページはTAKEO DOIだね。

今日も色々な話をしながら過ごすのだな。みんなはどんな一日。がんばろう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生