あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
年末という実感をまったく持てないまま新年を迎えた。紅白を見終わって寝たが寝たり起きたりの間に分析協会の人たちが夢にでてきた。夢で夢についての文章も読んだ。
年末年始の過ごし方は、子どもの頃とはもちろん違うし、東京が長くなってからも少しずつそれらしい行動や儀式は減ってきた気がする。年をとってからのほうがそういうことをしたい気持ちは強いのだが。旅先でのほうが故郷は思いだしやすく、懐かしい感じで笑いあうことも多い気がする。いろんな世代のいろんな人からいろんな話をききたい。
昨年のReading Freudでも「当時の」「当時は」という話をたくさんしてきた。フロイトが経験してきたフランス精神医学、ドイツ精神医学の違い、ものすごい読書量で様々な先行研究を持ち出すのは創始者として精神分析の正当性を主張するためにほかならないが、そのエネルギー量が精神分析実践をしない人たちにもいまだにものを考えさせていることがそのまま精神分析の魅力だろう。昨日も少し書いたが思考する主体の存在は自明ではない。私たちは常に誰かに巻き込まれ乗っ取られている。もちろんその不自由さはリスクでもありポテンシャルでありチャンスだ。
歴史といえば、ウィニコットの「舌圧子」論文も今の人にはピンと来ないのではないか、当時の舌圧子を知らないから、という話もした。歴史は本当に大事だ。どの人も最初からいくつもの歴史にまきこまれながら新たな歴史を紡ぐ一人になっていく。知らないことに自然に開かれつつ学んでいくこと。焦る必要はないし、大きい声が正しいわけでもない。いろんな人とのつながりのなかで自分を誰よりも大切にできるように。そのためにはどうしても他者が必要であることに素直に、地道に日々を歩むことができますように。
今年もがんばりましょう。

