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精神分析

祝日

まだ暗い。今日はあたたかいどころか暑くなるらしい。たしかに早朝から暖房いらず。今日はいっぱい歩く予定。

昨日は色々やって楽しくも疲れた。そんなこんなで書く時間がない。アイデアは深まっている気がするというか、この段階でインプットはやめたほうがいいのはわかっているが検討が浅かったところをどうにかするにはちょこちょこ再読が必要で、すると新しい知識もついてしまうという悪循環。普段ならいいことなのだけど。私の場合、疲れをとるのも読書だからそれをする暇なく家のこととか仕事と全然違う感じで動くのはいいことなのだが、それはそれで頭の使い方が全然違うので切り替えが下手。そう、ようするに散漫なうえに切り替えも下手なのだ。

さすがに眠いなあ、といつもよりはやく眠くなりながらパラパラしたのは木村敏。やっぱりすごい。土居健郎もいいが木村敏の文章もきれい。『時間と自己』(中公新書)の最初のほうのここからしてよい。

「外部空間のものとは、見るというはたらきの対象となるようなもののことである。もちろん眼に見えないものも多い。しかしそれは、われわれの眼の能力に限界があるためであって、そのものが原理的に見えないということではない。それと同じように、内部空間のものについても、「見る」という言いかたが許される。われわれが頭の中で考えをまとめようと努力しているときなど、われわれは自分の考えが浮かんでくるありさまをじっと見続けているわけである。外部的な眼で見るにしても内部的な眼で見るにしても、見るというはたらきが可能であるためには、ものとのあいだに距離がなければならない。見られるものとは或る距離をおかれて眼の前にあるもののことである。それが「対象」あるいは「客観」ということばの意味である。ものはすべて客観であり、客観はすべてものである。景色を見てその美しさに夢中になっている瞬間には、景色もその美しさも客観になっていないということがある。景色や美しさとのあいだになんらの距離もおかれていないから、われわれはその景色と一体になっているというようなことがいわれる。主観と客観とが分かれていないのである。そのような瞬間には、われわれの外部にも内部にもものはない。われわれはものを忘れた世界にただよっている。しばらくして主観がわれに帰ると、そこに距離が生まれる。景色や美しさが客観になる。そしてわれわれは、美しいものを見た、という。あるいは美しさというものを余韻として味わうことになる。」

ですね。対象を見出すには距離が必要。「対象」概念重要。今日は身体も頭も心もうまい具合に使えたらいいな。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家