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精神分析

本を読んだり。

曇り空だねえ、と少し明るくなりはじめた空を何度も確かめた。別に晴れを望んでいるわけでもなく、このままでもいいのだけどまるで何かを期待しているかのように何度も空を見てしまう。うっすら曇ったまま少しずつ明るくなっていくだけだけど。

昨日、そばにあった三島由紀夫の本を2、3頁読んだのだけどあれはなんの本だろう。カバーがしてある本。あのカバーはなくなってしまった本屋さんのではなかった気がする。本屋さんで「カバーおかけしますか」と言われると「あ、結構です」といつも断る。時折「あ、結」くらいのところですでにさささッとカバーがされていることもある。そんなときは、ああ、世の中にはカバーを欲する人の方が多いからこの書店員さんのルーティンはこっちなんだろうなと思ったり思わなかったりする。コンビニの「袋どうされますか」は正確度が高い気がする。最近は「あ、結構です」の人の方が多い気がする。

昨晩、遅く帰ってきて、少し作業するぞ、と洗濯機かけながらPCにむかったが先日パラパラしてここ大事だなと思ってひっくり返しておいたブルース・フィンクの『精神分析技法の基礎 ラカン派臨床の実際』をひっくり返してしまいそれを読んでしまった。アメリカの分析家ならではの危機感をもとに書かれた技法の本だが、ウィニコットとケースメントの引用が多いというか、きちんと読んでいるんだな、と思えるのがそれらをきちんと読んでいる私にも嬉しい。読み方の違いも含め、きちんと読んでいる人との対話は楽しい。ウィニコットに関しては読むべき人としてあげられている。フロイト、ラカン、クライン、ビオン、ウィニコットは著名な分析家たちは読むべき分析家としてあげるし、実際そうだと思う。結局臨床と理論を接地させるときにはこの人たちに戻ってばかり。精神分析における自閉症論に関してはタスティン、メルツァーがそこに加わるだろう。人は誰でも自分に寄せた理解、つまり思い込みが激しいので何を読んでも同じインパクトしか受けないという場合もあるから読むこと自体が大事というわけではないし、精神分析家になるのでなければ「読むべき」とは思わないというか、私は精神分析家になるプロセスでこれらを読まずにはいられなかったしなってからはますますそれは必須だし日常になった。不思議なものだ。

二月は短いことを否認していた。締切伸ばしてもらったのにそれに気づいて再び困り始めた。昨日は少しだけ進んだ。今日もがんばろう。雨は降るのかな。少しは降ってもらわないとだけど風と一緒はいやね。いい一日になりますように。