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精神分析

理想化とか。

いいお天気。昨日は午後になれば暖かくなるのかと思ったらそうでもなくて晴れ間がみえたのも思ったより遅かった。それでも夕方になってオフィスの窓から明治神宮の森を見るとだいぶ春色になった感じがした。その向こう、渋谷の高いビルも西日でオレンジに染まっていた。帰りは置きっぱなしにしておいた上着を一応重ね着してから出た。ちょうどよかった。空を見上げると月がとてもきれいで、いつもの夜よりすれ違う人が多くてそれも春っぽかった。最寄りの駅に着くとカップルとすれ違い「春なのになんでこんな寒いの!」という声が聞こえた。ほんとそうだな、と少し面白かった。今朝も東京はいいお天気。春のお天気は読みにくい。花粉もあるから洗濯物は外には干さないけど一番使い勝手のいい折り畳み傘が探しても探しても見つからないので急な雨とかは降らないでほしいな。ほんとどこ行っちゃったんだろ。

昨日、なんとなくKindleで『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―』斎藤環著 、與那覇潤著を再読していて小保方晴子さんに対する記述を失礼だなと思った。前に読んだときもそう思ったのかどうか忘れたがこのお二人の言葉にはちょこちょこ似たような失礼さを感じる。斎藤先生はひきこもり支援の現場を間接的にご一緒した身としては尊敬しているし、ここで私が失礼だなと思ったのは與那覇潤さんの言葉だが、対談なので介入はありえたよねと思う。しかもこの本は賞もとっていると知った。知識人の多くには受け入れられたということだろう。

さて、これもまた別の読み物を読んで思ったことだが狭い世界での理想化というのは怖いもので、現実と出会わなければそれはいつまでも続き、現実を知ると一気に幻滅へと反転する。理想化は現実と出会いたいという願いである場合もあるが、多くの場合はその逆だ。現実という広大で複雑なわかりえない世界の、ものすごく小さな断片を切り取ってそこで「甘え」の夢を見続けられるのが理想化だろう、と私は思っている。私もたやすく理想化され、たやすく幻滅されるプロセスを多く経験しているが、精神分析の場合は、幻滅のプロセスが非常に大切になってくるので、「出会う」とはということから考えることが必要になってくる。いずれにしても理想化するなら狭い世界ではなく、遠い場所の人の声とも真剣に対話するなかで、がいいな、私は。

今日はどんな一日になることやら。いいことちょこちょこありますように。ちょっとした楽しいこと、面白い言葉とかって通り過ぎるとすぐに忘れてしまうけど意外と出会っているものだと思うしね。どうぞ良い一日を。

月曜日の初台