寝ても寝ても眠い、ということは今日はないがまだいくらでも寝られそう。でも寝てばかりだと腰が痛くなるからね。と毎日なにかをしすぎると不調が生じるということを書いている気がする。
すっかり日の出が早くなって明るくなったからと起きてみてもまだ5時台。ここ数年といってもすでに10年くらい経っているかもしれないけど目覚ましがなくても早朝に起きてしまっていた。朝一番で精神分析やスーパーヴィジョンを受けていた年月もむしろ快適に早朝散歩しながら出かけたりしていた。人の少ない都会で昼間には誰も気が付かなそうな葉っぱや花や実をじっくり眺めながら歩いた。それがこの冬、数回寝坊した。自分で少しびっくりした。30代のときに働いていた精神科病院で老齢の看護師さんたちが「年寄りになると早起きしているんじゃなくて起きちゃうのよ」と迫力ある声でいっていた。私はその起きちゃうがとても早くにきたんだなと思った。大学生までは低血圧で朝全く起きられなかったのが血圧もどーんとあがった。朝からごきげんなのはいいがやっぱり長期間寝不足だったと思う。頭も身体もこころもちょうどよく動かして今日も疲れた~といっぱい寝て朝の光とともに起きることを自然にできるようになりたい。
分析家のオフィスに通うまでに枇杷の木があった。私は「今朝の枇杷」という感じでしょっちゅう話していたと思う。分析を終えるときは終わりの作業に数か月準備することが多いが、私の場合、約10年間の分析の終わりはとてもゆるやかに設定された。終わる話がなんとなくでてから一年以上かけただろう。それまでがあまりに大変だったから実際そのくらい必要だったと終わってから思ったが、ここで終わってもいいけどこういうことがあるからもう少しやろうかな、まあそうだね、みたいなことをのんびり話しながらやっていた。そのゆるやかな作業の日々のある日、枇杷が枇杷がとかいっていたらあっというまに一年経ってしまった、といったら分析家は笑った。シルヴァスタインの『おおきな木』(The Giving Tree)とは別の形で私の時間を整えていてくれたあの枇杷はきっとまだ日当たりのよい都会の道であまり日陰を作ることもなく、誰かに実をとられることもなく日々を過ごしているのだろう。そういえばそんな枇杷の下で、外国の人が枇杷のパックをもって食べていたことがあった。びっくりしたし楽しい気持ちになった。その人が今自分は枇杷の木の下にいると気づいていたのかどうかはわからない。言葉がわかればそんな話もきけたかもしれない。
今日はどんな一日になるのかな。いい一日になりますように。

