昨晩の雷はすごかったですね。窓の外が瞬間的に真っ白に光って白とオレンジを基調とした我が家のカーテンの色がそのときだけ消えていました。そして向こうの空というものを感じさせるあの音。雷のときはただただ広がっているかのような空に位置や距離を感じます。空が光って何秒であの音がくる。身を潜めるようにして数えながら待つ。少しずつ近づいてくる地響きのような音が向こうの空から。そして落ちる、どこかに。上毛三山(赤城、榛名、妙義)に囲まれて育った人は夏の雷の威力をご存知のことでしょう。昨日、群馬県は雷に強風に雹までふったそうです。東京の雷はカーテンの中まで入ってくるような感じはせず内側の私はいつの間にか眠っていました。
今朝は三重県四日市市のお土産「なが餅」をいただきました。7枚入り。こんな名前なのに日持ちはしないとのことで開けてみると薄っぺらくて長くて白いお餅が折り重なっていました。こんなに薄いのにきれいに餡が入っていてすごい。創業天文拾九年とのこと。まさに長持ち。お日持ちの短さはペロって食べられちゃうから心配ご無用でした。
「心配ご無用」といえば・・・。親密だったはずの相手から適当に扱われると感じるととても辛いですよね。例えば、元々誰との関係でもどこかルーズな人とは知っていましたが仕事も公私混同で信頼関係を崩す方にいっているように見えたので心配したらまた圧をかけて黙らせる雰囲気の言葉が返ってきました。またか、と怖いし面倒だったので「心配ご無用ですね」といったら「心配ないなんていいましたか」とさらに圧をかけられました。どうしていつもそういうふうに追いつめる言い方や態度になるのだろう、平然と嘘をついているのはあなたなのに、と思いつつなんとかきつい仕事もこなしました。相談などできるはずはありませんでした。その人が「しんどい」と書けばSNSではたくさんの味方が心配してくれました。いつも無条件に味方してくれるビジネスパートナーと外で美味しく楽しく過ごしているようでした。一方でこちらには関わったこと自体を「後悔しています」と言いながら圧をかける言葉を使い続けていました。「賢人」と言われる人でも心ない言葉の使用や身体への雑な関わりは普通にあります。外から見えるものではありません。こんな例は身近にたくさんあることでしょう。外での優秀で素敵な振る舞いと思いやりのない暴力的な言動は両立するということは今やだいぶ一般的な知識になりつつあります。なのになくなりません。傷ついた心身の回復は遅れます。そういう人たちは絶対に変わらないんだということを見せつけられながら立ち上がらなくてはいけないからです。現実を否認できる人、言葉だけは巧みに扱える人、社会的にはそういう人の方が強いというのは世の常です。男でも女でも。「そうなりたいんですか」と聞けばみんな「なりたくない」というのに不思議なものです。今日はどう生きていきましょうか。朝がこなければいいと願いながらいつの間にか眠ってしまった人の絶望はなかなか知られることはないでしょう。助けになるのは人だけではないというかむしろ言葉のいらない世界かもしれません。この暑さと折り合いをつける方が難しいですよ、という人もいるかもしれません。それならそれは本当にそうだから一緒に笑えそうです。どうか今日もそれぞれになにかしらに支えられて一日を過ごせますように。