隣の家の雨戸が開く音。今日はお互い遅いですね。私は資料作りに時間がかかってしまった。二度寝してしまったし。何度寝でもしたい。東京の雪はあっという間に溶けた。昨日の朝は雪かきも少ししたが夜帰る頃には隅に追いやられて盛り上げっている雪以外はほとんど消えていた。朝と日中はいろんな雪だるまを見た。小さな子が球体を作って持ち上げようとしても持ち上がらない。「重たい」「重たいね」とお母さんと言い合っている。お母さんは赤ちゃんを抱っこしてその様子を見守っている。その子もなんどもがんばるがどうしても持ちあがらない。「重たいね」と私も呟きながら通り過ぎる。ちょうど横を通るとき、その子が「えいっ、えいっ」と小さな足で自分で丸めた球を踏み始めた。イライラしている様子はないが悔しかったのかもしれない。自分で作ってそれが使えなければ壊す。なんかすごく大切なプロセスのような気がした。小さな足では壊すのも容易ではないようにみえたが。今度雪が降る頃にはこのくらいの重さなら持ち上げられるかなというプロセスが働くだろうか、それよりもこのくらいの球なら軽々持ち上げられるようになる方が早いかもしれない。子供の成長は早い。
雪を見ながらロバート・フロストの詩を思い出し、フロストを愛する精神分析家のオグデンのことと一緒にちょっと書いていたのだが別のところにメモ的に書いていたので暇があったらまとめたい。ちょっと、かなり余裕がない。もう行かねば。
どうぞみなさんもよい1日を。寒さにもお気をつけてお過ごしくださいね。
(メモ的に書いてるのはこんな感じ)
昨晩、雪を眺めながらロバート・フロストの詩を思い出した。ひとつStopping by woods on a snowy evening,もうひとつはDust of snow.
サンフランシスコの精神分析家であるトーマス・オグデンはフロストを好んで引用し、その解釈を行ってきた。彼にとって詩を読むことと分析実践において患者の話をきくことはほぼ同じである。彼は近著”Coming to Life in the Consulting Room Toward a New Analytic Sensibility”
8章 Experiencing the Poetry of Robert Frost and Emily Dickinson.でもロバート・フロストの最も有名な詩を取り上げている。Stopping by Woods on a Snowy Eveningがそれである。