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俳句 言葉

俳句、「病院ラジオ」

今日もオレンジの光が溢れる時間。窓を開けたら同じリズムを刻んでいた箒の音が大きくなった。早朝からありがとうございます。多分、通り全体を掃いてくれている。両手を頭の後ろに組んで首を後ろに曲げた。椅子に座っておなかに力を入れて腰を立てた。昨日は結局何も進まなかった。この数日間で「これでいこう」というのは何回か浮かんだが自分自身が全然ピンとこず書くことができない。いつもこの時間がすごく長い。決まれば一気に書けるけど推敲の時間がなくなるから結局中途半端になる。俳句でもそう。学ばない。

先日のNHK俳句は句会形式でとても楽しかった。視聴者が投句した俳句を選評する高野ムツオさんの言葉に泣いてしまった。その俳句をさらに良いものにしていた。選評を聞くと「とればよかった(点数を入れればよかった)」と思うこともしばしば。読む側との相互作用で俳句は光り方を変える。マッチョな世界でもあるが、言葉の繊細さをしなやかに美しく形にしていく芸であることに間違いない。私が筋トレでダンベルの重さより美しい形で動くことを目指しているのもそれに近い。子供の頃から肩が強くてソフトボール大会ではピッチャーだったし、バスケ部でも長く速いパスをするのが得意だった。今、自分の筋力のアンバランスを知るとあの頃に気づきたかったなと思う。スポーツは好きだけどもっと楽しめたと思うし怪我も少なくて済んだと思う。

といっても身体は予防だけではどうにもならないことだらけでもある。原因不明の不調、突然の大病、あっという間に亡くなる人、いろんな場面を見えきた。身近に患者になる人が出れば周囲の人も揺さぶられる。それまで当たり前のように送ってきた毎日のリズムを変えなくてはいけないこともある。みんなが気持ちを揺さぶられる。正確に予後を判断し私たちを安心させてくれる方法はほとんどの場合ないが、確率的にはこうだ、ということを丁寧に説明してもらえることは多い。そこに時間を割いてくれる人の姿を見ると関係なくても安心したりする。昨日の朝にやっていた「病院ラジオ」がそうだった。朝ドラを見終わったらそのままそれが始まってなんとなく見ていたら何度も泣いてしまった。今回、サンドウィッチマンが向かったのは東京都立小児総合医療センター。私にとっても身近な現場だ。病院の様々なところに置かれたラジオから流れるのは遺伝子の病気や癌、摂食障害などの体験している人たちとサンドウィッチマンの対話。テレビではそれを聞いている別の患者さんや家族の様子も映される。それぞれのエピソードに笑ったり泣いたりをみんながしていた。病院で彼らと時間をともにしてきた病院スタッフの表情や関わり方も心に残った。それぞれの立場でできることをひとつでも多く確実にこなしていく。たとえ生きている時間がそんなに長くないという予測があるとしても単にそれを引き伸ばすだけではなく、その時間自体を豊かにしていく。そういう関わりができるんだな、と思いながら目の前のことに振り回されるときの自分を反省した。こういう番組はいい。文章で共有される語りにも引き込まれるが、音声にはまた別の力があるような気がした。この番組は不定期なのかな。何度か見たことがあるけど今回も見られてよかった。

今日は水曜日。いちいち確認しないとわからなくなりそう。今日もいいお天気。がんばりましょ。