朝焼けがきれいだった。今日はすっきり晴れるのかも。あんまり寒くないし。昨晩はとてもきれいに月が見えた。立待月。月は名前がついてなくてもいつもきれいだけどね。
昨日は下曽我駅前の松栄堂さんのお土産があってすごく遅い時間だったのにいただいてしまった。今日中って言われたし。開運勝餅大福と五郎力餅。三郎って読んでいたら五郎だった。包装の折り目のせいだけじゃなくて「五」の下の線が太くて上にかかってたから。ここのお菓子、甘すぎなくて本当に美味しかった。私も昔行ったことがあるらしいのだけど曽我梅林に行ったことは覚えているのだけどなあ。ハイキングに行くと大抵その町の和菓子屋さんがあるので1つ2つ買ってその場でいただいたりする。お茶を出してくれるところも多い。どこからきたの、とかいわれながら登ってきた山の話やその町の話をする。梅まつりがあれば屋台で買ってしまうだろうし記憶がないけどまたここのいただきたい。大福も美味しかった。開運しますように。
イスラエルのヒズボラ空爆、ガザに対してもそうだけど合意ってなんだろう、合意に違反っていえば攻撃が正当化される世界ってなんだろう。NY市長選でトランプとの対立姿勢が明確な民主党左派マムダニ市長が誕生したが、すごいエリートなのね。インド系移民であるとかムスリムであるとかを押し出すのではない方法で、つまり多様性を打ち出すのではない方法で格差拡大に対する政策を打ち出したのが勝因とも聞く。物価の高さはNYに住んでいる知人から聞いて驚いていたけどどうなるのか。私はアメリカンドリームが信じられていた時代の子供だと思うけどそんなもの本当にあったのか。なんでも時間をかけて現状となるとはいえ、アメリカがその脱錯覚に耐えるつもりがあればトランプ大統領を選ばないだろうし(現在の支持率が低いとはいえ)、働け働けでもなく取り締まり強化でもなく庶民が「普通に」暮らすために「普通の」ことをする(お金の流れを止めないとか)のってなんて難しいのだろう。ガザのことを考えているのに常にアメリカが背後にいるのが当たり前って思考を私がしているのもどうなんだよ、と思うが、
昨日は土居健郎の「甘え」概念に立ち返ってみた。相互退行の文脈で。たとえば、子どもが親に甘えるだけでなく、親が子どもに甘えるという一方向ではない依存、相互依存において投影しあう状況は自我境界を曖昧にする方向性で、それを退行と考え、記述すること。これもナルシシズムの文脈だけど。安易にナルシシズムを肯定するのではなく、しかし欲動の次元において作動する心的構造を探求しつづけること。脱錯覚できる心はどう成立するのか、しないのかとか考えるときにかなり射程の広い「甘え」概念はどう使えるのかな、とか。臨床的には「甘え」は瞬間的な一致の現れだと思うけど、とか。日本の精神分析家としては土居健郎を知っている世代の分析家が生きている間に対話できたらいいのだけど学べば学ぶほど大変な概念だと思う。
いいお天気。どうぞ良い1日を。

