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精神分析

東京デフリンピックをみたり。

東京は今日も晴れるらしいけど昨日みたいな明るさを感じさせる夜明けではない、とか書いていると一気に空がピンクがかってきたりするけどどうかな。

昨日は11月15日からはじまった東京2025デフリンピック(TOKYO 2025 DEAFLYMPICS)のバスケットボールをYouTubeで少しみた。私は中学がバスケ部で膝を痛めて高校は写真部で大学は弱小バド部(負担がすくない)だったのでその辺の領域は関心が向きやすいが、今回はカメラの向け方が気になった。バスケのコートの両側がみえる真ん中からではなくて一方の側の斜め上からの定点で撮っていて、ずっと遠いままだった。中学生のとき、大会で大きな体育館でやったときに自分のチームと関係しない試合を体育館の上の方からぼんやりみていたときの感覚を思い出した。現場にいれば移動できるし、映像だって今だったらもっと普通に工夫ができそうなものだけどなにか難しさがあるのかな、と色々考えてしまった。

あとYouTubeの説明のところに

「デフアスリートは審判の笛やブザーの音がきこえない・きこえにくいため、本大会ではバスケットゴールの支柱及びテーブルオフィシャル席の前面にLEDランプを設置し、音に合わせて点灯させることで、視覚的に知らせる情報保障を行います。こうした点も通常の大会とは異なる特徴として、ぜひご注目ください。」

とあったので注目したかったのだけどそれもいまいちわかりにくかった。いろんな工夫を知れるといいのだけど。先週末からオフィスのある西新宿には手話で話している外国の人たちもたくさんいて、彼らが困ったときに私はなにができるのか、と考えていた。デフバスケのウェブサイトやいろんな記事でなるほどなあと少しわかったけど、デフリンピックの中継はまず聾者の人が見てわかりやすく、つまり音声に頼らず、かつ音声や字幕がないと困る視覚障害の人にもわかりやすく、などまず障害のある方にむけた画面作りが必要だなと思った。療育の視点をもつ心理職はそういう部分にも関わると思うから一緒に仕事していけたらいいな。ボランティアではなく。今回、試合会場でも全部無料で観戦できるわけだけど無料じゃないと入らないという判断だったのかな。実際はそうじゃなかったわけだから今後の運営から変わってくるのかもしれない。もちろん無料でみられて、ボランティア含め運営の人や選手の謝礼や報酬にしっかりつながる財源が十分にあって、めんどうな手続きなしに使用できているなら悪くないかもしれないけど。

専門職がこういうところでも仕事を得られたらいいな、と思う一方、心理職のみなさんがもう少し普通の感覚でアドバイスできるようになれたらいいなと思う。別に療育とかしたことがなくても日常から学べることはたくさんあって、経験を抽象化していくことが専門職なだけだから、論理的に考えれば今はこれを最優先すべきでは、というアイデアをもちよっていけたらいいと思う。保育士や幼稚園の先生とはこれがしやすい。現場を具体的に共有しているとそこですぐに試せるというのもあるし、その後の経過も共有できるから修正もきくというのもある。私が若い頃は、ひきこもりや家庭内暴力の事例がたくさんあって(今もそうだろうけど)そういうときに最初に必要なのは、これこれこういう状況で、資源がこれだから今こちらができるのはこれなんだけど、という提案だった。もちろんすぐにはなされないことがたくさんあるけどそういう個別の事情に対応していくために個別の面接は必要なわけだから、実際に関わるところから練り上げていきたいものですね、理論も。みんなで持ち寄ってきて成立してきたものもすでにたくさんあるのだし。

今週もがんばりましょう。乾燥対策もして風邪ひかないようにしましょう。インフルエンザで学級閉鎖もでていますしね。ではでは。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生