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1月4日(日)

早寝早起きができたお正月、素晴らしかった。毎日、軽い山道を含め2万歩前後は歩けたし、お菓子もたくさん集まって幸福。明日から仕事も筋トレもまたがんばれたらいいな。

一方、年末年始は夢で普段の仕事をしていることが多く、精神分析的な意味での夢作業はどうなってんだ、という感じがする、とともに普段の生活が夢見の余裕をなくしている気もする。この辺もどうにか改善しないといけないが、生活に合わせてできることをやっていくほかなさそう。

今朝は5時前に起きたがパソコンの前に座るもぼんやりしてあっとまに時間がたち、ようやくパソコンを開いてネットニュースをみて悲しくなり、ホットカーペットに座り込んだらまたすぐ時間がたち、あっというまに日の出。きれいな夜明けをみられて少し持ち直した。

どうにか目を覚まさなければと休みの間はほとんど飲んでいなかったコーヒーをいれた。お菓子はなににしようかなあ、と賞味期限とか色々確認していたらどれも適しているような気がして大いに迷った。時間があるって素晴らしい。結局、しばらく前にもらった埼玉県ではおなじみの十万石まんじゅうで有名な十万石ふくさやのはにわさぶれを食べた。細長い埴輪の形してるきちんと穏やかな顔してる。かわいい。おいしかった。長野県茅野市にも埴輪のかわいいお菓子があったなあ、と思ったけどあれは土偶か。埴輪と土偶って何が違うんだっけ、と思ったけど実際、埴輪をみたら土偶とは思わないし、逆もしかりだから違っているのはわかる。でもなにが違うのだろう。どっちかというと土偶は繁殖のイメージ、埴輪は死者の弔いのイメージだよね。どうなんだろ。あとで調べてみましょう。

私が長年愛用してきたMacBookAirが色々限界を示してきたのでしかたなくパソコンを買った。とても軽いのはとてもいいがマックのバッテリーはすごかったんだな、と思う。電源なんて持ち歩いてなかったもの。最初は慣れるのに時間がかかるかなと思ったけど意外と大丈夫だった。どうなってんだ、と困ることもあるけど一度解決すればなるほどそういうことかと学べるしなんでも使いながらですね。さっきも突然キーボード使えなくなって困ったばかりだけどMacで調べようと開いたとたんになおった。なんなんだ。

明日からまた朝ドラ「ばけばけ」がはじまる。お正月特番(?)のインタビューもみた。『小泉八雲のおもかげ ばけばけトミー・バストウが巡るアイルランドとニューオーリンズ』も興味深いことが色々あった。移動の多い人生だ。

次に読むアンドレ・グリーンの本をしつこく探していてLa Clinique du négatifはどうかなあと思ったけど英訳もなく、どの論文が入っているかもわからない。André Green Revisited
Representation and the Work of the Negative
Edited By Gail S. Reed, Howard B. Levine
Copyright 2019はグリーンを引用して何か書く場合に非常に参考になりそう。著者はRene Roussillon、Jean-Claude Rolland、Howard B. Levine and Anna Migliozzi、Gail S. Reed and Rachel Boué Widawsky、Fernando Urribarri、Claudio Laks Eizerik, Lucian Falcão and Zelig Liberman、Marie France Brunet、Talya S. Candi and Elias M. da Rocha Barros、Rosine Perelberg 、Francis Baudry。

ペレルバーグのRepetition, Transformations and Après-Coupだけでも読めないかなと思ったけどpepにはなかった。The Controversial Discussions and après-coup(2008)が参考になるかな。

こんなこといっていないで今日は昨日思い出した頼まれ仕事をせねば。表に出ない仕事ばかりで特にお金にもならないけど大事な仕事。役に立てたらいいな。

良い一日になりますように。

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1月2日(金)の日記

夜明け。一番好きな色の配分でみられた。

昨日は簡単なハイキングをしてたくさん食べた一日だった。お雑煮もいただいたし久しぶりにグリーンカレーを作った。たけのこは使わず好きな具だけで、ココナッツミルクではなくアーモンドミルクで。全部混ぜてほうっておけばいいからとっても簡単。本場タイのグリーンカレーも食べてみたいというかタイはおすすめされることが多いから行ってみたい。タイ料理屋さんは初台にも小さくておいしいお店があるからとりあえずそこで。今年も行こう。

昨年のM-1グランプリをみながら大笑いしてから、アンドレ・グリーンのネガティブナルシシズムについてのメモを見返したのだけどアンドレ・グリーンはまとめたり、メモで残せるものではないなと思った。ネガティブナルシシズムに関してはヒンシェルウッドとの対比でメモしていたけど、どうしてこんなメモをしたのか自分でもよくわからない。なんの本や論文を読んでこうなったのか。メモ足らず。自分のメモをみるかぎりではグリーンのNegative Narcissism =欲望・愛着・意味への投資(備給)そのものが撤回(脱備給)される運動、ヒンシェルウッドのNegative Narcissism =攻撃性が対象ではなく自己に向けて内在化された状態とあるので、そもそも対象の位置づけが全く異なるということは言えるのだろう。グリーンは徹底して不在と向き合っている。そもそも「対象」という言葉自体、フランス語と英語では随分異なる意味をもつということが『アンドレ・グリーン・レクチャー』にも書いてあったと思う。これは邦訳もあるからまたみてみよう。

グリーンはまとめる対象ではなく読み続けるべき対象だなと思ったのでLIFE NARCISSISM, DEATH NARCISSISM. André Green 著(Andrew Weller 訳)London/New York: Free Association Books, 2001, 262頁も買ってしまおうなあ、どうしようかなあ、と思ったが洋書は高いのでとりあえず買わない。こんなだとPEPに高い入会金を払って読み放題にしたほうがいいのかもしれない。IJPジャーナルだって全然読めていないものも多いけど自分が探求するものに関してはお金かけどきかも。こういうのも全部年齢、つまり残り時間との相談になる。すくなくとも若い頃よりは先の短さはたしかなわけだから。でも先生方にはまだまだ長生きして対話をつづけてほしいな。わがままだが。

今日も軽くハイキングして(熊が冬眠してくれていることを願う)いっぱい食べて勉強して過ごそう。仕事のあれこれはたぶん大丈夫、かな。そのへんの確認もしよう。もう土曜日。Reading Freudから一週間か。いい休みだった。今日は東京は雪の予報ではなくなったみたいだけど当たり前に雪の地域もある。大変なことだ。どうぞお気をつけてお過ごしください。

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大晦日

まっくら。今日は12月31日。水曜日。今年も大変お世話になりました。それぞれいろんなことがあったと思いますが、今日を良い区切りとしてまた新しい年を過ごしていけたらいいですね。どうぞよろしくお願いいたします。

私のオフィスは新宿駅南口から歩いて15分で着けるし、昨日のレコ大が行われた新国立劇場があるにも関わらずかなりローカルな雰囲気のある「初台」という駅にあります。年末、その初台のこれまたローカルで大好きなふどう通りの入り口にとてもおいしいベーグル屋さんができたと知りました。で、早速お散歩がてら行ってみたのですが15時前で売り切れ。がーん。来年はそこにいくのが最初の目標です。

昨晩は暇だったのでレコ大みながら少しお勉強をしました。HANAのパフォーマンスに間に合わなかったのが残念・・・。

さてさて。参照したのは今年最初か昨年読んだアンドレ・グリーンの1998年の論文The primordial mind and the work of the negative–W.R. Bion Between Past and Future。

「全体として言えば、思考する者の存在は、「私(I)」という経験そのものよりも、むしろ表象する可能性(the possibility of representing)と結びつけて考えられるべきであると言えるだろう。」

これはグリーンが自己心理学的な主体を警戒しているだけではなく、思考可能性と主体経験を切り離すことで、境界例・精神病圏・非神経症的構造を理論的に守ろうとしているといえる。これらの病理と向き合ってきた臨床家なら人間に当たり前に主体を想定することの危険は身に染みていると思う。現在は違うが、精神分析の創始者であるフロイトが精神病患者に分析可能性を見出せなかったのはそこを安易に踏み越えなかったからだろう。フロイトがそこに慎重であったくれたおかげで、フロイトとは異なる病理と向き合い始めた精神分析家たちは分析可能性、終わりのある分析と終わりのない分析を常に考えなければいけなくなったのかもしれない、

ということを考えさせられました。

これは1997年7月29日、IPA第40回大会(バルセロナ)W.R.ビオン生誕100周年記念のオープニングレクチャーをもとにしています。なのでビオンの理論の検討がされています。私が先に書いたことはビオンの”I am, therefore I have thoughts without a thinker which demand a mind to think about them!”について考えるグリーンの言説。

常に事後的にやってくる「I」。観察することができず、推論によってのみ措定され、主体の自己経験には還元されない、という点で無意識と同じ特徴をもつといえなくてもないが、ビオンのそれはより複雑、無意識の想定と方法は同じだと思うのだけどね、などめんどくさいことを考えていました。休日のいいところです。

それでは今日もよい一日を。一年なんとか無事に過ごしたのだからみんなにいいことがあるとよいです。ネガイマス(朝ドラの真似)。

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テレビ 精神分析 音楽

細やかさ。

東の空がきれい。まだうちの南側の大きな窓に光は届いていないけれど。今日は1日晴れるのかな。晴れたらいいね、とあえて言いたくなるのはドリカムが流れていたからかも。

高校のときの文化祭のテーマソング(?)がドリカムと米米クラブだった。壮大さが新しかった気がする、どちらも。今はスピード感のある曲が多い。普通に踊れる子供も多くなったし、というか、恥ずかしさを感じる領域が変わったというのもあるのかも。SNSは監視社会の手段みたいになっているけど推しを生き生きと語る場所でもある。さらけだしたり晒されたり地獄にも天国にも近い。

朝ドラ「ばけばけ」、言葉をなくすシーンが多すぎてとても辛いがとても面白い。「生きてるー」っていう感じがどんな感じかそれぞれの登場人物がいろんな形で見せてくれる。高石あかりは本当になんでもできる。ひとつひとつの表情が見逃せない。それぞれの心の動きが細やかに伝わるように描かれているから見ている方も揺さぶられるわけで、他人のケースを聞くときもこういう細やかさが必要よね、と思う。これまで大きな場所でも小さな場所でもたくさんのケースを聞いてもらってきたけど、私は比較的、場に恵まれてきたと思う。なんでここでその質問に、その話題に時間を費やさねばならないだろう、と思うことはあってもある程度は自分の返答で場を戻すこともできるし、失敗しながら場慣れする機会をたくさん与えてきてもらったし、自分から求めてもきた。臨床は自分のやっていること以上に他人の臨床から学ぶことが多い、というより、精神分析なら精神分析ってなんなんだ、という懐疑をもちつつ、それがやっていることを確かめているようなところがあるので、自分の言葉で内側に入っていく練習がたくさん必要。外からなら、後からなら、色々言える、けど私は自分の体験と結びついていないことはあまり言いたくないし言える気もしない。

来年も6月の協会の学術大会で発表したいことはあるけど、かなり難しいテーマだな、と思って症例をどう使うかを考え始めるとまとまらない。消費するようなことはしたくないから。事例検討会以外では症例は素材として使用させていただくわけだから全てにおいて加工はするとはいえやっぱり昨今の他人にばかり厳しいあれこれを含めた受け取られ方を考えるにこちらもあれこれ考えざるを得ない。人はそんなに正しくない、というか少なくとも自分の正しさなんてめちゃめちゃ偏っているものではないか、だから目の前の人と一緒にそこを逃れる作業をしているのではないか、なんからの自由のために、と私は思うので注力すべき場所を間違いたくないなと思う。細やかに関われる範囲を少しずつ増やすべく今日もがんばりましょう。

光がいっぱいになってきた。晴れたらいいね。晴れみたいだよ。

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テレビ 精神分析 言葉 音楽

表情とか言葉とか。

朝の空。昨日の気温はよかった!夜は少し寒かったけど大きく息を吐いて、吐き切ったら自然に吸う、というトレーニングでやっていることを適当に使ったら駅に着く頃には暖かくなっていた。今日のお天気はどうなるのかな。光はすっきりときれいだけど。

朝ドラばけばけ、楽しい。本当にひどい時代だな、と思うのはどの時代に対してもだが、そこで生き生きと生活している人たちをみると安心する。私は笑顔が一番、みたいなことはよく笑う人に対してしか思わないけど(笑顔で!とか要求するもんでもない)、表情がくるくる変わるのは素敵なことだと思う(淡々と表情変えないのも好きだけど)。おトキちゃんが「すいません」と言ってばかりだと悲しいけど表情の豊かさを叱られて育つ子を思い浮かべると気持ちが全て顔に出ているおトキちゃんによかったね、と思ってしまう。すごく過酷ですごく辛いことはあるに違いないけど、それを表現できる方法があるって、そういうものを育てていくって大切だと思う。

なので相手が子供でも大人でも治療者が患者の言葉がどういう風に使われているかに注意を払うことはとても大事。言葉は現実をそのまま表してはくれないけど、私たちは辞書の役割を果たしているわけではないというか、そういうことは辞書のほうが確かな仕事をしてくれるので、私たちは言語が現実をどう切り取って、その認識がその人独自の体験の中でどのようになされてきたかに注意を向ける。認識って常に事後的なもの、そして言葉はその中で独自の機能を備え、語彙も意味づけされていくいく、という認識。ややこしや?特に精神分析では言葉が切断や去勢の作用をもつことを重要視するし、言葉が距離を生むんだという認識は共有していると思う。その質をどう考えるかだね。ややこしや?

♪毎日難儀なことばかり♪とハンバートハンバートが朝ドラ主題歌で歌っている。本当そう。でも今日も歩こう。生活しよう。♪落ち込まないで諦めないで♪

いいお天気になりますように。良い一日を。

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お菓子 テレビ

地震、政治、焼きまんじゅう

双葉町と浪江町で震度3。朝のバタバタで気づかなかった。2011年、東日本大震災で被災地へいかなかったら福島の町はこんな身近ではなかった。余震が続くなかの被災地訪問だったが、被災したみなさんの揺れに対する反応にとても切なくなった。うまく眠れないという悩みを抱えて受診する人が多いようにリラックスすることはただでさえ難しい。震災は震度が一番大きかった時間で終わるわけではなくむしろそこから始まる。それはその後のものすごい長い時間に影響してくる。能登のように地震で生き残り、大雨で亡くなった人もいる。亡くなられた方はもちろん、さっきまでいた人を目の前から、腕の中から失う体験は、これからの時間だけでなく、今ここの時間、それぞれが生きてきた時間にも遡って影響を与える。影響の中身は様々に違いないが、地震がトリガーとなって前景化する記憶はそれがなかったら出会わなかったものかもしれない。トラウマやPTSDという言葉を使う以前にそれぞれの体験を現場からのものとして忘れずにいたい。被災地の地名を見るたび、聞くたびに私に駆け巡る景色も言葉をなくすものだった。一緒に支援に入れてくださったみなさんの健康も祈る。

今朝の東京も寒い。カーテンを開けなくても薄いグレーの空とわかる。一応開けて確認したけどやっぱり思ったとおりの空色だった。

高市内閣に対する若い世代の支持率が高いそうだが、身近な若者たちの様子からもそれは感じる。わかりやすく自分とは関係ないと思わせてくれるからかもしれない。震災もそうだが、私たちの多くは当事者になる以前に当事者意識を持つことはしない。どうにかしてくれる「感じ」というのにお任せして、何かやってくれる「イメージ」で自分の不安を防衛する。それが一般的だろう。だから曖昧な「感じ」や「イメージ」が本来何であるかを探る行為(勉強)が必要だし、政治は自分たちを代表しているだけで、自分が気に入らないものや人を排除してくれる機関ではない。人は自分の理解を思い込みと思いたくないし、何か大きなものがそれに賛同してくれる「気がする」という感触を得られればなおさらそれを変えようとしない。すぐには変わらない困難に対しては時間をすすめるのを早めることは逆効果だが、大胆に何かを打ち出すやり方の方が魅力的に見えるということもあるのだろう。異なる他者と生きざるを得ない人間の知恵は、他者との間においても自分だけの時間を確保できる心から生じると思うが、「自分だけ」が他者の排除と結びついていたらそれはかえって囚われている状態で自分をなくしている状態だろう。ナルシシズムがあたかも自分の思い通りの世界を構築しているようでその内実が空虚であるように。

今朝なh、群馬の名物焼きまんじゅうの味をマフィンとして焼き上げたMOO-FACTORYの「焼きまんじゅうマフィン」。

”マフィン生地には群馬県中之条町の「こうじや徳茂醸造鋪」より仕入れた、麹から作った甘酒を仕込むこだわり。味付けには前橋市朝日町の焼きまんじゅう老舗「たなかや」の秘伝の味噌ダレが使われています。 ”

とのこと。ウェブサイトはこちら。焼きまんじゅうといえば「たなかや」というイメージはたしかにあるが「たなかやよりこっち」という店をおすすめしてくる前橋市民もいてローカルフードならではのこだわりを感じられて面白い。ほかほかを味噌だれの香りで味わうとても素朴な焼きまんじゅうだが、こうやって形を変えて受け継がれていく強さをもっていたんだな。郷土の力。

それにしても寒い。やらねばならないことばかりなのに本当にどうしたものか。とりあえず取り組もう。良い一日でありますように。

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テレビ、フランス精神分析家たち

今朝は空が少し濃い。少し目を凝らすとちぎれたり帯状になったりした雲がたくさんみえる。虫の声もだいぶ静かになった気がする。取り壊された家のあとにぐんぐん伸びた草むらではまだ声高く鳴いているけど。

今日は月曜か。あまり朝に見られないが朝ドラ「ばけばけ」もとても好きでみている。高石あかりが素晴らしくかわいい。華やかさもあれば妖怪味もあってなんでも演じられるとはいえおトキちゃん当たり役。怪談好きの怖がり仕草もすごくいい。せっかく怪談好きのお相手と出会えたのにこれからどうなってしまうのかしら。おトキちゃんに早く幸せになってほしい。早く、というのはこれからを知っているからで、今のおトキは幸せなんだから今を喜ぶべきだな。人生幸せだったり不幸だったりの集積でできているということか。高石あかりはNetflix「グラスハート」の歌姫役もすごく素敵だったけど明治の没落武士の娘の苦労を明るく演じてくれるおトキちゃんいいなあ。このあとも楽しみ。

Netflixといえば「ウンジュンとサンヨン」もみていたが思春期の彼らが愛しすぎてその後がどうもイマイチと思ってしまう。ストーリーは彼らのその後としてとても魅力的だし、韓国のいろんな事情も切なくて見続けてはぢまうけど長く思春期の子たちと会っているとその年代に特別な思い入れができちゃうのね、きっと。

Netflixはほかにも色々みてるけど大河ドラマ「べらぼう」は相変わらずすごい。蔦重が横浜流星でほんとによかった。過酷な事態にだいぶ嫌な感じになってきたけど愛されてきた蔦重は今でもみんなに叱ってもれえるしその場面もいい。厳しい取り締まりにめげずに面白いこと続けてくれよ。

昨日は小グループのセミナーでアンドレ・グリーンのThe Capacity for Reverie and the Etiological Myth(1987)を読んだ。私はThe Freudian Matrix of André Green Towards a Psychoanalysis for the Twenty-First Century Edited By Howard B. Levine (2023)に入っている英訳で読んだ。フランス語で読めたらいいのだけど道のりは遠い。

フランスは日本よりずっと精神分析が身近なので組織も乱立していて問題も多い。つい先日もジェラール・ミレールという77歳の有名な精神分析家が少女たちをレイプした罪で起訴された。精神分析家なのに催眠を使ってる時点でイカサマ感強い(そうすることへのなんらからの主張が見当たらない)。人としてきちんと裁かれますように。ジェラール・ミレールはジャック・ラカンの娘婿でありラカン理論の継承、啓蒙をつとめてきたジャック=アラン・ミレールの弟。ジャック=アラン・ミレールについてはすでに入門書もでている。ジェラール・ミレールの場合、この問題が出るのは今回がはじめてではない。精神分析家として彼はいまだに組織に所属しているのか?本当に精神分析を悪用するな。というかそれは精神分析ではない。

アンドレ・グリーンの論文を読む楽しさについて書こうと思ったのにイラっとくる記事のことを書いてしまった。とりあえず今日も穏やかに過ごせますように。伊豆諸島が無事でありますように。良い一日を。

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テレビ 精神分析

朝の光

全方位、空がきれい。夏の間、大きな窓のせいで部屋が異様に熱くなってしまうのでブラインドの上に東側の窓に遮光シートをつけていた。朝の部屋が薄暗いのは嫌だったけどあの暑さだと通常溶けないものまで溶けそうだった。それを外した。ちょうど日の出の時刻。部屋が明る句なっていく。この1週間、家ではエアコンいらずでとても気持ちよかった。秋になって仕事が捗るような気分でいたが自分の書き物は全く進まず。締め切りに間に合わなそう。10月末までのはがんばろう。仕事ではない「お手伝い」は心も身体も普段とは違う部分を使っているが、個別に疲れる作業にしたくないので私の心身の全体に馴染ませていきたい。涼しくなって身体は楽になったから色々工夫できたらいいな。

花壇とベランダを有効したいと20年くらい言い続けている。引っ越してから数年はいろんな植物が部屋の中にもあったが枯らしているうちになにもなくなった。豆苗とか、キッチンで再生できるものはやるけど。あとミョウガはよかった。放っておいても何年もなってくれた。また植えよう。あとはとりあえずベビーリーフを植えよう。プランターだけはたくさんあるし、種まきにはちょうどいい時期みたいだし。それにしても体感では陽射しが気持ちいいけど視覚にはまだ結構強い。朝の光ではあるけれど。

今日は朝ドラ「あんぱん」最終回か。いいドラマだった。メルヘンという言葉が久しぶりに心に響いた作品でもあった。私はアンパンマンは大人になって子どもたちと関わるまでよく知らなかったけど「詩とメルヘン」は大好きだった。そのうち高知県香美市のやなせたかし記念館アンパンマンミュージアムに行きたい。アンパンマンはのぶさんとの子どもたちだからおうちを建ててあげないと、って建てたんだっけ。なんかそんな話をどこかで聞いた気がする。子供がいるんだからおうちがないと、というのは生きるには食べ物がないと、という発想と同じだと思う。そこに人がいて生きていこうとしてるんだから必要なものを、という感覚を忘れないでいたい。そういう「普通」の発想とは異なる行為が世界中で行われているわけだけど、だったらなおさら。

今日も寄り道しつつがんばろう。いい一日になりますように。

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大河ドラマ「べらぼう」とか。

いいお天気。昨晩、部屋が少し蒸し暑くて窓を開けた。寒いくらいの風でも少し嬉しかった。夏掛けもほしくないくらいの暑さは楽しくない。季節はなにかしらで工夫して楽しみたい。

楽しくないといえば、昨夜の大河ドラマ「べらぼう」で恋川春町が死んだ。大好きなキャラクターだったし、その生き様死に様に泣きに泣いた。取り締まるやつなんて屁だ。「屁♫」をやるときにもう春町先生はいないのか…。悲しいし寂しい。洒落や皮肉を笑えない世界なんて全然楽しくない。

精神分析は面白いものだ、とアダム・フィリップスはいった。『精神分析というお仕事: 専門性のパラドクス』参照。妙木浩之訳。そうだよ。この「面白い」が通じない人にはなりたくないけど言葉の世界はどんどん危ない方へ向かっていると思う。もう超自我なんて機能しない心の世界が主流なのかもしれない。

週末お祭りの射的でピチッとした薄いTシャツを着たおじさんが男の子たちに「switch2もあるよ」といっていた。「switch2もあるの!」と驚きの声をあげる子どもたちのほうが嘘っぽくて笑えた。彼らはその露店の前でどこで手に入れたのかプラスチックの剣でチャンバラをしながらおじさんに見守られていた。

今日も今日という日常で面白さを探す。作る。「おもしろくねーな」という人のそばで軽やかに面白がる人がいてまた別の誰かの言葉に怒ったり笑ったりする。「べらぼう」はこのあと辛いことが増えていく。そこをどう面白がっていくのか。とても楽しみだ。

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アンパンマン、環境

今日は曇りかな。休日なので朝に朝ドラを見る。朝ドラ「あんぱん」気に入っている。主人公のぶの子どもたちへの眼差しがずっとあたたかいのが好き。私もまだ自分が子どもみたいな時から赤ちゃんから大学生、誰かの「子ども」までいろんな人たちに関わってきたし、今も関わっているけどその眼差しにはかなり変遷があるな。いろんな申し訳なさが襲ってくる。でも本当にたくさんの子どもたちと会ってきたことで随分成長させてもらった気がする。いろんなことを今も世代を超えて教えてもらっている。アンパンマンは、私は子どもの頃はあまりみていなかったけど、大学生のときに小さな子に「かいて」と言われ、全く絵心のない私の下手なアンパンマンで泣かせてしまったことがいつも思い出される。申し訳なかった。今ならあれよりはマシなものを書けるが子どもたちは「ちがう」と首を横にふることも多いので、子どもたちの指導のもと修正していく。「こう?」「こうかな」「これでどうだろ」とか言っている間にいちいち「ごめんごめん」「ごめんね」が入るのもしかたない。とりあえずアンパンマンの色に塗ってしまえば、とか思うこともあるが色塗りはたいてい子どもが自分からはじめるのでしたことがない。「ここ黒くして」と輪郭をかくことを頼まれることはあるけど。あの輪郭や枠組みを求められるときのじんわりした気持ちもたくさん経験してきた。中井久夫の風景構成法という描画も私はよく使うのだけど、あれは最初に治療者が枠を書く。そういうのと繋がっているのだ、きっと。こぼれ落ちないように、大切ななにかが。形にすることで生まれてくるように、見えていなかったなにかが。

昨日、なんとなく眺めていたテレビでどこかに海の平均気温が2度上昇して生えたての若草を食べる渡鳥に影響が出ていると言っていた。胸が痛む。私たちは環境にある程度守られてきて、自然は人間よりずっと厳しいときもあるけど基本的にはものすごく優しい。その自然が変わってしまったら私たちというよりこの先の人間までずっとあまりよくない影響を受けることになる。旅にいい、山に登り、海辺を歩く、観光客としてそこを訪れ話を聞いていると農業、林業、漁業の今を垣間見ることがある。たいてい厳しい話だ。知らないことがたくさんあるけど知ろうとしていきたいと思う。だから今日も歩く。

良い一日でありますように。

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テレビ 散歩

山、野球

明るい。夜の間、静かに進んだ皆既月食とは全然趣が違う。時折、うとうとしながらベッドからずっと見ていた。月が暗くなると星が明るく見えた。月食が始まる前の月はすごく明るかった。今日は暑そう。昨日も暑かったのかもしれないけど早朝から奥多摩の山に行ったので一番暑い時間は「水が冷たい!」「風が涼しい!」とか言って過ごせた。山頂は蜂と蠅がすごくて富士山だけ眺めて早々に降りてきた。石破首相、辞任表明のニュースになんだかうんざりしたが身体を動かし水や岩や木々と触れ、空を眺め、たくさん汗をかき、温泉で汗を流すことで少し落ち着いた。日本はどうなっていくのか。自然はどうなっていくのか。これまでいろんな場所で会って、話をしてきた人たちのことをたくさん思い出した。温泉で一点を見つめたまま動かない母親と一生懸命話し続ける子供の姿も心に残った。みんながもっと気楽に暮らせるような社会に、とは政治家は考えていなそう。負担ばかり増える。

夜はプロ野球を見ていた。私の周りは阪神ファンが多いので優勝を喜んだ。私が知っている選手たちはもう監督とかで現役の選手たちはあまり知らない。阪神の岩崎は好きなので昨日も素敵で泣いた。選手たちは活躍しても活躍しなくても色々言われて大変だなと思うが、私は好きな選手が活躍できず辛辣な評価をされていてもそういうことを言わず応援しつづけるタイプ。意地悪な言葉を言ってもしかたない。岩崎くらいベテランになるとそういうのも消化済みという感じでコメントも慣れた感じだが。

精神分析家のみんなと何かやろうと考えるのは楽しい。自分の考えもそこから広げていけたらよいが。今週もがんばりましょ。

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ドラマ、Mac、HOKUSAI、ボラス

夜中、雨の音で目が覚めた。今も結構降っている。ひどくならないといいがほかの地域はどうなんだろう。

今朝は野木亜紀子脚本の「連続ドラマW フェンス」をみていた。昨年映画「ラストマイル」をみて、それを楽しめるように関連ドラマ「アンナチュラル」「MIU404」もみた。どれもおもしろかったけど「ラストマイル」はそういう準備もして、かつ映画館で見たから面白かったという感じかも。昨年だったら友達に勧められてみた篠﨑絵里子脚本(子鹿ゆずる原作、大槻閑人(漫画・作画)「アンメット ある脳外科医の日記」の方がよかったかな。テレビドラマだと女性の脚本家が活躍しているようにみえる。

それにしても私のMacBook AirOSはもうだめかもしれない。Apple Storeに行くと「ヴィンテージ!」と「今はここにこんなのないんですよ」とか嬉しそうに教えてもらえるが高値で引き取ってもらえるわけではなく故障したらしたで「もう部品がないかも」と言われ続けながらなんとか生き延びている。OSはMonterey12.7.6からアップデートできないので入れられないアプリも増えてきた。どうしよう。でもこうやって動くうちは使い続けることは決まっている。

映画『HOKUSAI』監督は橋本一、脚本、橋本一、河原れん、葛飾北斎の青年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じ、この切替の仕方は大胆ながら自然。大河ドラマ「べらぼう」のおかげで私の中の江戸文化年表の基準となった蔦屋重三郎も登場。阿部寛が静かな迫力(背の高さだけでもインパクトある)があって素敵だった。それにしても田中泯の動きがとにかく素晴らしい。表情も含め、全部が躍動している。鬼滅を見ながらも思ったが筋肉を全部動かせたらいいのに。筋トレしていると驚くが、自分でコントロールしながら使っている筋肉のわずかなこと。それでも少しずつ使い方うまくなっていると思うけど。肩こりとかは全然なくなって美容師さんにも驚かれた。今日は台風のせいだと思うけど身体が変。頭痛には耳くるくるマッサージをした。耳も大事ね。身体はみんな連動して補い合っているはず。そういう部分のひとつひとつに注意を向けられたら器官言語みたいに多義性が上手に伝われる言葉を紡げるのかもしれない。

昨日、クリストファー・ボラスが読めない、ということを書いたが、ボラスの精神分析以外の仕事に目を向けると、あ、なんか読めるかも、という感じになり、少し読み進めた。ボラスのいう
The Evocative Object はウィニコットの移行対象の変形だと思うが、より動的で情動に関わるものらしく、ウィニコットの使うingをくっきりと浮かび上がらせる対象のように思う。ボラスとグリーン、ボラスとオグデンをつなぐのもこういった対象の機能なんだろうな、と思うとなんかわかる気がする、という感じになった。ボラスもオグデンもアメリカにしっかり根ざしているのに英国精神分析に馴染んでいるというところに独特の香りを感じるのかもしれない。英国精神分析は豊かだよね。

ということで今日は台風に気をつけつつ過ごしましょう。

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ドラマ、言葉

いいお天気。昨晩は虫の声がきれいでやっぱり秋になったんだな、と思った。今朝は桃にしようかな。梨にしようかな。果物を送ってもらって嬉しい。

NHKドラマ10「舟を編む 〜私、辞書つくります〜」の最終回を見た。三浦しをんの原作をまだ読んでおらず、原作とは異なると聞いているがとってもよかった。みたあとは言葉に対する意識が変わる。すぐに忘れてしまいそうな言葉への素敵なこだわり。一方、感化されやすく不真面目な私はドラマで見聞きしたものを会話にすぐ取り込みたがる。「それも載せましょう、私の辞書に」など。

私の辞書のキャパは想起の量から見積もるにかなり小さい。想起の量から見積もられるときつい。知識があっても行動しなければ無意味、と言われるのと同じ感覚。いけない。もう頭がふざける方に向かっている。脳内でもっと上手にふざけられれば作家になっていたなんてこともあったかもしれない。村田沙耶香みたいに(『となりの脳世界』を思い浮かべている)。村田沙耶香は大真面目に面白いことを書いているのでふざけているわけではないだろう。それにしても、私の脳世界はなんとつまらないのだろう、と思うことしばしば。

そしていろんな人のお決まりの言葉を思い出す。「こんな私がこの仕事をやっていていいのか」と。なにそれ、どんな私ならやっていいわけ、と即座に言える私でもたまにはそうやって卑屈になる。しかし、選択したのは自分で、誰に強要されたわけでもないのでこの仕事をできるであろうと思った私がいたのだ、絶対。なんの根拠もなく。

これは「好き」とほぼ同義なので単なる万能感ではない。でもこの好きが厄介な場合もあって「好きなだけでやっていいのか」とか言い出してしまう場合もある。「だけ」と言いたくなる場合でも大抵それだけではないのにね。

言葉って厄介で大変だけどそれだから面白い、とかやっぱり厄介。でも厄介払いしない。面白いし好きだから、と戻ってこられる世界だから行動も大事だけど大事なのは言葉にするという行動かも。暮田真名さんの川柳なんかは言葉の意味をいい感じに剥ぎ取ってものとして提示してくれるからそれまでとは違う感じで言葉と関われて楽しい。来月9月には初エッセイ集『死んでいるのに、おしゃべりしている!』が信頼の柏書房さんからでるとのこと。タイトルがまさにまさに。私がウィニコットやオグデンの使うaliveを探求するのはそれが死とくっついているからなんだけど、こういうタイトルって軽やかにそういうことを言っているような気がする。こじゃんと楽しみやき(朝ドラの影響。高知の言葉楽しい。健ちゃんの「〜しんしゃい」も大好き)。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

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休暇果つ。

早起き。まだ窓を開けない。洗濯機ももう少ししてから。Duolingoでフランス語をやった。今セクション2・ユニット24「周りの環境を説明する」。季節とか釣りとかの単語が出てくる。こんな簡単なことも忘れているのだから忘却力ってすごい。忘れたいことには発揮されないくせに。

夏は知らない人や一年に1、2回しか会わない親戚と話す季節。一時帰国した人たちの話を聞くのも楽しい。日本人であることを常に意識させられる環境を普通として育っているんだな。それが本人にとってどんな体験かはわからないけどいくつになっても、たまにしか会えなくてもいろんな話ができるのは嬉しい。

週末、NHKスペシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」を見た。実話ベースのフィクション。朝ドラや大河でおなじみの俳優たちはほぼ同時に別の人生を演じたりもしているのだろう。大変なことだが彼らの影響力は大きいから必敗とわかっている戦争を始めるようなことが二度とないように魅力的に演じ続けてほしい。それにしても戦争ものの画面はとにかく男ばかり。銃後の声を描いたNHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」を見ていたからなおさら女、子どもはお国のために消えてよし、という世界が戦争なんだよな、と思う。実際、ドラマでも救われていないことが言葉だけでわかるし。現実は死にそうになりながら生きていた女子供はたくさんいた。このドラマでは二階堂ふみの声が効果的に女の存在を示していたと思うけど。なんたることかのう。

休暇果つ。今週もがんばりましょう。

秋風のしづかにつよし蜂も来る 岸本尚毅

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戦争に関する番組をみたり。

早朝から歩いた。曇り空だけど蒸し暑い!

この数ヶ月、ずっと戦争に関するドキュメンタリーをちょこちょこみていた。ヒトラー、チャーチル関連の作品を見終えたあとは「NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争」のシリーズなどをみていた。昭和館とかにたくさん資料があるからまた行かなとな。デジタルアーカイブはこちら

昨晩は地上波で『火垂るの墓』をやっていたのでそれもみてしまった。何度見ても目を背けたくなるが、好きなシーンもたくさんある。後半の節子がひとりで遊んでいるシーンはもうどうしようもなく尊い。尊厳を守ろうとする子どもたちが守られることを当たり前としないのが大人の世界なのかもしれないが、それでも本当にこういう尊い子どもたちはこれからも生まれてくる。

NHKスペシャルもエゴ・ドキュメントという当時の日記や手記の引用や分析から太平洋戦争の知られざる側面に迫っていたが、『火垂るの墓』をみるとアニメーションの力はすごいなと思う。いろんなドキュメンタリーを見ているときはひたすら言葉をなくす感じというか、思考停止になる感覚ばかりで、何を見たり聞いたりしても何も感じなくなっているのは私ではないか、という不安に襲われたが(それこそが戦争という現実の怖いところなのだろうと思うが)アニメーションはというか『火垂るの墓』はひとりひとりの人間の重みがずっしり伝わってきて、それは思考を促すもので、想像力が勝手に刺激される感じがする。だから見るのはとても辛いのだけどまだ感じられる自分は何を感じ、何を考え、どう生きていくのかということを考えさせてもらえる。それは全然知的な理解ではなくて、単に情緒を伴った人間の自然な振る舞いなのだろうけど。自然さや本来さなんてすぐに失われて、実はそっちが本質だった、みたいな言い方に導くのが戦争なんだと思う。たとえそうだとしてもそれに抗うように人間はできているという信念を貫いていきたい。

それにしてもお盆の期間、東京は人が少なかった。いつもなら夕方にいったらほぼ何もないような安い八百屋さんにもしかして、と思って寄ってみたらいいものがまだ少し残っていて買えた。大好きな無花果まで安いのに残っていた。この前、スーパーで高くて諦めたばかりだったからテンションがあがった。ハチミツとかでドレッシング作って無花果のサラダにしてみたり楽しんだ。時間があるときにやっておきたいことはたくさんあるけどバタバタするのももったいないからのんびりできて幸せだった。八百屋さん的にはちょっと苛立つ状況なのかブツブツおっしゃっていたけれど。安く売るというのは全部さばくというのが条件だろうからなあ。私は買えてありがたかったけどヤキモキする時間帯ってあるのだろうなあ。

お天気はどうなるのかしら。みなさんの地域はどうでしょう。大雨の影響が大きかった地域のみなさんも元気でありますように。

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テレビ

8月15日

朝日でオレンジに染まった空はあっという間に薄い水色に落ち着いた。

今年は水分補給の下手さを実感する。加齢で身体に不調が出やすくなったせいでそう思うのもあるが、調子が悪いときは大抵水分をあまりとっていない。しかしこれも不調を感じてから気づくことなので熱中症とかそういうのは本当に危険なのだ。小さい子たちに時間を決めて一定量の水分を取らせることはとっても大切、ということをたくさんの子どもたちを見てきて実感しているので自分にもそれを適用すればいいのだが。子供にいうことは自分にも適用した方がいいんだよね。逆に、子供にだけ要求するのは不平不満が出てもしかたないので理不尽ではない理由が必要になるのでしょう。ああ。子供にもなれず、十分な大人にもなれず。

この前、小淵沢に行ったとき、駅がすごくきれいになっていてびっくりした。町名も北杜市になり、駅舎も新しくなり、懐かしいと感じるはずの以前の駅をもう正確には思い出せない。まだスクールカウンセラーをしていた頃は同じ地域で働く人たちと箱庭とかいろんな研修会に一緒に行っていて、小淵沢へも神田橋合宿で一緒に行った。みんなで色々歩いたはずだがそれがどの辺だったのか全然わからない。線路沿いを少し歩いただけだったのかもしれない。最近はようやくいろんな土地の記憶がつながりつつあり、入笠山、諏訪湖周り、車山などこれまでに出かけた場所が意外とその辺だったこともわかる。朝露に靴があっという間に濡れてびっくりしたのも思い出す。

小さな頃からなんでも読み、とりとめもなく書きつづけてきた。先日、NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争1944 絶望の空の下で」をみながら、なんとなくそうしてきたことの意味をぼんやり考えていた。その番組では、サイパンで両親とともになんとか生きながらえていたのに目の前で父母を亡くした14歳の少女の日記、体調を崩してもヒロポンを渡されながら工場で働き、B29の爆撃で亡くなった女学生の日記、人間魚雷回天の特攻で亡くなった若者から父と妹へ宛てた手紙など、絶望的な状況で書かれた言葉たちが紹介されていた。それらは貴重な資料であると同時にそこには書かれていない思いを想像させるものだった。

被爆者の声を集め続けた元放送作家とある被爆者の交流を中心に描かれるNHK戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」では語られたことと語られていないこと、語りを聴くこと、残すことについて考えさせられた。原案は伊藤明彦『未来からの遺言ーある被爆者体験の伝記』(岩波現代文庫)。西日本新聞に伊藤明彦に関する記事がある。

今日は8月15日、終戦記念日、敗戦忌。今日も暑くなりそう。大切に過ごそう。

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Netflix テレビ

暑い。ドラマ。

暑い。早朝の空の青の変化が美しかったのを思い出してしのぐ。昨夕から晩にかけて月がどんどん輝きを増していったのを思い出してしのぐ。暑い。やっぱり冷房をかけてしのぐ。三鷹の国立天文台でスタッフさんにいろんなことを教えてもらったり(なんでも教えてくれるからいっぱい喋ってしまった)、辻村美月の『この夏の星を見る』を読んだりしたから空に対する憧れが増している。映画も見たかったけど時間が合わず。土浦で20時とかならあったが。

土曜ドラマ『ひとりでしにたい』をみねば。最終回。前回の綾瀬はるかのセリフがすごくよかったし今回はその続きでしょう。楽しみ。あの自分の言っていることを自分でひっくり返しながら進む言い回しが論理的だし前向きだしすごくいい。内容がどんどん心に響いてくる。もちろんきちんと耳をもつナスダックあってこそだが。そして魯山人が綾瀬はるかと同じくらいとてもかわいい。

そしてNetflixドラマ『グラスハート』もすごく楽しんでいる。原作は若木未生。1993年刊行で今も続いているらしい?佐藤健が演出も主演もがんばってる。Netflixはスケジュールさえきちんと押さえればお金はふんだんに出してくれるらしいからよかったねえ、と若い世代を応援したい気持ちでいっぱい。みんなとってもかっこいい。あまりに漫画的で「きゃー、恥ずかしい」となる場面もあるけど、映像の美しさとこれまた現実離れした美しさをもつ俳優陣の良さでどうしてもみてしまう。山田孝之と菅田将暉の使い方は理想的。バンドもの大好き。

今日は午前も午後も事例検討会。いろんな人、いろんな文化と触れるのは人と話していくだけでもできる。それを負担に思う人ももちろんいるし好きにしていくのがいいのだろうけどね。

良い一日にしましょう。

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お菓子 テレビ 精神分析、本

言葉とかお土産とか。

出かける前に少し洗濯物を外に干そう、と思って窓を開けた。風がない?風はどこ?暑いけどまだ風があるから助かるよね、という話をしたばかりなのに。今日は木曜日。そして明日は8月、と書きながら驚く。もう8月。

さてさて、昨今、加害と被害という用語で様々な出来事が語られるが、精神分析でいば、加害性はウィニコットのいう侵襲性だろう。そしてグッドイナフな母親には「なる」プロセスが含まれるとすれば、それがまだできない母子の最早期の関係は加害者と被害者だろうか。そんなはずはなく、被害と加害の関係はそんなに簡単ではないのでそれらの用語も簡単に用いるべきではもちろんない。強い言葉を使うなら『被害と加害のフェミニズム #MeToo以降を展望する』とかある程度勉強してから、という時代だろう、今は。言葉はどんなときでも人の自由を拘束するためではなく広げるために使えるようにしたい。言葉が拘束として働きやすいのは人の心がそういうふうに作動しやすいからなわけだけどそれを超えていくのも言葉だと考える仕事についているのできちんと勉強しよっ、と改めて思った。

これは「いいお母さん」とはなにか、みたいな話でもある。『精神病者の魂への道』の著者、シュビング夫人で知られるゲルトルート・シュヴィングは古澤平作のスーパーヴァイザーであるパウル・フェダーンの分析を受けていた。小此木啓吾が書いているが、彼女は精神分析によって「自分の中の救済的なコンプレックスを治療することで、自分自身の内部にあった激しいエディプス的な葛藤とかを洞察した」。その結果、「献身的に子どもをかわいがるお母さん」から「本当の意味での、距離のある、人格と人格としての母と子の愛情、真の母性愛というものに成長した」そうだ。小此木啓吾は阿闍世の話とそれをつなげている。こういう話をどのくらい複雑に考えられるかということが大事。どっちがいいとかそういう話ではない。少なくとも相手を「いい」か「悪い」かを決めるのは自分ではない。

福島県二本松市岳温泉のお土産がたくさん。「だけ」温泉って読むのね。ウェブサイトを訪ねたら最初に映し出されたのが包装紙みたいでかわいかった。楽しそう。安達太良山に登ったあとに日帰り湯する人も多そう。お土産は「玉川屋」さんの名物「くろがね焼」とか「あだたら 湯ふもと岳」とか。これはクッキーかな。原材料に黒糖、バター、パンプキン、アーモンド、シナモンとあるだけで絶対に美味しい、という予感がする。包装紙もわしっぽくてきれい。あと「桜坂」。これは果実餡とある。包み紙の上からだとふんわりした感じ。なんだろう。楽しみ。桜坂って名所があるのね。

「桜坂」というと福山雅治の「桜坂」を思い出す世代なんだけどあれは何年だろう。『未来日記V』のテーマソングだった。

♪君よずっと幸せに 風にそっと歌うよ ♫♪ 愛は今も 愛のままで♪

私の未来の時間は当時より具体的に短くなったけど今日もがんばろう。今日は木曜日。7月は今日まで。何度も確認が必要なのは加齢のせいではなく不注意のせい。色々あってもなんとかやろう。良い一日になりますように。

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コミュニケーション テレビ 精神分析

フロイト、平和

毎日暑い。みんなのうたに「ねつねつねっちゅーしょう」という防災ソングができていた。知らなかった。カッパのは知っていたが。先日もスポーツクラブのプールで小学生が亡くなったというニュースを聞いた。痛ましい。安全で楽しい夏休みを過ごしてほしい。

帰り道、日が沈めば少しは気持ちいいが、なんせまだ日が長い。夕焼けはいつもきれいで昨日も細い月がきれいだった。

今年度、Reading Freudで読んでいる『フロイト全集3 心理学草案』をそれほどわからなくない話として、少なくともフロイトが何をやりたかったのかが少し理解できるようになってきたのでノートにまとめてみた。自分にそんなことがすいすいできるようになるとは思わなかった。これまでかけた時間が報われている感じがして嬉しい。フリースは本当にこれをきちんと読んだのかな。フロイトは草稿を披露できる相手がいることが大事なのであって、フリースその人をみてはいなかったのではないかな、とかも思う。

フロイトは敬愛するダーウィンのビーグル号での航海みたいな研究の仕方に憧れていた。でも現実的なフロイトは、お金を稼ぐ方法と自分が天職とするものに折り合いをつけながら地に足をつけてがんばった。マルタと結婚をしたい。ならば収入を得ねば。だったら研究より臨床医として開業だ、そのためには経験を積まねば、というように。そして無事にマルタと結婚し、精神分析も生まれた。ピーター・ゲイは短気で気分の浮き沈みの激しいフロイトを押しとどめたり励ましたりして耐えるマルタのことも書いていて面白い。どんなすごい人もきちんと周りに迷惑をかけて、協力をしてもらって生きているわけだ。フロイトは人間の心にも自分の欲望にも忠実で、『心理学草案』はその情熱が科学的探究心と結びついて書かれた壮大なプロジェクトだったのだろう。

毎日ぼんやり考えては忘れ、気になっては忘れ、ということを繰り返しているが、選挙の文脈で「あの人はだれそれよりタチが悪い」というような言い方を聞いてぼんやり考えた。もしそれをそのだれそれとやらがきいたらちょっと喜んだような言動したりするのかもな、とか。そういうノリで応じるというのはありうるな、と。なにかを批判したり非難したりしたいなら別のだれかをまきこまなくてもいいと思うのだけどついやっちゃうのは怒りに巻き込まれているからだと思う。怒りに対してその種のノリで応じる人が多いのが現代だし、パターン的なコミュニケーションが作動しやすいから議論も二分化しやすい。出来事として「さすがにあれはないよね」とか「あそこで止めておけばよかったのに」というなら「まあそうだねえ」となんとなくの一致で不毛な議論になったりはしないのかもしれないけど。

ひとりひとり違うというのはどこをとっても当たり前で、もし苛立ちなどが大雑把な分類を生み出しているのだったら個別に戻ったほうが平和かも。みんなが同じもの褒めはじめてもそれをいいと思う必要などないのと同じ。同じもの見て同じような褒め方してても実は全然違う部分に反応しているなんてことはよくあることというか当たり前だと思う。

先日、NHK「映像の世紀」第2部  独ソ戦 悲劇のウクライナ 1941-1943を見た。ウクライナの古都キーウ、1941年、1943年含め、第二次世界大戦で人口の20%を失ったという。戦後80年、8月は特に戦争を意識する月だ。戦後を戦後のままにしておかなくては。個人間の差異の背景で平然と進行する理不尽を見逃さないように、変なノリとは違う仕方で今日もがんばろう。

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テレビ

NHK大河とか朝ドラとか。

暑い。空の色と天気予報に出てくる気温と体感温度が全然違う気がする。循環が良くなったせい、とかなら嬉しいけど違う気がする。

昨日は日曜日。グループをし、山を歩き、大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」をみた。東京にもすぐに行ける山がある。暑い中ランニングをするより(してないけど)登ったり降ったりしながら森を歩く方が素敵な運動不足解消になる。「べらぼう」、佐野政言を矢本悠馬がやる意味はここにあったか、と誰もが思うであろう演技が素晴らしい。何に出てきても安心感がある。大河は朝ドラよりも史実に忠実だけど、ひとりひとりのキャラクター造形は脚本家によるフィクションなわけで、そこにいろんな視聴者の視点が加わって、今だったらSNSに影響を受けたりしながらドラマの世界に入っていく。面白いなと思う。SNSでは今回だったら当時の切腹の仕方とか、全体には本とか出版のこととかいろんな情報が追加で知れて大層勉強になる。それをもとに自分でも深掘りしてみるとそれぞれの人物がドラマ以上にびっくりさせられるような人生を送っていたり、事実は小説より奇なり、とはまさに、となる。私が会ってきた人たちのことを考えれば実際そうなのだけど見える部分だけでも驚かされるのとはまた違う感慨かもね。

連続テレビ小説「あんぱん」では主人公ののぶがずっとずっと無意識に育ててきた気持ちが「好き」という言葉になることにようやく気づいた。気付いてから走って飛びつくまでが早いのも子供の頃からののぶちゃんという感じでとてもよかった。そのシーンのカメラワークも素晴らしかった。金曜日の回は、妹の蘭子ちゃんが嵩への期待を語る場面からずっと涙が止まらなかった。今週からまた違う生活が始まっていくのだねえ。がんばれがんばれ。

今朝はちょっといい納豆でごはんを食べて、超ジューシーな桃を食べた。果物の水分って豊か。香りも豊か。植物ってすごい。

今日は月曜日。毎日なんらかの仕事をしているから「今週も始まってしまうのか・・・」みたいな感じがないのはいいのかどうかわからないけど私には悪くないかも。でも夏休みは楽しみ。身体大切にがんばりましょう。

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テレビ 精神分析

精神分析とかドラマとか

フロイトは科学の名の下に自分の発見に普遍性を持たせることを試みた。そしてそこには必ず患者がいた。その初期の試みのひとつが「心理学草案」である、ということをそれを精読しながら現代の精神分析も学ぶ私たちは実感しつつあり、そういう感想が出たりもした。そんなフロイトのあとに続いたのがラカンであり、ビオンであるが、昨日もビオンの自伝(全集1、2巻)の良さを本を見せながら語ってしまった。

WR・ビオン全集』(著作15冊+索引)

The Complete Works of W.R. Bion. Karnac Books. 2014.

第一巻『長い週末 1897-1919』(The Long Weekend 1897-1919: Part of a Life)

第二巻『我が罪を唱えさせよ 人生のもう一つの部分』(All My Sins Remembered: Another Part of a Life『天才の別の側面 家族書簡』(The Other Side of Genius: Family Letters

フロイトの訳本の脚注などを読めばなおさら明らかだが、精神分析は言葉をあらゆる方面から使用するので、できるだけ確かな翻訳で読みたい。フロイトの翻訳だっていまだに色々あるわけだが、だからこそフロイトやビオン、クライン、ウィニコット、ラカンに関しては、理論と実践の両方を積み重ねている人の訳で読めるとありがたい。それにしてもこの自伝はもっと早くに読みたかった。全集の最初の1、2巻なわけだし、ビオンがあんなに詩的な素敵な絵を描く人だともっと早くに知りたかった。私が大好きな鳥たちがたくさん登場することにもはまってしまい、すっかりビオン大好きみたいになっている。

それにしても精神分析の面白さを伝えることは難しい。いまだにセミナーや読書会で多くの人が精神分析を学んでいるのに体験する人が少ないことは単に料金の問題ではないだろう。自分に投資するという点ではもっと多くの費用と時間をかけている人はたくさんいる。たしかに精神分析を受けることは主には苦痛でしかなく、それを無意識で知っている人は多く、自然と回避的になるのはよくわかる。探求を経ない諦めの方が痛みも危機も少ない。探求とそれに伴う苦痛を面白いというのはマゾヒスティックでナルシスティックなことでもあるだろう。しかし、他者を通じての自分との出会いには衝撃があり、そこに長くとどまることで結果的にはマゾでナルシスティックな側面は打ち砕かれることになる。他者に変化を求めるのではなく、それを頑なに求める自分を探求する中で心をできるだけフルに使ってあげること、どうせ限りある人生なら自分の持ち物くらい使えるようになりたい。それを生涯の仕事にしようと思ったのはずっと後のことだけど、私は最初そんな気持ちで精神分析を求めたし(事後的にわかったことだけど)、長い期間、いろんな人の協力を得て、自分を管理ながら通った、というか通うこと自体が自己管理になった。

これもビオン自伝から面白い部分として仲間内で共有したのだけどビオンが黄疸でクラインとの分析に行けなかったときも面接料を払わねばならない一方で、ビオン自身は仕事ができないので患者からお金をもらうことができないという状況を体験したビオンは「病気や災難はとても高価な贅沢品と悟るには時間がかからなかった」と書き、そのあとに予定通りにきたビオンに不意をつかれるクライン(こないと思って別の予定を入れていたんだって)のことを書くのだけど、こういうことの連続が精神分析。一人では起きない些細なようで重大なことがたくさん起きて心に常にさざ波が立つ。でもそれを相手に投げてしまわないで相手を通じた自分のものとして抱えていく、そういう力をつけていく、そういうイメージかな。それを面白いとか豊かだとか直観できる人にはとても効果があるはずだけどはやることはないだろう。寿命は伸びてもとどまる余裕をもてる世界ではなくなった。短絡的な評価ばかりされ、それを気にさせる仕組みを持つ世界になった。

昨日のNHK土曜ドラマ『ひとりでしにたい』の綾瀬はるかの台詞がとてもよかった、とそれにまつわる連想を書きそうになったが、今朝もやることやって仕事。身体も動かして美味しいもの食べたい。みんなのかき氷写真とかすごく美味しそうだけどおなかがもたないよなあと胃腸の弱さが悲しい。自分の身体を労わりつつ過ごしましょう。どうぞ良い日曜日を。