昨日、紹介した27人の精神分析家が信条を語る一冊、Psychoanalytic Credos Personal and Professional Journeys of Psychoanalysts(2022)の編者、Jill Salbergは、昨年、国際精神分析学会(IPA)のジャーナルに終結時のエナクトメントに関する論文を載せた。
Salberg, J. (2025) Crises and Enactments while Ending Treatment. International Journal of Psychoanalysis 106:661-679
先日から何度も名前をあげているクリストファー・ボラスも寄稿しているJill Salberg編『Psychoanalytic Credos』(Routledge, 2022)という本がある。副題はPersonal and Professional Journeys of Psychoanalysts。出版社のサイトで各チャプターのアブストラクトを読むことができる。そのなかに、ボラスの“What is Theory?”という章がある。
なお、マニー・ゲントの最初の「Credo」論文とは、Ghent, E. (1989). Credo: The dialectics of one-person and two-person psychologies. Contemporary Psychoanalysis, 25(2), 169–211.のことである。
Casement, P. (2026). Hidden Infantile Trauma in Adult Anxiety—Where Spock Was Wrong. Attachment: New Directions in Psychotherapy and Relational Psychoanalysis, 20:1-4.
英訳:Laplanche J, Pontalis J-B (1973[1967]). The language of psychoanalysis,Nicholson-Smith D, translator. International Psycho-Analytical Library 94: 1-497. London: Hogarth and the Institute of Psychoanalysis.
それぞれの邦訳の解題も大変参考になるが、全体を見渡すには ドミニク・スカルフォンのScarfone, D. (2013) A Brief Introduction to the Work of Jean Laplanche. International Journal of Psychoanalysis 94:545-566がいい。
といってもこの5ページにものすごい読解を披露したのがヘーゲル学者のジャン・イポリット。今はBruce finkのÉcrits: The First Complete Edition in Englishとか、同じくフィンクのLacan to the Letter: Reading Écritsなどで読むことができる。邦訳はジャック・ラカン 『フロイトの技法論 (上)』 (ジャック=アラン・ミレール編、 笠原嘉、小出浩之 、鈴木國文、小川豊昭 、 小川周二 訳、岩波書店)とかブルース・フィンク『「エクリ」を読む――文字に添って』( 上尾真道、小倉拓也、渋谷亮訳、人文書院)など。私は『エクリ』の昔の翻訳で読んだ気がする。
アンドレ・グリーンAndré Green (1927–2012)のことはよくここにも、もうひとつのブログにも書いてきた。しかし、この一年で修正すべき点もみえてきた。自分の言葉とはいえ書き散らかしているので修正箇所を特定することはできないし、いまだ理解が十分でないところが多いので、ここに書いていることは正しい知識というよりは、すべて理解へのプロセスだと思って読んでいただきたい。勉強する時間がもっとほしいし、もっと賢ければいいのだけどないものねだりはまた今度、と自分に言い聞かせる。
赤ちゃんとお母さんという組み合わせで治療者と患者を見立てるならば、というかそれが最近の常だが(ここでの土居は違うが)、お母さんにも先のことはよくわからないけど赤ちゃんの鏡になることで赤ちゃんになり、とまではいわないが、赤ちゃんに同一化しようとしながらその人は母親になっていく。そこにはウィニコットのいう存在し続けること(going on being)が双方にみえる気がする(もちろんウィニコットはそんなこといっていない)。同時に、非対称な方向性へ分離していく人の姿がみえなくもない。土居が例にあげた即興劇における患者が舞台にあげられ、治療者はいつのまにか舞台にいて、でもどちらもまだ観客であるように。
それと同時に精神分析過程をよりメタで考えるために毎日色々読んでいるわけだが、私が相変わらず目をとめるのはアンドレ・グリーンであり昨日目を通していたのは時間論。“From the Ignorance of Time to the Murder of Time: From the Murder of Time to the Misrecognition of Temporality in Psychoanalysis”。Leticia Glocer Fiorini & Jorge Canestri 編 The Experience of Time: Psychoanalytic Perspectives に収録されている論文である。
この本は「精神療法はこれを構造と過程の二つの面から考察することが最もわかりやすい。」という一文からはじまる。ここにすでに、サイコセラピーのストラクチュアルな側面について書いたエクスタインの影響がある。これももとはといえばもちろんフロイトの技法論の影響であり、フロイトのOn Beginning the Treatment(1913)「治療の開始について」(精神分析技法に関するさらなる勧めⅠ)の冒頭が引用される。土居はフロイトを精読し、取入れ、自分の臨床感覚によって書きなおせた唯一の人だと思う。もちろん精神分析家なら多かれ少なかれ同じことはやっているが、土居ほどたしかな日常語で緻密にそれを行った人はいないだろう。
そうだ、フロイトの「治療の開始について Zur Einleitung Der Behandlung」(1913)について今日もメモるけど、そういえばボラスの『終わりのない質問』第4章「耳を傾けること」の冒頭でも引用されていたな、と思ってパラパラした。この論文は精神分析における耳の使い方を考えるときの必読論文だと思っている。「平等に漂う注意」というやつ。
今度、学会で精神分析の導入について話し合うので、フロイトの「治療の開始について Zur Einleitung Der Behandlung」(1913)を読み直していた。
ストレイチー訳はこれ。Freud, S. (1913) On Beginning the Treatment (Further Recommendations on the Technique of Psycho-Analysis I). –The Standard Edition of the Complete Psychological Works of Sigmund Freud 12:121-144
副題に「(精神分析技法に関するさらなる勧め I )」とある。Iがあれば次があるわけで「精神分析技法に関する更なる勧めⅡ」は「想起すること、反復すること、ワークスルーこと」(1914)、Ⅲは「転移性恋愛についての観察」(1915)である。ちなみに「治療の開始について」は「転移の力動」(1912)、「精神分析を実践する医師への勧め」(1912)に続くものである、と初版 Int. Z Psychoanal., 1(1), 1-10 and (2), 139-46.の脚注には書いてあり、これらは全て岩崎学術出版社から出ている藤山直樹監訳の『フロイト技法論集』に収められている。時間とかお金とか治療契約の基本的なところをフロイトがどう考えていたかは大体技法論集に書いてある。晩年に書かれた1937年の「終わりのある分析と終わりのない分析」「分析における構成」は前にも書いたようにフェレンツィへの応答というか陰性のものをフロイトがどう考えていたかという観点から読める。フロイトは神経症を倒錯のネガといい、ナルシシズムも倒錯との関係で描写した。それらはこれらの論文に見られ陰性治療反応の記述へと伸びていく発想である。
昨日からオグデンが引用しているフロイトの文章が見つからなくてなんでだろうと思っていたらオグデンの本の誤植だと思う、多分。Freud, S. (1911b). The history of the psychoanalytical movement. SE, 14とあるけどThe History of the Psychoanalytic Movementは1914年だと思います。私もたやすく引っぱられてしまった。論文名見ればわかるじゃんね。まだまだな。オグデンが引用するフロイトも私は好きで、今読んでいる論文はオグデンの主張も好き。こういうの読みながら自分でも「ああ、そうか、あそこでフロイトがこう書いていたのはここに繋がっているかもしれないんだ」という発見があるくらいにはフロイトを読み続けてきてよかったなあとしみじみ思う。すごく時間がかかるしエネルギーも使うけど精神分析が関わる人の心ってそういうものだからな。
私はセミナーの資料を読まねば。アンドレ・グリーン「Travail du négatif」の序文「Pour introduire le négatif en psychanalyse」。休日はない。会議も続く。あ、でも楽しみな用事もある。るるるー。楽しみには力があるな。がんばりましょ。ちょうどいい暖かさになってくれますように。
Ogden, T. H. (2002) A New Reading of the Origins of Object-Relations Theory. International Journal of Psychoanalysis 83:767-782
The author presents a reading of Freud’s ‘Mourning and melancholia’ ということでフロイト全集14の『喪とメランコリー』をオグデンが再読。この論文は対象関係論のはじまりと言われている論文。これは十川幸司訳の『メタサイコロジー論』にも収録されているからそっちで読むといいかも。フロイトが短期間で一気に書き上げたというメタサイコロジー論文の中でも最重要。
オグデンが重要と考えるのはvoice。太字は私が太くしました。
the way he was thinking/writing in this watershed paper.
(1) the idea that the unconscious is organised to a significant degree around stable internal object relations between paired split-off parts of the ego
(2) the notion that psychic pain may be defended against by means of the replacement of an external object relationship by an unconscious, fantasied internal object relationship
(3) the idea that pathological bonds of love mixed with hate are among the strongest ties that bind internal objects to one another in a state of mutual captivity
(4) the notion that the psychopathology of internal object relations often involves the use of omnipotent thinking to a degree that cuts off the dialogue between the unconscious internal object world and the world of actual experience with real external objects
(5) the idea that ambivalence in relations between unconscious internal objects involves not only the conflict of love and hate, but also the conflict between the wish to continue to be alive in one’s object relationships and the wish to be at one with one’s dead internal objects.
ちなみにオグデンは下に書くフロイトの論文の終わりの部分を引用して患者の実際の生活に根ざしていないと精神分析もthe self-imprisoned melancholic who survives in a timeless, deathless (and yet deadened and deadening) internal object worldと変わらないよ、ということでこの論文を閉じています。
Freud closes the paper with a voice of genuine humility, breaking off his enquiry mid-thought:
—But here once again, it will be well to call a halt and to postpone any further explanation of mania … As we already know, the interdependence of the complicated problems of the mind forces us to break off every enquiry it is completed—till the outcome of some other enquiry can come to its assistance .
京大の坂田昌嗣さんが昨年の短期力動療法の勉強会がらみで短期力動的心理療法(short-term psychodynamic psychotherapy:STPP)の実証研究の論文を教えてくれたけど n = 482, combined(STPP + antidepressants) n = 238, antidepressants: n = 244だもの。積み上げが違う。これまでの研究も遡ってみたけど実際にSTPPを長く実践してきている人たちの研究みたいだし。たとえばDr E. Driessenの業績。
昨日、睨めっこしていたのは精神分析の専門書で『アンドレ・グリーン・レクチャー ウィニコットと遊ぶ』(金剛出版)とラプランシュ&ポンタリスの『精神分析用語辞典 vocaburaire de la psychanalyse』(みすず書房)。「表象」について考えはじめたらドツボにハマってしまった。先述した「否定」はフロイトが「思考」に不可欠と捉えた機能であり、事物表象と語表象の区別にも関わるため同時に考える必要があった。