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精神分析

俯瞰、洋梨、グループ

きれいな空。遠くでカラスが鳴いている。鳥たちは街を俯瞰できるからいいな。中井久夫はいってもいない街の鳥瞰図を知識から書けたと聞いたことがある。患者さんでもたまにこれができる人がいる。これまで会ってきたたくさんの子どもたちの中にもいた。すごく素敵な能力だと思う。書けることがそのまま考えることに繋がるわけではないけれど立体的な思考がなければ書けないわけだから。平面に線もひけない状態を知る私はその状態に共感するわけだけれど。

上野原の「びりゅう館」で買ってきてくれた塩山の洋梨を食べた。常温で食べ頃を数日待っていた。昨晩、お、そろそろ、と思って冷蔵庫に入れて、今朝むいた。つるんと手から逃げられたりしながら。甘くて美味しかった。洋梨は独特の甘さがありますね。

開業して7年経つけどフロイトを読むReading Freud(そのままだけどキノドスの真似)とか事例検討グループを続けてきたのはよかった。心理職の世界は30代になってもまだ自分のことを若手、未熟、と言い続けている場合が多いけど私はそういう話がでるたびにそれでは困るのでは、と言っている。他の職種のみなさんとの仕事ではそういうことはないので臨床の難しさがそう言わせているのだろうとは思うけどあえていう必要もないと思う。なんかそういう言葉が親しみやすさ的なものと繋がっているようで、学問とは、といつもなる。臨床も学問も孤独だし、そこでもがくうちにできる相手が職業上はいい関係になりうるかもしれず、学術的な議論以外の繋がりばかり作っても、と私は思うので、ひたすら難しいフロイトを読み続けるとか初回面接を細かく検討するとかしつづけてきてよかった、となおさら思う。実際、メンバーの皆さんは学問としての精神分析や臨床を楽しめるようになっているし、資格によって何者かであるかを規定しようとする思考とは異なる世界でどんどん力をつけていってほしいと思う。外側からなにか言っていても飛び込まない限りは自分とは無関係だし、時間はどんどん経っていくし、飛び込んでみたら自分たちの想像とは全く異なることが起きているということがわかってあれはなんだったんだろうとなるだろう。今の自分が今どうしたいのかを考え続けることが私はとても大事だと思う。

それにしても頭が痛い。外側も痛い。ぶつけた覚えがないというのも怖い。病気も怖いけど、ぶつけたことを忘れているのでは、と思ってしまうのも怖い。自分の記憶の曖昧さはいつも信用できないけど信用できる部分を活かして今日もがんばりましょう。いいお天気になりますように。