『台湾対抗文化紀行』神田桂一 著、2021年、晶文社
まず目に留まるのは黄色くておっきい帯。表紙の三分の二。つい黄色くてといってしまったが下の三分の一は黄色くなかった。鮮やかな写真。おいしそう。楽しそう。向かって左の方の眼鏡もおしゃれ。台湾はいいよね!撮影は川島小鳥さん。大好き。文中にはご本人も登場。
そしてそのデカ帯を外すとなんとまたレトロでおしゃれな装丁。そのままブックカバーとかファイルとかジップロックみたいな袋にして売り出してほしい。相馬章宏さん(コンコルド)のお仕事。とても素敵。
さらにこれも外してみます。おー。台湾の国旗の色でしょうか。鮮やかな赤というか朱色?台湾はその穏やかなイメージの背後にアイデンティティの問題を抱えているのですよね、そういえば、となります。
ごちゃごちゃ感とすっきり感、レトロとモダン、まさにカルチャーとは、そして人の集まる場所というのは雑多。多様とかいうよりしっくりくる気がする。ただ、この感触も第七章において少し再考を迫られる(お楽しみに)。
普段、学術書を読むことが多いのでこういう本の読書はほんとに贅沢!だけど学術書よりずっと安い。もちろん台湾にいくよりも。台湾料理を台湾ビールと一緒にいただくくらいのお値段。1700円+税なり。
台湾には一度行ったことがある。もう何年になるだろう。ガイドブックにあるような観光地をまわっただけだがとにかくよく歩いた。普段から住んでいる人のように歩いた。コンビニにいき、袋がいるかどうか聞かれた時だけ「不要」と台湾語を使った。郵便局でちびまるこちゃんの切手(だったか)を買い、若者の街ではB級グルメ(なのか)の買い方がわからない私に列の少し離れたところに並んでいた若い女性が身振り手振りで教えてくれたり。タピオカミルクティーは私には甘すぎたが、言葉の通じないお店の人とのやりとりは楽しかった。バスの運転手さんは上手なウインクで送り出してくれた。夜市は暗くて(当たり前だ)雑多で楽しかった。
この『台湾対抗文化紀行』はとてもパーソナルなもので私のような台湾の観光地にとりあえずいってみよう、という人向けではない。著者もいまやたくさんある紀行文に載っているようなことはそちらで、と書いている。私は対抗文化、カウンターカルチャーというものをよくわかっていないが、それも特に問題ない。いい感じに力の抜けた著者に同一化し、その好奇心と、出会い任せの動きになんとなくついていくだけでただの観光客には知りえない場所へ連れて行ってもらえる。どちらかというと取材に同行させていただく感じだろうか。
音楽と政治の関係もライブハウスで語られるようにナチュラルに聞き取られる。日本には友好的で親しみやすい台湾も政治的には難しい立ち位置にある。思えばとても政治的なものである(だった)音楽にもそれは影響しているという。
著者が台湾アイデンティティなるものがあるならそれを明らかにと友人のdodoさんから話をきく第三章は、朴沙羅さんの『家(チベ)の歴史を書く』(筑摩書房)を思い出した。もちろんここではアイデンティティについて聞くという明確な目的があるので個人史を聞くのとはまるで違うが、人に歴史あり、というか人は歴史から逃れられない。
「台湾の自由は、抑圧あっての自由なのよ」とdodoさん。著者ならずともドキッとする。著者の様々な語りを聞きたい気持ちは止まらず別の友達はこう応えた。
「現状維持というのは選択肢としてはないなと思った」「台湾人は生活に対するすべてのものが政治だから。」
日本の自分のアイデンティティが自ずと照らし返される。
台湾、といっても私は台北しか行ったことがないので台湾の街という「生態系」について聞き取りがされている章(四章)も興味深かった。ずっと変わらないでいて、なんていう言葉はしっくり来ないであろう街、台湾。台湾の<下北沢世代>という本屋さんにも行ってみたい。そして『秋刀魚』を「ああ、これがあの」と実際に手に取りたい。「台湾人から観た日本」(中国人側からも)、「日本人から観た台湾」、著者は複数の視点の中でぶれない台湾人を発見しつつより本質をと知りたがる。著者は割とすぐに眠くなってしまうらしく、待ち合わせに遅れた友人を待っている間に自分が眠ってしまったりする、カフェで。真面目に偶然か必然かと自らの行為を夢想する姿もゆるくてちょうどいい。
メインカルチャーありきのカウンターカルチャー、メインとマイナーの有機的なぶつかり合いは境界の曖昧な日本のカルチャー内部ではもはや起きづらいとしても日本と台湾との行き来においては可能かもしれない、それが著者にとっての台湾の魅力なのかもしれない。
第七章、著者の中国語の先生も務めた田中佑典さんの語りが興味深い。
「日本は「衣食住」に対して台湾は「衣食住と”行”」があるんです。」
移動、交通とは「変化」の意味、と田中さんはいう。
「まず何か口から出まかせでやって」という始まり方が「アジア的」というならそれはとっても魅力的。日本だってアジアなはず。
それにしても各章最後の著者雑感は切実なはずの相互理解への希望が素朴に、しかもやはりどこか眠そうに綴られていて心地よい。
「あとがきにかえて」は「就職しないで生きるには」である。私は題名が気になってしまって最初に読んでしまったが、最初から読めばなるほどである。そしてこれからはモラトリアム期間は<waiting room>って呼びましょうか、という気にもなった。
パラレルワールドで体験した自由、みなさんもその追体験を美味しいアジアンスイーツとともに。週末贅沢読書のススメ、のつもり。