カテゴリー
読書

『自由に生きるための知性とは何かーリベラルアーツで未来をひらく』(立命館大学教養教育センター編、晶文社)を読み始めた。

深夜から始まる工事がまだ続いている。金属音も色々だなあ、と改めて思わされる。お疲れ様です。

小分けになったかわいいパッケージのこだわりコーヒーをもらったのに今日もたくさん入っている名もなきお得用コーヒーをいれてしまった。「しまった」と書いてしまったが実は私はコーヒーの味がよくわからない。なので割となにを飲んでも美味しがる。なので素敵なものは観賞用となっていく。でもダメ。香りが飛んでしまうというではないか。そっちの方がもったいないよ。そうだね、今夜か明日の朝いただきましょう。

相手がいなくても私たちは日々こうして対話的なことをしている。「痛っ!なんでここにこんなものが!」とかいう独り言だってそうだ。相手がある。いる。

ここ数日私が勝手に対話をテーマとした本と分類したものを読んでいた。

イ・ラン/いがらしみきお『何卒よろしくお願いいたします』(訳 甘栗舎、タバブックス)はコロナ禍であるという事情以前に、離れた国に暮らす二人の手紙による対話だった。

ドミニク・チェン『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために―』(新潮文庫)は育ちゆく娘の環世界との対話といえるだろうか。

本は自分や他者とのたくさんの対話の痕跡だと思う。何度読んでも面白い本は文字にはならないたくさんの対話がその背景にあって読むたびにそれらを発見させられるからかも。

一方、対話が本になるときそこには他者による編集作業が加わり生の素材は客観的に削ぎ落とされより伝わりやすいように加工される。文化祭の教室をめぐるように最初は目的があっても歩くだけで別の世界と出会うような体験をしたいときに編書というのは便利だ。

先日「学生や生徒が学びたいことを自らデザインできる学生提案型ゼミナール」を立ち上げるための副読本がでた。立命館大学教養教育センターの企画だ。今回、「みらいゼミ」と呼ばれるそのゼミナールを学生たちが立ち上げる手助けとして企画された25人の専門家による対話と議論が一冊の本として外へ開かれた。

自由に生きるための知性とは何かーリベラルアーツで未来をひらく』(立命館大学教養教育センター編、晶文社)

自由に学び、自由に考え、自由に生きる、書いてしまえば当たり前のことがなんと難しいことか。その困難に対して多彩な分野から様々な視点を提供してくれるこの本の構成、内容は立命館大学のWebサイトでも晶文社のWebサイトでも確認できる。

私が尊敬する文化人類学の専門家、小川さやかさんは脳神経内科の医師である美馬達哉さんと「なぜ人はあいまいさを嫌うのか――コントロールしたい欲望を解き放つ」というテーマで対話している。小川さんの著書で知ったタンザニアの人たちの生活にここでも学べる。「偶然であることの豊かさ」「他者のままならなさを認めるからこそ、私のままならなさも認めることができる」。分野の異なる二人の専門家の対話は著書とはまた異なる響きをもってそれらがなぜ大切かということを教えてくれる。

社会運動論の専門家である富永京子さんの登場も嬉しい。メディア論、メディア技術史専門の飯田豊さんと「わたしの“モヤモヤ”大解剖――わがまま論・つながり論を切り口に」というテーマで対談されている。先日書いたが「つながり」の本はやはり多そうだ。そして「つながり」という言葉の使われ方もポジティブなものから両義的なものまで様々とのこと。メディア研究というのは自分の持っている知識やイメージの狭さを自覚させてくれるありがたいものなんだな。

富永さんは著書『みんなの「わがまま」入門』(左右社)の中で「まずは自分に暗黙の内に強く影響を与えている人と離れてみよう、そのために、これまでと違う大人と出会える場所に行ってみよう」と提案していた。そしてその具体的な方法としてまず「大学に行ってみよう」と書いていた。さっきは文化祭と書いたが、今回のこの本はオープンキャンパスに出向くような本ということもできるかもしれない。ちなみに富永さんのクラスには高校生が見学に来ることもあるとのこと。

本書に戻っていえばこのお二人の対談では「つながり」「あつまり」「しがらみ」という言葉が並べられて検討されていたのもよかった。

トークセッションではQ&Aのほかに、これらを読んでもっと考えてみたい読者のために「もっと考えてみよう」という欄があり、ヒントが箇条書きで書いてある。こういうのも学びの場っぽい。

立命館大学はこの本には登場しない先生にも魅力的な専門家がたくさんいる。豊かだ。そういう大学がこういう本を出してくれたからには特に若い方々に広く届けばいいと思う。

「自由に生きるための知性とはなにか」。壮大な問いのようにみえるが本を開けばわかるようにその入口はひとつではない。興味関心の赴くままにとりあえず出向いてみよう、そうすればなんらかの発見が待っている。そんなことを若い世代とも共有できたらいいな、など思いながら読んでいる。