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精神分析、本

金木犀、金平糖、「現実界」

雨。音が強まったり弱まったり。降ったり止んだりみたい?寒くはない。昨日もノースリーブに薄いカーディガンだった。それでも途中暑くてでもこの時期に袖なしも変?と思って脱ぐのではなくて腕まくりしてた。難しいわ。もう十月も後半というのに。急に寒くなるとかしないでほしいな。オフィスに上着が溜まっていく。朝寒くても夜は全然、みたいな日が続くと着て帰るのを忘れてしまう。今日はどれか着て帰ってこよう。金木犀は一気に香らなくなった。一気に香るものはそういうものなのかしら。オレンジの小さなお花がまだいっぱいついている時から香りはなくなってた。今はその色に地面を染めてる。この雨できっとぺったりになってる。誰かが金平糖みたいなお花と書いていて本当にそうだなあと思った。多分何度もそのたとえって聞いたことがあるのだけど金平糖というのがいいのよね。食べ物としては苦手、というかパクパク食べるものでもないのだろうけど旅先とかでつい見入ってしまうお菓子でもある。お茶をしている身内には金平糖とか色々かわいい干菓子がセットで入っているのをお土産にすることが多い。金平糖の形、あの突起がついているだけではきっとダメなんだよね。私は苦手なあの砂糖っぽい透明さがあるからあんなかわいいんだよね。とってもきれいでかわいくていただいても嬉しいのだけど食べる気にならなくてずっと冷蔵庫に入っていることとかある。私もお茶を点てていただけばいいのよね。身内だから習うという手もあるけど時間を割く優先順位を考えると上位にはこないなあ。筋トレは上位にくるからトレーナーさんについてもらってるけど。座ってるの苦手だし、やったことあるけどあまりに不器用で手順も全然覚えられなくてダメダメ生徒になるのが目に見えてるしね。やっぱり点てていただくのがいいわね。金平糖がちょっとだけ入っている干菓子セットをお持ちしてお願いいたしましょう。はっ!私はラカンの現実界について書く気満々でいたのにこんなことをつらつら書いてしまった。やっぱりフロイトの『心理学草案』がもとになるんだよ、ということで来年、私のリーディング・フロイトではそれにトライ。私も勉強中だから値段も下げる。精神分析は「意識」の外で働く「無意識」についてずっと記述し続けてきた。ラカンはそれを精読したどり直すことで再定義していく。そこから「現実界」が編み出されていく。フロイトはエネルギー量の制御のために「自我」の機能を語ったけどこれだってラカンにとっては「意識」ではない。フロイトははっきりそうは書いていないと思うけどその辺もチェックしないとね。ラカンは無意識概念を再定義する中でフロイトの「原抑圧」の概念を使う。無意識の中にさらに無意識を読み込むわけだ。この辺はメタサイコロジー論を熟読しながら辿った方がいい部分。十川先生の訳が文庫で出たのは本当によいことだった。すぐに戻れる場所という感じ。私は精神分析を精神分析家としても患者としても体験してきたわけだけど現実界って感覚的にはすごくよくわかる気がするんだよね。そこにあるものだよね、ないんだけどあるんだよね、あるいはかつてあったんだよね、という感覚で捉えている。そこに精神分析が歴史を大切にする理由もあるわけで(痕跡でもあるから)精神分析は子供の頃のこと根掘り葉掘り聞いてそこに原因を見出す、みたいな話ではないのですね。意識を扱っているわけではないから。だから夢や夢と同じものとして捉えられる分析状況が大事になる。それをどう作り出すかそこで何をしていくかとかもそこから始まる問いになる。などなど色々確認しながら進みましょう。今日もがんばろう。

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生活と臨床

山の方へ移動。昨日渋谷でふわりと香ってきた金木犀を探した。午後は探さなくても見つかるだろう。

開業して移動が減った。これまで色々な土地を歩き、色々な患者さんと会ってきた。江ノ島方面と東京東部では水の意味も異なるのではないかというくらい景色が違った。東京駅近くと多摩方面も同じ東京とは思えない。オフィスのある初台だってお隣の新宿とは雰囲気が違うのだから当たり前か。

私のする臨床は生活に密着しているので患者さんの住む土地やそこならではの出来事をたくさん聞く。職場の周りを歩いているとその語りと景色が緩やかにつながっていく。

病気というのは当然その人の生活とともにある。一般化された言葉に置き換えられるものでは到底ない。

生活感のある言葉、生活音を感じる言葉、画力は全くないし、言葉も足りないけど、風景を描くように言葉を紡げたらいいのにな、と思う。