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読書(山本七平、鶴見俊輔、河合隼雄)

早朝、投句を忘れたことに気づいた。リマインドもあったのに。ああ。自分で立ち上げた句会なのに。余裕がないってよくない。

今日はまたまた秩父市の「栗助」さんのお菓子から「おらが家のそば」。あ、美味しい!そば粉の皮に黒胡麻の餡が包まれているお菓子。良い焼き色の皮に白胡麻がパラパラっとまぶしてある。

そんなことしてる場合ではないのだけどいろんな本の読み直しをついしてしまっている。山本七平『「空気」の研究』の文章がかっこよくてついつい色々積んである文庫たちやKindleに入ってるものを貪り読んでしまった。鶴見俊輔は『旅と移動』は良いけど『不定型の思想』はあまり楽しめなかったな、そういえば。だから今回読んでないけど。「中空構造」の話をしたついでに河合隼雄の『母性社会 日本の病理』もパラパラした。中空構造の本はどこにいったのだろう。この『母性社会 日本の病理』はセットで読むといいのでは。河合隼雄の本ってどんどん読めちゃうけど私は父殺しとか母殺しとか言葉に慣れすぎてしまっているのか違う言葉にしてほしくなってしまう。父、母という言葉を包み込むとか切り離すとかいう機能を示すものとして使うのはわかるけど実際はそういう機能は限定的だし父、母という言葉を使うことでかえって意味を狭めていると思う。河合隼雄は母性原理に基づく倫理観を「場」の平衡状態の維持に価値を置く「場の倫理」、個人の欲求充足や成長に価値を置く父性原理に基づく価値観を「個の倫理」とするのだけどこの「場」の話になるとこの二つの倫理は分け難くなるというよりも倫理ではなくなっていく。みんなが「場の力の被害者」になろうとする場所の倫理に対しては別の名前が必要そう。

さっきそろそろ出る準備しようと思って充電していたWi-Fiを見たら充電されてなかった。スイッチのあるコンセントでやったんだけどスイッチをパチンってするの忘れてた。がーん。なんで同じことを何度も何度も繰り返すのかしら。スイッチ付きコンセントなんかない時代にはこんなこと起きなかったのに。Wi-Fiもなかったけどね。今はなんでもかんでも充電充電。Wi-Fiもわいも充電不足じゃわい。東京は今日も晴れて気温が高くなるみたい。花粉が怖いけどお散歩行きたい。本格的に花粉症になってしまったのか鼻が止まらないのでちょっといいティッシュ買ってる。はー。みんなみんな朝からお疲れ様。昼からでもお疲れ様。夜は普通にお疲れ様。どうぞ良い一日をお過ごしください。

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精神分析、本

あちゃこちゃ。

今朝は亀屋万年堂の桜いちご大福。甘酸っぱい。最近二度寝してしまうから朝の時間が減っている。夜も遅いからきちんと寝たほうがいいのだけど作業は朝やらないと全然進まない。鶴見俊輔コレクション『旅と移動』(河出文庫)に入っている「キラーニーの湖ーアイルランド」というエッセイがある。私はこのエッセイが好きだ。「嘘」や「にせもの」について考えるときにその光の部分を示してくれる。そうか、嘘やにせものというのは何かからの距離の問題なんだな、と「旅と移動」という題名からふと思う。定点にいればそれは確かなものかもしれないが移動すれば途端にそれは不確かなものとなるかもしれない。私たちは常に動き続ける世界で自分の居場所を守ろうと必死になるところがある。それはなにかしら確かなものがないと自分の輪郭を保つことが難しいからだろう。境界はたやすくぼやける。もちろん動き続けるといってもほとんどは身体を伴わないわけで脳と心の世界の話だが。色々知らないことが多いが知らないなりに何かを語るとしたら自分の体験を語るのが一番確からしいかもしれない。しかも実感を伴うものを。それはそうと、と書いてみたものの頭があっちゃこっちゃいっていて定まらない。止まれ止まれ。ドードー。どうして馬とかに「ドードー」っていうのかな。語源はなんだろう。「まあまあ落ち着いて」の「まあまあ」と同じ?「まあまあ」もどこからきたのかな。「ママー!」って子供が叫ぶのとはだいぶ雰囲気が違うけど音は同じ。色々聞こえてくる音を勘違いして受け取っていて気づいて恥ずかしくなったりひとり笑っちゃったりすることが多いのだけどこの辺にも受け取り手の限界を感じる。限界があるから笑えるのだろうけどちょっと間違いすぎだろう、と自分に対しては思ったりする。こんなんで大丈夫では全くないけれど仕事に関しては経験が支えてくれていると思う。やっぱり私はそこを支えに頑張っていかないとな。ないものはないのだから助けてもらいながらやりましょう。ないものと決めつけないで「絶対あるぞ!」と思って何かを頑張ることも大切だと思うけどね。人それぞれ。どうぞ良い一日をお過ごしください。