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精神分析、本

美しさ

穂村弘『ぼくの宝物絵本』(河出文庫)には美しい「赤ずきん」の本が載っている。

私は卒論を幼児が絵本の読み聞かせをどう体験するかというテーマで書いた。題材はグリムの『赤ずきん』。絵はバーナディット・ワッツのだった。

児童文化・児童文学と発達心理学の両方を学びながら緩やかに自分のやりたいことをみつけていけばよかった大学生活は至福だった。小さな美しい森の中にある図書館の陽だまりで、鍵を借りて入る地下書庫で、何冊もの児童書や専門書を読んで過ごした。図書館のそばの池には毎年おたまじゃくしがたくさんうまれた。

私は発達心理学のゼミだったが、卒論は児童文化・文学との重なり合うものを選んでいたんだな、と今になって思う。当時の私にはとても自然なことで意識していなかった。

大学院を修了後、療育と精神分析という組み合わせで臨床を続けてきたのも私にとっては自然だった。精神分析といっても、セミナーとスーパーヴィジョンを受けながら真似事のような、なんとなくそれっぽいふりをしたことを長らくしていただけで、訓練に入ったのは心理士としての経験年数だけが増えたほんの数年前だが。

なんにしても歳をとった。

先日、美しいものをみた。私の絵本を二人で覗き込む女性たち。モノクロのその絵本にはさまざまな石が描かれていて、ページをめくってもめくっても違う石と出会える、つまり驚きと出会える。レオ・レオニの「はまべにはいしがいっぱい」という絵本だ。

少女が大人になること、美しいプロセスだと私は思う。そしてその人に子どもの姿を垣間見るとき、それもまた美しいと感じる。彩色はあってもなくてもいい。ただ別のものとしてそこに存在しながら同じものを眺めている。彼らの歴史がスッと繋がったとき、眺めている私には彼らが少女に見えた。

そして小学校2年生の時の自分を思い出した。彼女と私はいつも一緒に遊んでいた。少し大きくなって会わなくなったあとも家の前を通れば彼女の部屋を見上げた。

「狼とともに吠えよ」。穂村弘が紹介する最も美しい「赤ずきん」、『Dressed/Naked』のエンディングだという。今はもう手に入らない。

精神分析には同一化という概念があるが、様々な水準で重なり合っては離れていく私たちの無意識は個人のものであり集団のものでもあり、子どものそれでもあり大人のそれでもある。

「狼とともに吠えよ」。美しさはピュアではない。