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精神分析、本

エピソード記憶

駅前のひまわりが雨にうなだれながら咲いていました。あそこのひまわりもきっとまだ咲いているでしょう。いつまで咲き続けるのかしら、と通るたびにチラッとみて少しほっとすることの繰り返しでした。

いつまでも、と願う気持ちもあるけれど、いつか、いずれ、と思うことも素敵なことです。そんな日はこない、とどこかでわかりつつ奇跡を願い続けた人はいつの時代にも存在します。だから希望という言葉が消えることは多分ないのでしょう。

旅に出てネイチャーガイドさんと一緒に出かけると自然の連鎖と循環を知り胸を打たれます。厳しい気候のなか、壊されながら、自力で修復しながら生きる植物、落ちた場所を選べなかったために生まれてすぐに土に還った種、小さなひだまりを知って細い腕を伸ばすようにしている蔓、鳥も動物も様々な形で生命を交換しながら生き、死に、別の形でまた存在していきます。

存在を消すことは難しいです。私たちは記憶するから。

最近読んでいた記憶の哲学の本ではエピソード記憶は過去の単なる想起ではなく、記憶は再構築される、あるいは生成されるというようなことが書いてありました。すると記憶に関する因果説の説得力は弱まります。この話は、少し前にここで書いた記憶に関する実感に根拠を与えてくれました。

mental time travel。魅力的な用語です。外傷と記憶の関係を考えながら、多くの事例を思い浮かべるとき、過去の記憶がいかに未来を想像することを妨げてしまうのか、そこに希望という言葉が存在することの難しさに思い至ります。

mental time travelにはある種の偶然が必要かもしれません。そのためには時間も必要かもしれません。いつまでこんなことが続くのだろう、と苦しくて辛いときも「いつか」「いずれ」と願うこころが瞬間的にでも作動しますように。

雨の音を聞きながら旅の景色、音をなぞっています。