『哲学の先生と人生の話をしよう』國分功一郎著、初版は2013年、朝日新聞出版社。文庫版も今年でたが、初版本は表紙のイラストが素敵。シュッと知的な感じのイラストは國分さんに似ていなくもないけど國分さんは目を細めて優しく笑う。
「明快」といえば國分さん、と私は思っている。これは「わかりやすい」という意味ではなく、はっきりと話すということ。この本での応答ぶりも明快。痛快でさえある。
それにしても初版2013年には驚いた。私たちの子育て支援のNPO「しゃり」の研修会に國分さんをお呼びしたのはそれより前だ。でも震災より後だったはず。時が過ぎるのは早い。
私は以前より哲学が好きで、仕事帰りに朝日カルチャーセンターで彼の講義をうけていた。それは大変刺激的で、紹介された本を読み、ある種の切迫感のもと國分さんに「今こそ誰にでも哲学が必要だ」みたいなことをメールに書いて講師をお願いしたら快諾してくださった。
当時、私たちが学童保育所を開いていた千葉の北国分(これもきたこくぶんって読むよ)の教会で行われた講義はユクスキュルの環世界の話からだったと記憶している。
そのあとの懇親会も若者たちから人生の先輩方まで多くの方が参加してくれて盛り上がった。貴重な機会をくださった國分さんには感謝している。なんだか平和だった。
國分さんの明快さは親しみやすさと繋がっている。「モテる」人のような「敷居の低さ」はないが(『哲学の先生と人生の話をしよう』参照)、スッキリした明るさがある。
これは「話をしよう」というわりに「相談」の本だが、國分さんの応答に曖昧さはない。率直。実によく相談内容(書き言葉)を読み取ってくれる。書かれていない細部こそ重要だという姿勢は精神分析臨床の姿勢と重なる。解説で千葉雅也氏もそう書いている。それゆえ相談者は拒否されたと感じることはないだろう。
ぜひ本で確認していただきたい。
國分さんは高速で歯切れのよい語りをされるが「ちょっと待てよ」という感じで立ち止まることも多い(印象)。当然聞き手もつられて立ち止まる。そしてまた動き出す。直線的ではない思考に揺さぶられるのは遊園地感覚で楽しい。
この本は読書案内としてもとても優れている。誰々はこういった、という言葉が自然に出てくるまでにかなりの「勉強」が必要なのはいうまでもない。聞き上手、読み取り上手の先生は引用も上手いのが特徴だ。
國分さんが語学学習に関する相談にこたえるときに引用した関口存男のことばは何度聞いても面白い。
「世間が面白くない時は勉強に限る。失業の救済はどうするか知らないが個人の救済は勉強だ」関口存男『新版 関口・ドイツ語講座』上中下、三修社、2005年
相談はするのも応じるのも難しい。相談ってそもそもなに、とか考えだすとキリがない。まぁでも「話をする」ことはわりと日常で必要だからそこからはじめようか。と言う感じでこの書名にしたのかな。
とてもいいと思う。おすすめです。