「言葉は浮くものです」と古井由吉は佐伯一麦への手紙に書いた。日付は2011年7月18日とある。
東日本大震災後まもなく2011年4月18日からはじまったお二人の往復書簡。
「それにしても「創造的復興」とか「絶望の後の希望」とか、「防災でなくて減災」だの、これはもう絶望の深みも知らぬ、軽石にひとしい。」
「生きるために忘れるということはある。しかしこれは、忘れられずにいることに劣らず、抱えこみであり、苦しみです。風化とはまるで違います。」
古井由吉は空襲を体験し戦後を生々しく肌に感じながら書き続けた作家だった。
ラカンが示したように、作家は精神分析が明らかにするまでもなく、事の本質を知っている。古井由吉の言葉には怒りが滲む。
あれから10年。私は何も変わっていない。ただ歳をとった。多くのものを失った。
私ひとりを抱えられない言葉で私は誰かのこころと何ができるのだろう。軽石のような言葉に傷つき浮かんでこなくなった言葉とどうやったら出会えるのだろう。
あれから10年。その事実の重さをそれぞれの小さな肩に感じながら生きる人たちを支えるのはなにか。私には想像もつかない。それがあることをただ願うばかり。そしてせめて私が軽々しく人の尊厳に踏み込まないように。