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『往復書簡 言葉の兆し』

「言葉は浮くものです」と古井由吉は佐伯一麦への手紙に書いた。日付は2011年7月18日とある。

東日本大震災後まもなく2011年4月18日からはじまったお二人の往復書簡。

「それにしても「創造的復興」とか「絶望の後の希望」とか、「防災でなくて減災」だの、これはもう絶望の深みも知らぬ、軽石にひとしい。」

「生きるために忘れるということはある。しかしこれは、忘れられずにいることに劣らず、抱えこみであり、苦しみです。風化とはまるで違います。」

古井由吉は空襲を体験し戦後を生々しく肌に感じながら書き続けた作家だった。

ラカンが示したように、作家は精神分析が明らかにするまでもなく、事の本質を知っている。古井由吉の言葉には怒りが滲む。

あれから10年。私は何も変わっていない。ただ歳をとった。多くのものを失った。

私ひとりを抱えられない言葉で私は誰かのこころと何ができるのだろう。軽石のような言葉に傷つき浮かんでこなくなった言葉とどうやったら出会えるのだろう。

あれから10年。その事実の重さをそれぞれの小さな肩に感じながら生きる人たちを支えるのはなにか。私には想像もつかない。それがあることをただ願うばかり。そしてせめて私が軽々しく人の尊厳に踏み込まないように。

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「この道」

新宿西口駅から都庁のほうを改めて写真にしてみると未来都市っぽいです。

2020年のままの記載があるのも。

過去が本当に過去になるなんてありうるのでしょうか。

昨年2月、敬愛する作家、古井由吉が亡くなりました。

彼の言葉を引用します。

生きているということもまた、死の観念におさおさ劣らず、思いこなしきれぬもののようだ。生きていることは、生まれてきた、やがて死ぬという、前後へのひろがりを現在の内に抱えこんでいる。このひろがりはともすれば生と死との境を、生まれる以前へ、死んだ以降へ、本人は知らずに、超えて出る。

古井由吉『この道』からの引用です。

先日、帰宅してテレビをつけたらエヴァンゲリオンをやっていました。

もう20年以上が経つのですね。

当時は結構熱狂して全て見ていました。

今回、14年間、眠り続けたシンジが目にした廃墟、

昨日、新宿西口駅から都庁の方へ歩きながらその場面を思い出していました。

ここは未来都市のようで廃墟、あるいは墓場だ。

そんなことを考えながら都庁に大きく張り出された2020年のオリンピックの広告を眺めながら通り過ぎました。

都庁は淀橋浄水場が破壊された跡地です。

そして古井由吉の言葉。

「とにかく、死はその事もさることながら、その言葉その観念が、生きている者にはこなしきれない。死を思うと言うけれど、それは末期のことであり、まだ生の内である」

過去の定義の難しさは死のそれと同じであるように思います。

瓦礫、廃墟、墓場という言葉は被災地へも心を向かわせました。

もうすぐ10年、以前もここで取り上げた小松理虔さんの文章をゲンロンβで読みました。「当事者から共時者へ(9)」。多くの人と共有したい記事でした。

Facebookに載せましたが今日、辛夷の蕾が膨らんでいるのをみました。花も何輪か咲いていました。

過去がなんであれ、死がなんであれ、今年も真っ白な花が咲く場面に出会えました。

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遺稿

今年2月、クルーズ船での感染が騒がれ出した頃、敬愛する作家、古井由吉が亡くなった。その後、『新潮』に遺稿が載せられた。

多くの本屋がコロナを理由に休業するなか、オフィスのそばの本屋はいつも通り開いていた。『新潮』自体、よく売れていて手に入りにくいと聞いていたが、本屋が開いていると思わなかった人も多かったのだろう。私はいつもより暗いひっそりした通路を行き、エスカレーターを歩いて上り、いつも通りの明るさの本屋へ向かった。この本屋のことは大体知り尽くしている。『新潮』があるはずの棚へ真っ直ぐに向かうと一冊だけそれはあった。私はすぐにそれをレジに持っていった。いつもなら時間が許す限り長居していろんな本を見るが、この日は違った。

古井由吉はおじいちゃんだからもうすぐ死んじゃう、と思っていたにも関わらず、いざ亡くなってみると親戚でもなんでもないのにそれなりに衝撃を受けた。悲しかった。

「杳子」を読んだときの衝撃は忘れられない。女を描くならこう描きたい、と思った。薄暗いのは陽の光のせいだ。まるで病床にいるかのような女を男は観察しつづける。その視線もまた仄暗い。

コロナをめぐる状況は2月とは変わった。日々の景色も変わった。マスクをしない顔と会えるのは画面の中だけ、といったら大袈裟だが人は距離を取るようになった。

古井由吉は亡くなった。彼だったら今の状況をなんというだろう。

私はまだこの遺稿を読めていない。こころの距離がとれていないから。