今日は5月4日、スターウォーズの日だそうだ。なんで?と思ったらすぐ調べられる時代だけどまあいいか。私は最近吉川浩満『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ 増補新版』(ちくま文庫)の紹介をするのにMay the Force be with youは使ったばかりだ。
さて5月4日、GW。いつもならどこかを旅しているはずだった。旅先での夜は早い。ほとんど店のない土地へ泊まるときは宿の夕食をいただく。その後、散歩に出たとしても真っ暗な道を何時間も歩く気も起きないのでなんとなく別の道を通って戻る。地方局のテレビを流しながら明日の天気を確認したり、一日をぼんやり振り返っているうちに眠ってしまい、空が白み始める頃にはすでに起きてからしばらくが経っている。
早朝から散歩に出るのは旅先での常だ。どの土地へ行っても朝はほとんど誰にも会わない。年末年始以外は。1月1日は朝9時くらいにのんびり初詣に行ったほうが人は少ない。すでに大量の人がそこへきた跡を目にしながらのんびり歩く。
色々な人から故郷の話を聞く。日本の全県を通過しさまざまな土地を旅してきた。話をききながら思い浮かぶ景色もそれなりにある。そのうちに家族の話になる。すると途端に景色が息づく。同じ業種であっても土地が違えば働き方は異なる。同じ父母と呼ばれる誰かから生まれた子供であっても育ち方はまるで違う。その人が語る土地や家族、育ちの歴史、そんな話を聞いているとその人の景色が色づきはじめ、わたしのこころも揺れる。
私が精神分析を信頼できるのは「なんらの一般的な原理や法則にも還元できない歴史的事象の細部にまなざしを注ぎ、些細な生物や忘れ去られた科学者と行った題材をその単独性において描き込んで」きたからだ。これは先述した吉川浩満『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ 増補新版』(ちくま文庫)p372-3にあるトルストイとグールドに対する記述でもある。
彼らについてはこの本を読んでいただくとして、ひとついえるのは、私が信頼するこのあり方は何者かになろうとすれば混乱を引き起こし過ちを犯しやすいということだろう。
「精神分析家」という特異な存在に向けられるまなざしを自分の中に見出すことはたやすい。私は引き裂かれずに生きていくことができるのだろうか。
とはいえ、私たちは生き残るために生きているのではないし、敗北や絶滅という事態が生じたとしてもそれは私たちの生をなんら意味づけない気もする。
May the Force be with you.
私の仕事は彼らのなかに、そして私のなかにあるそれを信頼することなのだろう。精神分析はコロナ禍であってもなくても身体的な接触はもたない。私たちは卵をあたためるようにそれに触れないまま相手を抱え、感じ続け、殻がつつかれればそれを助ける。それぞれのペースやリズムがある。ただその「それぞれ」はどうしても単独では生じえないのだ。あまりに人間的ななにかより自然としての人間の力、あの映画もこの本も私の今もそれについての再考という点でつながっている気がした。