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俳句 読書

旬を味わいたいな、と思って草間時彦『食べもの俳句館』(角川選書)を開いた。

「六月は梅雨。関東地方の梅雨入りは六月九日ごろという。」と読み始めて、あ、もう7月、と少し先のページに移動する。この本は1月から順番にページが割かれているのだ。

冷奴、鮒ずし、朝餉、冷酒などなど上段に並べられている季語を眺めるだけで美味しい食卓が見える。

鮒ずしの季語はとても懐かしい。もう何年が過ぎたのか。まだ何も知らなかった。知ればご一緒するには気が引けていただであろう大きな俳句結社のみなさんとの鮨屋での句会。友人が連れて行ってくれた。どなたの句か忘れてしまったが鮒ずしと雨を取り合わせた一句をいただいた。似たような湿度と匂いを感じてとてもお似合いの素材だと思った。まだ句会のルールも何も知らなかった頃。とてもとても懐かしい。

さて7月(p136〜)には16個もの季語が並ぶ。

6月は?とページを戻すと泥鰌鍋、莫迦貝、新生姜(この二つはセット。一杯屋下物莫迦貝と新生姜 石塚友二)など7個。

7月のエッセイはこう始まる。「立葵の赤い花は下から咲き昇って行く。花が天辺に達したら梅雨明けだというのは、昔からの言い伝えである。」なんて素敵なんだろう。6月を読み直す。

「六月は梅雨。」ふむ。そうだね。7月の方が断然好きそうだ、作者は。

冷奴隣に灯先んじて 石田波郷

もいい。しかし、

朝餉すみし汗やお位牌光りをり 渡辺水巴

が気になった。

「戦争前の東京の中流の家庭の姿をよく見せてくれる一句である。」とこの朝餉の場面を描写する時彦。水巴は「黒胡麻はお気に召さない」そうだ。

ここで水巴のことを調べ出してしまい、とりあえずメモのようなTweetを残して仕事へ行った。

わたなべすいは。1882(明治15)年、東京都台東区に生まれ、1946(昭和21)年、強制疎開で移った藤沢市鵠村で没。父は近代画家の渡辺省亭。妹のつゆは水巴と同じく俳人である。

内藤鳴雪に師事後、復活した『ホトトギス』雑詠欄で虚子に見出された。主観の尊重を説く「主観句に就いて」という拝論も発表しており、虚子には「無情のものを有情にみる」と評された。

同時代の俳人としては村上鬼城、飯田蛇笏、前田普羅、原石鼎が輩出、大正の興隆期だった。水巴は1916(大正5)年に俳誌『曲水』を創刊・主宰、俳人以外の職業につかず、生涯それを貫いた俳人だった。

という。それぞれの俳人がそれぞれの時代を生き、食べ、俳句を作り、生活をする。

冷酒の氷ぐらりとまはりけり 飴山 實

水飯のごろごろあたる箸の先 星野立子

ルンペンに土用鰻香風まかせ 平畑静塔

などなど。

食べ物の句は美味しそうでなければいけない、と言われる。

それは見栄えや味だけではない。音、香り、感触、空模様、全てがその時々の食べ物を作っている。

もうこんな時間だ。明日は明日の朝餉あり。ありかなしかも人それぞれか。まずはどうぞ良い夢を。

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読書

忘却と疲労

ブラインドの傾きを変えると部屋が少し明るくなった。でもほんの少しだけ。今日も雨。のっぺりした薄いグレーの空が遠くの方まで広がっている。色々なところで色々な音を雨がたてる。降りこんでくる感じではないので窓を開けたままにする。

この一年以上、移動範囲、行動範囲をごく限られたものにするという不自由に驚くべき順応力で、それぞれが「我慢」をし、新しいウィルスに、というか事態に対応してきた。

保育や介助、介護が必要な世界では物理的な距離を取ることはそれ自体が相手の生死に関わる。それでも見えざる力による行動制限のなかそれらを行うことはこれまでごく自然にされてきた「ケア」に対しても躊躇や再考を促した。赤ちゃんを抱っこしないことなどありえない保育園を巡回している私も保育士の皆さんとさまざまなことを話した。身体に関われなければなにもできないという苛立ちや焦燥感は、ニードとニーズの境界を明らかにした側面もあるかもしれない。ここで今、自分ができることはなにか、関わらねば死んでしまうとしたらなにをどうやって?関わらないでなにかを成しうるならどうすれば?

触れたそばから拭き取られ消毒を求められる日常は、私たちの生活の一部をひどくのっぺりしたものに変えた気がする。今朝の空みたいに。「しかたない」という言葉が理由になる日常で、どうにか、少しでもできることをともがくのはひどく疲れる。しかしそれをしないとコロナにかからずとも生活が危うくなるかもしれない。どうすれば、どうすれば、と頭を働かせようとすればするほどぶち当たる無力感。もうどうしようもないのでは、という疑念が確信に変わっていくのを感じつつもそれを止めるにはあまりにも希望が足りない。あまりに自由が足りない。だんだん頭がぼんやりしてくる。オンラインで笑いあって画面を閉じたあと、また空虚と出会い無表情の自分と出会う。まるで生きるか死ぬかの二択を常に突きつけられているロボットみたい、と感じることもあるかもしれない。でも私たちにはこころがある。といったところで「こころ」って?と思うなら感覚でもいい。とにもかくにも私たちはひとりひとりみんな違う。感じるのは自由なはずだ、と自分で自分に言い聞かせる・・・

人間にあってAIにないもの、世阿弥において無主風から有主風を生み出すもの、それは忘却と疲労だと能楽師の安田登さんはおっしゃっていた。記憶については私もこの一年で数冊の本を買った。多方面からの知見が続々と積み重ねられている領域だ。しかし、なるほど疲労か。人間を人間たらしめているもののひとつにそれがあるとしたら、私たちは見えざる力による制限に疲れ、ぼんやりと曖昧な状態にあることでカッコつきの「正解」に向かって突き進むことを回避できているのかもしれない。

「疲れた」、この言葉がこれだけたやすく共有できた日々などあっただろうか。すぐに励まされたりなにかいわれることなく「ねー」と疲れた声を出しあえる基盤をこの事態はもたらした。「消毒疲れ」といっても説明なく通じるようになった。「疲れた」、力なく、ダラダラと、無力と疲労を表現すること。私たちはそうやってこれまで積み重ねてきた記憶が新しい情報や枠組みに乗っ取られることから自分を守ってきたのかもしれない。新しい情報は進化において定着してきた記憶よりも忘却されやすくはないだろうか。今日の稽古も疲れた。もう途中から師匠の言葉が入ってこなくなってしまった、でも身体は動く。自分には染み付いた記憶がある、と。

それぞれのペースでそれぞれの日常を。取り返すというよりは少し別の仕方でぼんやりと過去に浸りながら。変えられてしまうのではなく急がず少しずつ変わっていく自分を感じられたら。多分、この期間、それぞれがなんとかやってきたという事実が支えてくれる。そうだったらいいなと思う。

ちなみに安田登さんの新刊『見えないものを探す旅ー旅と能と古典』もおすすめです。試し読みはこちら