パンチのある言葉で笑いをとってしまうと後悔する。別に笑わせたかったわけではないから。
とこれ、いつかの下書き。今となっては何があってそんなことを思ったのかはわからない。そして今私は何かを書こうと思ってここにきたのだが今度はそっちを忘れてしまった。まあいっか。
私の仕事は「とりあえず」を作り出すことだな、ということもいつかの下書きに書いた。すごくたまってるんだ、ここの下書き。でも多分何日か何十日かたったら自然に消える設定のはずだからこうして下書きを上書き。なにをやってるんだか。
でも毎日ってそういうものかもしれないよ、とも思う。想起と忘却。痕跡を触発するものが現れるまでそれは形をとらないかもしれない。とる必要がないのかもしれない。その場合の主語が誰だかはわからないけれど。
誰かを好きになった。失いたくないと思った。そんなとき私たちの言葉は変わる。たとえその気持ちを隠していたとしても気持ちの強さが言葉を揺らす。いつのまにか機械みたいになってパターン的に思考や言葉を生み出していた心が動く。
またか、めんどくさい、もう二度と、あんなことは、でも、もし、とありきたりの言葉の組合せが変わるわけではない。痕跡というのはもっと違う、傷のようなものだ。手術痕のように手当されたあとのものではなく、それよりずっと以前のもはやたどることのできない記憶の彼方の。
気持ちが言葉を求める。相手の応答を求める。正答ではなく。傷がいまさら治りたがっているわけでもなかろうに。もう二度と隠すことのできない傷になるかもしれないというのに。
なにをやってるんだか。