父と息子の物語として語られる精神分析、文学の世界を見ると現代は母と娘の物語の時代らしい。
私はなにかを誰かと誰かの物語にするのが好きではない。でも自分も「これは父と息子の物語であると同時に、母と息子との物語でもある」といったりする。いいながら「ふーん」と自分に冷めた目を向けなくもない。
誰かと誰かがいたら誰かがいたりいなかったりするだろうし、現在の精神分析が焦点をあてるとしたらこの「不在」のほうだろうし「出来事」のほうだろう。
私たちは親のない子供と出会うし、親になったその子供とも出会う。親と子供というカテゴリーは適切だろうか。
もうここにはいない誰かとの時間はそこにいたかもしれない誰かの時間でもあって物語れているようにみえたその人との出来事はたやすく別の出来事にとってかわられるようなものだった。
物語の数を増やすより出来事のなかにかき消された声を探す。意味ではなくまなざしを。固定するのではなく浮遊するがままに。